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MrALDH

「お電話ありがとうございます。かぐら亭でございます。」
「すいません。二週間先の月初一日(げっしょいっぴ)に4名で予約を取りたいんですけど。」
「申し訳ございません。その日は予約でいっぱいでして。」
はぁ…しかたがない。顧客の第一希望はこれで消えたな。第二希望に電話をかけてみるか。
俺の名は匠純也(たくみじゅんや)。営業先のお客さんを接待するための飲食店に予約の電話を仕事の合間にかけているところだ。とはいってもこれも仕事のうちなんだがな。
営業成績はいい方なので、会社の周りからの信頼は厚い。俺の営業の何が強いって、会社の売っている物がそもそも俺の大の得意分野なのだ。アルコールにはかなり強い。そしてこの世の中で何よりも酒が好きだ。食べ物に関してはグルメとまではいかないが、酒に合う美味いものにはこだわりが強い。そして人懐っこくて物おじしない明るいキャラクターと、健康的な肉体と人並み以上の体力とを合わせもっている。それに付け加えて自分で言うのも少々気が引けるが、生まれつきの頭脳のスペックの高さと。それから人付き合いにおいて最も重要な能力。他人に気分よく話をさせるという傾聴力がダントツに高い。努力が嫌いではないので仕事で自分に負荷をかけることも、キツイと言いながら心のどこかで楽しんでいる。
16時から外回りをしなければならないから、接待先の店の予約だけは先にすませておくか。
第二希望の店に電話をかける。むなしくコール音だけが響く。出ない。再度電話する。またしても出ない。俺は今日の営業先に渡す提案書を作成しながらしつこく電話をかけた。
しかし何度かけても通話中だ。妙だな。店のホームページにはこの時間帯に予約受付をしていると明記してあったのだが。余程の人気店かと思われる。
電話をかけなおす。おっ?かかったぞ。「ただいま電話に出ることができません。しばらくたってからおかけ直しください。」…なんだと?俺はあきらめずにまた電話をかけた。「ただいま近くにおりません。しばらくたってからおかけ直しください。」この俺様から逃げられると思うなよ。狙った獲物は逃さない主義だ。30回目の電話をかける。しかしお約束のように、出ない。しかたなく俺は一緒に接待する会社の人間に電話をいれた。「もしもし宮下君?匠です、おつかれさまです。例のミツモト飲料さんの接待の件ですけどね。第一希望の店は空きなし。で、第二希望の店も電話がつながらないんだけど、どうしましょうかね。」「じゃあ姉妹店のほうでもいいか僕が先方に確認してから電話を入れてみますよ。」宮下君ありがとう。とりあえず二か月待ち、とかでなければいいけどな。待っていると折り返し連絡が来た。「匠さん、本店なんですが、あまりにも問い合わせの電話が多くてうっとおしいので出ないことにしているらしいんですよ。」え…そんなことってあるのか?予約受付中って書いてあったからかけたんだぞ。「とりあえず確認取ったんで姉妹店のほう予約入れときましたよ。」まあ、これでひとまず安心だな。資料作成を終えてパソコンを閉じて外回りに出る。本日、真夏の北海道は今年最高気温を記録していた。
今日の取引先との接待では地ビールと活きのいいオードブルが楽しめる。先日大きな顧客を獲得できた。昨日も根回しがうまくいったから気分がとてもいい。仕事のうちとはいっても頑張って働いた俺には酒という最大のご褒美が待っている。北海道に本社から転勤してきてから2年は経った。支店のあるこの街はまあまあ都会で便利だ。それに空気も良いし美味いものには恵まれていて、使える飲食店が豊富にあっていうことなしである。が、たった一点だけ足りていないものがあった。
俺の大好きな彼女は東京に住んでいる。つまり遠距離恋愛ということだ。
こっちにきて3年目なんだが、この世で最も好きな酒よりも大切な彼女。その相手と離れて暮らしていることのストレスも限界に達してきたので、本社にもどる願いを出してみた。すると上司の神田部長はものすごい勢いで「君にはまだ北海道にいてもらわなきゃ困るんだよ!」と念を押された。まあ何度も繰り返して言うが営業の売り上げが半端ないのでね、俺は。
今年の移動願いが通らなければ、彼女に仕事をやめてこっちに来てもらおう。そのときは同棲してもいいと考えている。優良企業に勤めていて、しかも営業成績が良い俺の年収は彼女ひとり養っても充分に余裕があるのだ。
今度彼女の実家におじゃますることになっている。いや、結婚の報告とかはまだまだ先の話なのだが。問題なのが、彼女の父親の性格がどうなのかわからないということだ。どんな人物なのだろうか。まあ、とりあえず彼女によると飲酒はしないそうだから俺の属性魔法は完全に封じられた状態で戦いに挑まなければならない。しかし俺には圧倒的なコミュニケーション能力の高さという無敵の武器があるので、余程変な人物でない限りは、相手に気持ちよく話をさせてその場を盛り上げる自信はあった。
一番いいのは「今度昇進が決まりました。娘さんと一緒に暮らすことを検討に入れております。」こう言って新しい肩書のついた名刺を父親に渡すことだな。これで決まりだ。



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