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裸を見せるように…

【曲を書く】



それは、"今"の私にとって天職だと感じている。



私の性格や特性、全てがいい方向に転がり、尚且つそれが周りにも良いように評価されやすい最大級のツールだと感じている。



しかし、【曲を書く人になる】というところにたどり着くまでには、
かなり時間がかかった。





初めて曲を書き始めたのは小さい頃。
恐らく小学校に上がるか上がらないかぐらいの時期だった気がする。

当時はヤマハにてクラシックピアノを習っていた私が、ピアノを使ってオリジナル曲を書くことになった。
そして、それは、ヤマハ主催の、【オリジナルコンサート】というものに出演するためのものであり、小学生の間は必ず出なければいけないものだった。


一番最初のオリジナル曲は、母親の力を借りながら作った。
テーマは、少年文庫の、【お姫様とゴブリンの物語】
小曲集のように、パートに分けて、4つの物語を曲で作った。


母親と、この物語を一緒に読んでいたことから、母親もこの物語の世界観を理解していた。
そして、当時は私はまだ小さく、思い浮かぶ音はどれも乱雑で、全く綺麗に整えられたものではなかったため、
私が浮かんだ乱雑な音たちを、母がまとめてそれっぽく成立させる、
そんなふうに作曲をしていた。


(それに先生の修正が加わって、綺麗な整えられた曲になる。)



人生で一番最初のオリジナル曲は、
自分の大好きだった物語を、自分の感性を介して曲に出来たことに喜びを感じ、
オリジナルコンサートも成功に終えた。




しかし、ここで私は、今後も曲を作ることを好んでやっていたかと言われると、そうではないのが、
このnoteの書く意味である。




1回目のオリジナルコンサートを経て約1年後ぐらいだったか…


2回目のオリジナルコンサートが開催されることになった。

さて、もう一度母親の力を借りて、作曲しよう

そう思っていた。
しかし…




母親は今年は力を貸してくれないらしい。




その事実を知ったとき、私は一気に暗闇の中でアローンになった。


確かに1回目のオリジナルコンサートからは時が経っているし、ピアノの技術も上がっている。
それに加えて、母親自身も音楽に関しては素人だったことから、
私が一人で作曲するのと何ら変わりはない。
そのため、一人で作曲することになってしまった。



一人で作曲するとなると、曲を作ることが途端に嫌になった。



何故なら、【曲を作り、発表する】ことは、
私にとっては、【裸を見せる】ようなものだったからだ。





1回目は初めてだったため、【裸を見せる】なんて意識すら無かったし、
母親も一緒だったため、【自分の心の裸】を見せるのは実質3割ぐらいで良かった。

しかし、もしかしたら無意識下で、
【曲を作ること】=【裸を見せること】というようなものが、
1回目のときに染み込んでしまっていたのかもしれない。



何とか2回目のオリジナルコンサートはやり過ごしたが、
そこからオリジナルコンサートの回を重ねるうちに、
自分にとっては大きなストレスを抱えながら、
オリジナルコンサートに出演するようになり、
オリジナルコンサートを卒業する頃には、【曲を作ること】が大嫌いになってしまった。




当時を振り返っても思うが、
私は小さい頃から、自分の世界観はしっかり持っていたが、
それを否定されたり、その世界に入り込まれるのが怖く、
自分を隠して生きてきた。
また、自分の世界観を上手く人に伝える術が無かった。

今思えば、小さい頃は特に内向型だったからこそ、
【心の裸を見せる】ことである【曲を作ること】は、大の苦手だったのだと思う。




それ以降私は曲を作ることなく、
学生時代を過ごしてきた…。








そんな私が今、曲を書くことは【天職だ】とまで言い切れるようになったのは、ある2つの転機があったからだった…。



1つめの転機は、時を経て高校卒業後…。
私はインディーズで音楽活動を始めた。

オリジナル曲はなかったため、カバー曲で。
カラオケのDAMの音源を録音し、自分の得意な歌を20分ほどの枠で歌って、1年ほど活動していた。




そんな1年の中…。
私の通っていたボーカルスクールの先輩や、
インディーズ活動で初めの方に出会った先輩が、
オリジナルの曲で、オリジナルの音源で曲を披露していたことに、
私は惹かれた。


当時、「自分を最大限に出せる音楽って何だろう」と模索していた中、
やはりオリジナル曲を持っている先輩は、
唯一無二な感じがして、キラキラして見えた。


活動で上に上がるには、唯一無二感は欠かせない。


自分もオリジナル曲を持てば、
自分を最大限に出して戦えるかもしれない。
そのように思えた。

これがきっかけで、1st.single「手のひらの音符」を作ることになる。




そして、それを加速させるかの如く2つ目の転機が訪れた。


2つ目の転機は、ノルウェーのシンガーソングライター、AURORAさんだ。

「自分の音楽」を探している18歳ぐらいのときに、
AURORAさんの楽曲「Animal」を聞いて、私は衝撃を受けた。




曲の作り方、それを元に作られたインスト、
それに調和するような歌声や歌い方。
まるで映像がそのまま浮かんでくるかのような、表現力の高さに圧倒された。


そして直感で、
「この方のような曲が作りたい」と思った。



このときは、1つめの転機のように、「こうした方が活動的に得だ」とか、
そういった損得勘定は除いて、
ただ、「曲が作りたい」と心から思えた。






この2つ目の転機が、私の中で【曲を作る】ことに対するブロックが一瞬で取れた瞬間だった気がする。


直感で「曲が作りたい」と思ったことで、
周りの目は気にならなくなった。
ただ本能に従って、曲が書けるようになった。





この2つの転機は、「自分の殻に篭もる」習慣をしていた私を大きく変えることになる。


曲を作るようになったことで、自分らしく歌えるようになったし、
そして、意外と人は、自分の世界観を否定はしないんだなと分かった。
逆に、ただ歌っているより、それを評価されることの方が多かった。


今まで自分の世界を隠して生きてきたのに、
自分を出して生きられるようになったこと。
その架け橋となり、人から求められることを見つけたこと。

そのことから、【曲を書くこと】は、【天職だ】と言えるようになったのだった。


私は今後も、
自身の想いを「曲を作る」という形で昇華し、
国境を超えて伝えていくんだろう。

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影響を受けた楽曲「Animal 」はこちら

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