目的論で考える自己分析#3 「今」を生きる勇気

お久しぶりです。ネガナルです。
仕事が忙しいことにかまけてnoteの更新を怠っていました。

今回はアドラー心理学の「連続する刹那」について、特に「今ここを真剣に生きること」という点について自分自身の考えを書いてみようと思います。


連続する刹那という概念も実践しているのですが、一点引っかかったのは嫌われる勇気に書いてある「今を真剣かつ丁寧に生きる」って具体的に何したらいいの?という事です。
といいますのも私は新入社員研修後に配属された部署で毎月40時間前後残業しており、残業なんてしたくないと思っていたので最初はかなり腐っていました。
しかし嫌われる勇気を読み、腐って残業したくないと思っているだけでは何も変わらないことに気付かされました。そこで残業を減らすという目的で目の前の仕事についてとりあえず真摯に取り組んでできる限り早く終わらせようという風に思うことにしました。
真摯に仕事をしていくと、「ここは指示されたやり方よりこうした方がいいかな」とか「この資格の知識が足りないから勉強しよう」といったことを考えてきたりするようになりました。
そしていつのまにかと「残業を減らそう」というより「いかにより良い仕事ができるか」といった目的になってきていることに気付かされました。

どちらの目的であっても今、ここを真剣に生きていたつもりですが、考えることや行動は変わってきていて、じゃあ最初のころはだめだったのかなとふと思いました。
だけど、連続する刹那の通り、人生が今、ここで完結しているのであればどちらもできる最大限のことをやっていたと思いますし、今やっている真摯な行動や考えもこれからもっと良くなるかもしれません。
だけど、最初にがむしゃらに目の前の仕事をやろうと思わなければ考え方や行動が変わることはなかったはずですし、行動が変わるにあたって勉強もしたし、先輩方に聞いたり、同期に相談したりしました。そのように経験のすべてが「今を真剣かつ丁寧に生きる」ことなのではないかと今思いました。

文章書き始めは「僕めっちゃ考えられるようになってますアピール」みたいな文章書くつもりだったのにもっと大切なことに気付かされたような気がします。

明日からも仕事頑張ろう。

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