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ジャーナリスト与謝野晶子



松村由利子 短歌研究社 2022年9月


本書表紙

 与謝野晶子がジャーナリスト⁉ このタイトルにまず驚いた。 
著者がこの本を書くことになったきっかけは、フランスの新聞『ル・タン』のインタビューに、最上の職業は「新聞記者」と答えたと書いているのを読み、不思議に思ったことだったという。著者自身、長年記者生活を送ってきたことからこの発言に鋭く反応したのであろう。著者の松村由利子氏は歌人であり、長年、朝日新聞、毎日新聞の記者を務めておられたとのことである。このような著者だからこその切り口が非常に魅力的である。
 著者はインタビューの載った『ル・タン』を苦労して探しだし(国会図書館にもなく、東大の何やら難しい名の機関にマイクロフィルムが残っていた)、当該の記事を発見。本書の巻末にはその翻訳が掲載されている。筆者も、晶子が、日本の女性の歴史と現状について熱く語り、また、見聞したフランスやイギリスの女性について語っているこの翻訳を読んで大きな感銘を受けた。
 もとより、晶子は、歌人として名声を博していただけでなく、大正から昭和にかけて、評論家として、あるいは時事問題に関するコメンテーターとして活躍しており、社会問題に関する評論は短歌作品よりも多いくらいである。私も若いころ、『青鞜』の創刊号を飾った「そぞろごと」(“山の動く日きたる”)や、日本婦選大会に寄せた「婦選のうた(山田耕作作曲)に感銘を受け、さらには「母性保護論争」を耽読したことを思い出す。女性の経済的自立を最重要課題だと考えていた私は大正時代にすでにこのような論陣を張った晶子に驚いた。その発言はいちいち頷けるものであり、晶子が参照したと思われる河田嗣郎の著作を読むなどして晶子の思索の跡をたどろうとしたものだ。 母性を強調し、母親への国家の支援を説くらいてうに対し、(国家になど頼るな、という国家を全く信頼していなかったらしい晶子の乱暴な発言には賛成できなかったものの)母性は女性の一側面に過ぎない、女性が社会的経済的に自立することこそ重要だと主張し、“ワンオペ育児”を批判して「むしろ父性を尊重せよ」と説く晶子の姿勢にひそかに快哉を叫んだものだった。
 著者は、新聞や雑誌などのメディアに発表された晶子の時事問題に関する短歌に注目し、短歌という形式を通して発言する晶子の姿勢を「ジャーナリスト」ととらえている。

窓辺でポーズをとる晶子(Wikipedia)

 晶子はまた、取材される側でもあった。有名な歌人、第一級の評論家として、また11人の子を育てている女性としてジャーナリズムの世界では魅力的な人物であり、アポなどなしにいきなり押しかけてきて勝手に写真をとり、「突撃取材」する女性記者に辟易したり、迷惑をこうむったりしたことも多かったようだ。本書によれば当時はそのような「取材」が当たり前だったらしい。その晶子がなぜ、職業の第一は「新聞記者」と考えていたのか。著者は当時活躍していた「婦人記者」の活躍を取り上げつつ、晶子の真意にせまっていく。本書で取り上げている「婦人記者花くらべ」という記事(『婦人世界』1910年12月号、本書p.131)では、有名(?)女性記者たちを花にたとえて紹介するなど、当時の女性雑誌で流行していた「名家の奥様・ご令嬢」「売れっ子芸者」列伝と同様に扱っているのにはびっくりしたが、女性記者がある種の華やかな職業として認識されていたことが窺われる。晶子がこのような風潮をどう思っていたのかは定かでないが、有能な女性記者には惜しまず協力した。また、「我が国の婦人記者の元祖は清少納言、紫式部」という言葉(本書p.152)に示されるように筆をとって自らの意見を発信する女性を「婦人記者、ジャーナリスト」と認識していたようにも思われる。
 
 晶子の時事問題に関する短歌は、政策批判、検閲制度への抗議、米騒動への共感など多岐にわたる。揺るがない信念をもって「自由と平等」を訴え続けた晶子の姿勢にジャーナリストの理想の姿を見る思いがする。例えばこんな衝撃的な歌がある。
    産屋なるわが枕辺に白く立つ大逆囚の十二の柩 
               (1911年3月『東京日日新聞』)
 幸徳秋水、菅野須賀子など12人が処刑された大逆事件に際して、難産で生死の境をさまよっていた晶子が見た幻影である。

 この本は与謝野晶子にジャーナリズムという視点から迫ったものであり、数ある「社会評論家晶子」論のなかで、これまでとは違う角度から斬新な晶子像を示してくれた。同時に、与謝野晶子という巨人にはまだまだたくさんの切り口があることを感じさせてくれる一冊でもあった。
 とはいえ私は、晶子という歌人の見る光景が目の前に浮かび、心が開けてくるような気のするこんな歌も大好きだ。
  川ひとすじ 菜たね十里の 宵月夜 母が生まれし国美くしむ 
                           (『小扇』)
  なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな  
                          (『みだれ髪』)


与謝野晶子といえば『みだれ髪』の情熱の歌人。
彼女はまた100前にジェンダー平等を説いた女性解論者でもあった。

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