#2 風が頬に触れた時 現実を思い出す
「こんなところあったんだ」
それは少し前のこと 数ヶ月ぶりに「友人」に会う機会を得て娘と外出した土曜日
バスで数分揺られ向かったのは 國父紀念館だ
國父紀念館とは孫文を記念して建てられたもので 館内では様々な催しが開かれるほか 観光地としてガイドブックにも掲載されている 建物の南側には長方形の池があり 上から見るとiPhoneに見えることから 孫文専用iPhoneとも言われている 台北101の展望フロアからも確認できるので観光の際はぜひ探してみて欲しい
このあたりはなんども通っているし 昨年は館内で開催された中国語のスピーチコンテストを見にもきた
しかしわたしは敷地内にある中山公園に足を踏み入れたことがなかった
それで先日 冒頭のセリフを吐くことになったというわけ
中山公園と聞いて そういえば地図上では認識していたはずなのに ここに孫文のiPhoneとは別に 翠湖という池があることも 池の外周にいくつものベンチが備えられていることも 在住5年半 全く知らなかった
このエリアでいうと松山文創園區という 昔のタバコ工場をリノベしたオシャレな文化スポットもあって ちょっとしたお散歩となればそちらに行くので 中山公園を意識したことがなかったのだろう
中山公園は実際に行ってみると まさに都会のオアシスといった具合の規模で犬の散歩なんかにはちょうど良さそうだなと 犬を飼ったこともないのにそんなことを思ったりした 何より松山文創園區に比べて圧倒的に人が少なく ほのぼのとした雰囲気がいい
友人と緩めに設定した待ち合わせ時間 子供ができてから「ゆる集合」と言って時間はあくまで目安程度にという約束のしかたが当たり前になった この日もお互い子供のタイミングをはかりながら向かって その都会のオアシスにたどり着いたのは昼下がり
日陰のベンチに腰掛け 数ヶ月もの間お預けをくらっていた友人との時間を ゆっくり味わった
娘は落ち葉や木の枝を拾うのに忙しくしていて それでも視界から消えることなくそばを行ったり来たりしていた
いよいよ夏本番って時に突如一変した日常 いつの間にか木陰に吹く風が気持ちのいい季節になってしまっていた
その心地よい風が頬を撫でるたびに 現実ってこうだったよな と記憶が蘇ってくるように感じて そう思ったら自分が過ごしたこの数ヶ月のことは まるで異世界での出来事のように思えた
娘の送り迎えや食材の買い出しなどで外に出ることはもちろんある でも決して触れ合わない人々とただすれ違っているだけで 誰も自分の存在を証明してくれるわけじゃない もしかしたら自分は現実に生きていないのかも みたいな錯覚もなんだか不思議じゃない気がして
全く人を怖がらないリスが 目の前の木を駆け上がって行くのを見ながら ぼんやり現実とその異世界の記憶を行き来した
眠くなった娘ちゃんのために外周を散歩していた友人が戻ってきて 友人の柔らかい声と心地良さそうな小さな寝顔が 自分は現実に生きているんだってことを証明してくれたように思えた
娘は相変わらず地面に転がる落ち葉などを吟味していて 感性に磨きをかけているようだった
あれこれ考えを巡らせながら作業している姿を見ていると この子も親に似て考え事の多いタイプかもなと思った もしかして彼女の中にも異世界があったりするのかな なんてまた無限ループにはまりそうになって その先に進むのはやめた
秋の風がまたそっと頬に触れて 池の向こうに抜けていった
わたし ちゃんとここにいるなってもう一度 今度はもっと確かな感覚で感じ取った