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#048 「創作」が何かやっと気づき始めた話

大学に入ってから早くも2ヶ月半が過ぎ 今学期の期末テストまで残すところ1ヶ月となった

どの講義もインプットがメインだった前半に比べて 中間テストあたりからアウトプットの割合が高くなったものが多い

毎週のようにエッセイやポエムなどの作品提出があったり レポートの提出や発表がある

特に作品提出ではあまりいい評価を得られず 自分でも自身の作品に物足りなさを感じている
これは単純に言語の問題ではないと思っている
確かにネイティブでないわたしが中国語で表現することはとても難しいことだし ネイティブであるクラスメイトに比べて劣るのは仕方ないことだ
しかし人生経験の量や質で言えば 彼らにないものを持ち合わせていることも事実なのだから ある意味で表現の幅は対等に近いとも言える
それでも同じ土俵に立つこともままならないのは知識不足か練度の問題か

創作について学ぶ講義を多く受ける中で学んだことは 良い作品は必ずしっかりとした構成があって 表現の技術もまた効果的な使い方をされているということだ

特にエッセイに関して言えば 一見形式のない文体とされるエッセイも良質な作品は構成がしっかりと組まれており タイトルとの関連付けや内容の表現技術も巧みであるということ

自分の作品を分析してみても 軸が見えてこなかったり 構成が甘く 作品と呼ぶには到底及ばないものがほとんどだ

今はまだ日記のようなものを書き溜めているだけなのかもしれないと少々落ち込む

創作というものの奥深さを改めて感じる日々だ

いくら構成が良くても内容が薄ければ作品としては淡白になるし 技術を盛り込んだところで構成がめちゃくちゃでは成立しないのだから 多くの人から支持される作家さんは本当にすごいなと改めて尊敬する


伝えたい という気持ちを優先すると 表現が直接的になってしまうことが多い
現代のコミュニケーションでは外国語の影響もあってか 直接的な言い方をしなければ伝わらないという意識が高いように思う
そのため文学作品などのいわゆる「美しい表現」を理解しにくかったり 理解しきれないという人も増えているのではないか
例えば さまざまな媒体で「〇〇してみた」など内容が容易に想像できるタイトルをよく見かける 今回わたしがつけたタイトルのように「〇〇な話」なども同じだ
このようにわかりやすいタイトルが多く利用され 読者や視聴者の目を引くのはやはり現代人が考える力を使わない傾向にあるということだ

「わかりやすいもの」が好まれる時代では直接的な表現が多く使用される
その環境に慣れてしまったのは わたしも例外ではないのだろう
文学がなせる芸術的な表現方法と日常的に我々が使用している言語には明らかな違いがある
エッセイという分野では特にその違いが曖昧なままで参入してしまうわたしのような人がきっと少なからず存在するだろう

「美しい表現」をより多く学び理解するためには 多くの良質な作品に触れる必要がある というかそうでなければ得られない さまざまな作品を読んだり 日常をもっと丁寧に生きながら新たな知識や経験を積むことで 少しでも作品と呼べるものを生み出せるようにしたい

早くも冬休みの課題が見つかった
1ヶ月程度の短い期間ではあるが 最低5回は図書館に入り浸って勉強しよう

その前にまずは多くの課題と期末テストをしっかりクリアしなければ


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