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おろしたての言葉で、ちょっと良い感じの文章を。

せっかく文章を書くのなら、できればちょっと良い感じの、意味のあることを書きたい。そんな風に思ってしまうことはよくあって、そんな風に思ってしまうから、本来ただの日記であるはずのこの場所にですら多くても月に数回しか来られないんだろう。

さて、否定するような形で始めてしまったものの、ちょっと良い感じに書こうとするのはあたりまえの振る舞いだと思う。

たとえるなら、誰かと会う前に身だしなみを整えるのと同じ。自分自身の顔も、髪質も、持っている洋服のラインアップもそれほど代わり映えしないけれど、誰かに会う時は、ちょっと良い感じの自分で会いたい。シャツにアイロンをかけるように、髪をブラシで梳くように、できるだけ整えた言葉で伝えたい。

カボチャケーキを焼いた日、秋が似合う本と。

考えてみれば、つくづく一緒だ。引き出しに入っている言葉のラインアップは、毎日そう大きく変わらない。持ち得るすべてを並べて、「これは最近あの原稿で使ったな」とか「これはこのシーンにはふさわしくないかな」とかやりながら、その時々の最善を尽くすようにして書くのが文章だ。

本を読んで、誰かの話を聞いて、言葉を拾い、引き出しの中に貯めていく。そうしているうちに、いつの日か貯めておいた言葉を使うべきタイミングがやって来る。おろしたての言葉は、最初は引き出しの中でも目立っているのだけど、使っていくうちに段々と馴染んでいく。

そこに収められた一つひとつの言葉はどれも、色褪せたり、くたびれたりはしない。どんなに言葉が増えても、不思議と引き出しの中はぎゅうぎゅうにならない。重たくもならない。だからずっと忘れなくていいし、捨てなくていい。増えれば増えるほど表現は豊かに、細やかになる。言葉って、なんていいものなんでしょうね。

増えれば増えるほどと書いたけれど、もちろん飾り立てるという意味ではない。たくさんある中から、たった一つ、時に二つ三つを選ぶこと。シーンに合わせて選び抜き、組み合わせること。そのとき、分母は多いほうが良いだろう。そういう意味で多いほど豊かで細やかになれると、私は思う。

久しぶりに電車に乗った日、一気に読んだ。

かく言う私は、お世辞にもお洒落とは言えないし、いつも似たり寄ったりな格好をしている。シーンに合わせて…というのもギリギリのところだけど、たとえばプレゼンの日にはジャケットを羽織るし、大好きな人たちに会う日はお気に入りのワンピースを着る(数着しかないせいで、結果的には「似たり寄ったり」になる)。

そんな私の言葉の引き出しには今、いろいろなグラデーションの、いろいろな質感の言葉が並んでいる。昨日読んだあまりにすてきな本から一つ、今日聞いたラジオからまた一つ、引き出しにしまったところ。おろしたての言葉を使う日を心待ちにしているところ。

いつかその言葉がくったりと手に馴染むとき、私の文章はきっと今よりちょっと良い感じになっている。

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