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ナチュラルにありたい


さあ寝ましょうと、23時過ぎ、いつものようにロフトに上がるための階段を2段のぼったところで、ふと
「着飾ることに一生懸命でナチュラルじゃなかったなあ」と一人、音のない部屋でぼそっと。

ネガティブな感情はなく、むしろポジティブにナチュラルであることを欲していた瞬間でした。
ナチュラルとは?と言われると難しいよね。
ただ、今の自分はナチュラルとは程遠く、着飾ることに一生懸命でお金も時間も労力も使っていい意味でも悪い意味でも追い詰められているなあと感じたのです。


どこを歩いていても
何をみても
そこにはキラキラに着飾って、美しくて、輝いている人達がたくさん
大都会東京ではそんな人キラキラに輝いている人達がたくさん

道ゆく人をみても「ああ、あの服可愛いな」「ああ、あの靴いいなあ」「ああ、そういうファッションね、いいな」「んー私って全然お洒落じゃない、お洒落になりたいなあ」「ああ、もう少し痩せた方がいいなあ」なんて思いながら、他人を羨むことがある。

『私は私よ!』って心を強く思うように、ありのまま、どんな体型でも、どんなファッションでも私を愛しているし、それが美しいんだよ。って言い聞かせるように頭の中で唱えては、羨ましく思いぐるぐると思いを巡らせている日々。

道ゆく人をみて羨ましく思うのは、流行りにのっていることがファッショナブルで、クールだという印象を持っているから。
もちろんファッショナブルでクールだけど、実は流行り廃りは良くも悪くも量産型であり、実はどんな人にでもちゃんとどこかどうにか似合うようになっていて、個性を引き出すには少し物足りない時もあると思う。

道ゆくあの人もこの人も似たような服装で、似たようなヘアスタイルで、似たようなアイテムを身につけて歩く。
人と違うをすることは、良くも悪くも目立つ。よほどの自信を持つか、何も感じない思わない強心臓かのどちらかか?
日本では特に、個性を出すことを忌み嫌うから、余計に出しにくい。

先日大好きなJapanese HIPHOPのアーティストのライブへ行きました。
そこにはそのアーティストに似せた服装や、アイテムを持つたくさんのファンがいて。中には立ち振る舞いが似ているような、歩きかたが似ているような感じを思わせる人も。
わかるよ〜私も大好きなモデルさんに憧れて、あれこれ真似れることは真似てみたし、憧れって本当に素晴らしい目標とする人としていいよね。モチベーションだよね。

だけど、憧れているが故に何も見えなくなって、一生懸命になりすぎてしまうことありませんか?
私はたびたびあります。


そんな日々に疲れちゃったなあって思った時に、ああ、ナチュラルにありたい、私の思うナチュラルはお手入れをしないことでも、手を抜くことでもなくて、ナチュラルにお手入れをすることができるが理想だなあって。

ニキビができた、肌が荒れた、高い美容液を背伸びして使おう!それで治るはず!はナチュラルではなくて
ニキビができた、肌が荒れた、食生活はどうだっただろう?最近の睡眠は?運動してたかな?生理はどうかな?心はどうかな?と+αのものに目を向けるのではなく、自分自身の持っているもので勝負する。
そんなナチュラルな美しさと健やかさを手に入れたいな。
いくらいいものを使っても、私自信が輝いてないと無駄足になっちゃうから。

まだまだ来年の目標!なんて言うには早いけれど、私の今日からの目標は『ナチュラルな美しさと健やかさを手に入れること』です。



看護師として、夜勤をして、寝ずに働く、そしてまた寝ずに遊びに行く、そんな日々を20代から今日まで過ごして来て、もちろんこれからも看護師である限り、そんな日は少なくなったとしても続くわけです。
そんな不規則で、健やかではない、身体に良くないと思わしき日常を送りながらも、健やかさを求めるのは欲張りなのかもしれない。

だけどせっかくだもん、美しく、健やかにハッピーに生きて楽しみたいよね。

そして本日より毎日書いてみたいなあと思っています。
これは決まりではなく、ゆるっとね。疲れない程度にね。
あれこれ思うことや感じることがたくさんある日々です。
いつの日か、私の活字が世に出る日を私は楽しみに生きています。

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