やりたいことはトラックの中で見つけた〜手形見編②〜
葬儀社勤務当時は日々の業務に忙殺されていました。そして、前述したように心身ともに限界が来て7年間の葬儀社勤務に終止符を打つことにしたのです。
それから約10年、トラックに乗り、労働しながらあれやこれやとやりたいことをみつけては挑戦していくわけですが、手形のことなどすっかりと忘れていました。
そしてある日の夕方、疲れきった身体をハンドルにもたれかけ信号待ちをしていた時にふと思い出したのです。手形・・・、あの頃考えていた、あの手形を造ってみよう。貯金などもなく、なんの知識もありませんでしたが、造ってみようと決意したのです。
トラックの中で、またしてもやりたいことを見つけたのです。
葬儀社時代の記憶に残る話
手形についての話は一度横に置いて、どうしてもお伝えしたいある話を聞いてください。
葬儀社勤務時代にあったある粋なお話です。
その日の依頼は50代の男性の葬儀でした。
喪主である奥様からのお電話を頂き、私が担当することになりました。
男性は会社経営者で、趣味も多岐に渡り、多くの参列者が予想されました。しかし奥様や役員である息子さんは過分な香典や供花を頂くことに恐縮しており、新聞等で訃報をお知らせせず親族や友人、社員の皆様のみで式を執り行うこととなったのです。
しかし葬儀当日、会場に入り切らないほどの人が参列し、供花は置き場がないほど届いてしまいました。どうやら皆様、仕事関係の義理や付き合いではなく、
「本当に社長にお世話になった」
「社長との思い出が尽きない」と、
誇張ではなく本当に多くの方が涙を流している状況でした。
そして葬儀も終わり一ヶ月ほど経った頃、私は四十九日の打合せのためご自宅に伺いました。すると葬儀の期間にはなかったピカピカの外車が駐車スペースに収まっていたので、打合せが一段落したところで伺ってみたのです。
「きれいな車ですね。」
すると奥様はハンカチを取り出し顔を覆ってしまいました。
「主人が・・・私の・・・。」
と涙しながらお話してくださいました。
葬儀が終わった数日後が奥様の誕生日だったそうなんですが、その日外車ディーラーから連絡があり、
「社長が生前、奥様の誕生日プレゼントにと、病室からご注文いただきました。」
と数時間後に代金精算済みで納車に来たそうなんです。
自身の余命を知っていながら、共に祝えないであろうことも知りながら、その男性は妻に誕生日プレゼントを送ったのです。私は思いました。
「本当に格好いい人は、死んでも格好いい」
経営者だから、お金持ちだから。
そんなことは関係なく、粋に生きなきゃいけない。そう思いました。
せまい町なので今でもその奥様をたまに見かけます。
きれいな外車に乗った穏やかな顔の奥様を。