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人生の選択について考えてみる

好きなことを仕事にしてみたら興味関心が広がった

好きなことを仕事にしてみることに挑戦し始め、間もなく1年経つ。
一つの会社で一つの仕事に全精力を捧げる生活から離れ、時間や精神的な余裕を得て、興味関心は溢れんばかりに広がりに広がっている。

収入は相当減った。だがそれを上回る充実感がある。やろうと思えば何でも自分で決めて、選び取ることができることに喜びを感じる。もちろん、うまく行かなかったこともあったが、挑んだ経験自体が楽しいのだ。
ちょうど中学2年生でのころ、選択肢が無限大にあり、どんな未来が待っているか、思考を多方に巡らせワクワクしていた頃の気持ちに似ている。そのせいか近頃中学時代の夢をよく見る。

選択肢が極めて少ない人生を過ごしていたことに気づいた

今までの30数年を振り返ると、人生の節目を自分で決め、次の道を自分で判断し選び取って進む、という要素が極めて薄かったことに気づかされる。

「東京の名門大学に入って、有名大企業に就職する」
実は私も昔々は幸せへのビクトリーロードだと信じていた。愛知の片田舎の女子中学生・高校生にとっては、十分刺激的な目標だったので、挑むことにワクワク感はあった。それで幸せになれるならば、「好きなことはいつでもできる。まずは経済的な自立をする」ことが最優先事項でもいいかもしれないと考えていた。

選択するのは3つだけだ。
どの高校に行き、どの大学へ進学し、どの会社へ就職するか。
私の地元では、有名大学への進学実績のある高校は通える範囲内でほぼ一択だった。そして、就職実績が載っている予備校が出す大学情報誌を見るだけで、有名大企業に就職実績が多い大学は必然的に絞られた。希望は3つだけだ。東京の大学がいい。大企業への就職に強くて、自由な時間を過ごせそうなこと。最後は、親が快く送り出してくれるレベルであること。

努力の方向性が決まれば、あとは遊びたい心を抑えて勉強に割く時間を増やすだけ。高校時代の担任からは、今の出身校になった第一志望の大学の受験は、無謀な挑戦だから志望校を代えたほうがよいと勧められた。悔しいから何がなんでも達成したくなった。勉強を最優先にして好きでやっていたことは捨てるのみ。高2の冬でバレーボール部もドラムをやっていたバンド活動もやめ、登校前もお昼休みも授業後もとにかく時間さえあれば参考書を開き、1問でも多く問題を解いた。
以降の人生の行動判断軸は「好きなことはいつでもできる。まずは経済的な自立をする」になっていった。なぜか親にも同じことを言われていた。

人生の「幸せ」に向き合い、初めて自分で選択した

実は終わりを決めるのも次に何をするか決めるのも、昨年8月に一度無職生活に入ったときが、人生初だった。
人生の「幸せ」とはなにか、本気で向き合ったのも実はこのタイミングが初めてだった。
目標通り大企業への就職を叶え、経済的な自立も果たした。しかし、好きなことができる「いつでも」の「いつ」は一体いつやってくるんだろうか。一方で、ここまでの努力を無駄にしたくない思いや、親や周りの評価が気になり履歴書に書ける綺麗な経歴にしがみついていることも薄々気付いていた。

本音は「好き」ことを仕事にしている人がすごく羨ましかった。履歴書に書ける綺麗な経歴じゃなかったとしても、脇目も振らず、人のせいにせず、自分と向き合って人生の質を高めている彼らが眩しかった。

「好きなことじゃなかったら10年も続かなかった」

ある日、よくライブに通っていた同い年のミュージシャンと話をしていたときに出てきた言葉だ。10年ビジネスパーソンとして働いてきたが、実態は2〜3年置きに異動や転職で大きく仕事の内容が変わっている。会社都合の異動もあったが、2〜3年でも配置替えがなかったら結構キツかったかもしれないと今でも思う。

幸せは「好き」を仕事にして楽しいを積み重ねることの延長にあるのかもしれない。ようやく好きなことをやるタイミングを決めた。社会人10年目にしてようやく、そして恥ずかしいことに、初めて親に何も言わずに、自分で決めて、会社を辞めて一度全てをクリアにして、好きなことを仕事にしてみるチャレンジをしてみる、という一歩を踏み出すことができた。

「好き」を仕事にしてみたときに気付いたこと

好きなことをいくつか並行してやってみる生活をしていると経験のないことも起きる。
決断をしなければならないこと3つ4つ一度に押し寄せるというのも、「仕事がプライオリティの最上位」だった今までの人生ではなかったことだった。
今は好きなことが仕事だ。だから判断に困っているのだ。
「好き」を優先して経験値を上げたい気持ちもある一方で、生活を支える経済基盤はやはり必要だと思っている。
明日の飯が食べられるか、来月の家賃が払えるかはモチベーションに関わる。

「好き」が先行しすぎる危険性は、やりがい搾取として最後に自分自身の首を絞めることではないかと思う。実際に好きを逆手にいい様に利用されるという話も聞く。多少の身を削ってでも経験値を取るべきなのか、それともやはり割いた労力や時間に見合ったリターンを取っていいものだろうか。

今の私にはまだ突破できていないポイントだ。

そもそも仕事にするとは何なんだろう。就職活動の面接で聞かれる質問のようだ。
お金ばかり追うのも違うと思う、しかし自分の生活を支えられることが最低限だ。
自身がコントロールできる状態が整って初めて、他人対しても優しさやエネルギーを分けることができるものなのではないだろうか。

経験値でもいいし、立場でもいいし、報酬でもいい。「ちゃんと自分にもリターンがあると」感じられ、好きと見返りのバランスの折り合いをつけるのがパラレルワークを成立させるカギなのかもしれない。現段階の私の中の有力な仮説だ。

「好きなことを仕事する」ということ。
これから1年、更に掘り下げ探求していこうと思う。

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