転職することについて考えてみた
1度目の転職に踏み出すまで
1度目の転職をして以降、年齢の近い友人に「転職ってどうよ」と聞かれる機会が増えた。
大学卒業後、最初の会社は9年超という今までの中で同じ組織に属した中で一番長い在籍期間を経たと思いきや、ここ2年の間で2回も転職をした。
最初の会社には辞める決断をするまで相当悩んだ。自分を育ててもらた恩もあったし、その会社で一緒に仕事した上司や同僚が本当に好きだった。
「この組織以外の世界で、自分は本当にやっていけるのだろうか。大好きな人との縁は切れてしまわないだろうか」
不安で不安で仕方なかった。家に帰っても会社の休憩中でも、スマホのグーグルで「転職 30代前半 体験談」といったようなキーワード検索を、何ヶ月か置きに飽き足らずやっていたこともある。
飛び出してからは、これまで見えていなかったことがたくさん見えた。育ててくれた人へのご恩は本当に深く深く感じた。飛び出さなければ、今のようにやってみたかった経営企画の仕事をしながら、自由にモノを書き、ヨガを教え、音楽をやるなんて選択肢を取りうることもできなかった。
転職の理由って何だろう
自身も2度の転職をしていくと、次第に周りは転職経験がある人たちが中心になってくる。
最近大学も1社目の会社も一緒だった友人らと話をする機会があり、自分にとって転職するタイミングっていつが良かったのだろうか、ということを改めて考えるようになった。率直なところ、良かったこともある一方で、後悔先立たずだったことも正直ある。
では次自分が巣立つタイミングはいつなんだろうか、そんなことを考えるようにもなる。
転職の理由を周りに聞くと様々だ。
「この環境では自分が成長できないと思った」とか「もっと若くして最良が欲しい」とか「目標とする先輩がこの会社で見つからなかった」「会社でのキャリアに限界を感じた」は最近よく耳にしている。
ビジネス雑誌でよく見る「〇〇不要論」とか「〇〇業界の終焉」のような特集で自分の業界に不安を覚えたり、転職サイトが発信する「○○才転職限界説」のようなものを目にして、不安になり慌てて会社を飛び出してしまうパターンも少なくないという話を人事関連の友人から聞いたこともある。
転職は目的ではない。以前の私は6年目を過ぎたあたりから、転職するためのキャリア構築や経験値を上げるということを考えるようになった。
「そうすれば、何かあったとしても食いっぱぐれることはない」
別に自分がやりたいかどうかはさておいて、転職する際にでも役に立ちそうだから、という観点でキャリアの選択をしていたことがある。違う業界へ転職する際に大いに役に立ったので、狙いとしては間違いではなかったのかもしれない。
しかし、いざやってみたところ全く楽しくなかったのである。私は選び方に、重大な勘違いをしていたことにようやく気づかされる。転職は単なる取りうる手段の一つであるのに、キャリア構築の目的にしてしまっていたのである。結果、転職しても人生変わらないじゃないか、という強烈な違和感を、1度目の転職直後に感じるのである。
どんな組織でも活き活きと仕事をしていた人たち
「自分の中で、この会社の中ではやり切った感があったから転職した。次の仕事も何だか面白そうだなと思ってさ」
転職が目的化していた私がもがく中、いろんな転職理由を聞く中で知人の何人かはこうした発言をしていた。彼らは違う業界からの転職者であっても、その職場に馴染むのが早く、良いパフォーマンスを発揮しているように見受けられる人たちだった。
彼らは、現在の職場でも良い人間関係を構築しながら、早い段階から組織を鼓舞し、中心として周囲に良い影響をもたらす人々だった。
そして、彼ら彼女らからは、決して前職の会社の恨み節は出てこない。むしろ感謝し、以前の職場も同僚とも良い関係を続いている、清々しい心持ちの人々だ。
「置かれた場所で咲きなさい」
以前一緒に仕事をしていた先輩が、送別の際に新人の後輩たちに送ったメッセージである。
仕事のできる転職者の彼らは、その場その場の「置かれた場所」で、「咲く」という当初の目標は目的を忘れずに、きれいに咲かせることに拘らず、とにかく自分のできる限りを尽くして、精一杯花を咲かそうと努力する。結果、周りも巻き込み、花が沢山咲き誇る状態のまで影響をもたらしているのかもしれない、ということに気づかされる。
私が同年代や少し下の後輩から「転職ってどうよ?」と相談されたら、今はこう答えるだろう。
「転職するのも今の会社で頑張り続けるのもどっちでも正解はないと思う。ただ、今の会社で何をどんなことが達成されれば本音で満足なのか立ち返った時、自分のできるところまで取り組んだのか、もうやり切ったと思えているかじゃないかな。
問いに対してYESが言えれば、きっと変わっても良いっていうタイミングだと思う。もちろん、健康第一でね」
今のところの自分自身の指標がこれ。定期的な自問自答は引き続きそうである。