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人と仕事
を、観てきた。
コロナ禍で生き続ける人々に志尊淳さんと有村架純さんがインタビューするドキュメンタリー映画だ。
100人いたら100通りのバックグラウンドがあり現在の環境があるから、コロナ禍における正解なんてない。そして周りの人を100%理解することは中々できないけれど、99.9%理解しようとすることは必要。
ざっくり言うと、そんなことを学んだ。
でも、ふと思った。これってコロナに対してだけじゃなく、人間関係や仕事、恋愛など世間のありとあらゆる物事にあてはまる、当たり前の考え方だなぁと。
私は病院で働いていることもあり、1年間帰省していない。祖父が亡くなったときも帰れなかった。こんな状況の人は他にもたくさんいるはずだし、何より自分の行動が誰かを苦しめてしまうかもしれないと思うと家から出られなかった。そんな中、複数人で飲みに行ってる写真をインスタで見かけたときや、電車の中でマスクをせずに大声で喋っている同世代の人を見たとき、「私はこんなに我慢しているのに、なんでそんなことするのか、私のこの頑張りが無駄になるじゃないか」と心の中で思ってしまっていた。
でも、私には家があり、同棲している理解者があり、仕事もあり、アマプラもあり、電話をしてくれる家族や友達もいる。食べたい、欲しいと思ったものを購入できるある程度の経済力もある。(モノによるが)
私は、とても恵まれていた。
私には私のバックグラウンド、そして現在がある。それがあるから我慢すべきことは我慢して、他で発散できていた。
去年は大学院生で、コロナでバイト先の居酒屋が潰れ、実験も全く進まず、理想通りじゃないことだらけだった。けれど、新しいバイトをみつけたり、少ないデータでなんとか修論を提出できたりと、周りの支えがあって方向転換できた。
でも、もしバイト先がみつからなかったら?
もし自分もコロナ陽性者になっていたら?
もし周りの支えがなかったら?
考えたらキリがないが、全ての条件がそろって、初めて今の私がいるのである。
私と全く同じ人生を歩んでいる人なんて、1人もいない。
だから、物事に対する考え方は違って当然だし、100%理解することも、真っ向から否定することもできないのだ。
映画を観たあとはそんなことを考えさせられた。
コロナがあったから、個人の違いを認識できたのかなと思う。
みんな違ってみんな良い、十人十色。
意識しなくてもそう考えられる大人に近づきたい。