【第4回ことばと新人賞最終候補作】高本葵葉「ぬけがらホテル」
ぬけがらホテル
高本葵葉
1
死んでしまってから、僕はどこへ行けばいいのかわからなくなり、ひとまずホテルのシングルルームに身を落ち着けることになった。駅からも市街地からも離れた場所にある築四十五年のビジネスホテルで、格安の長期滞在プランと地下の大浴場を売りにしていた。
自分でそこを滞在先として選んだわけではない。選んだのは父親だ。自宅から車で十分ほどの距離にある国道沿いのファミリーレストランで、僕らは今後のことについて話し合っていた。ホテルにやって来るつい数時間前のことだ。
「家に戻るのは無理だろうね」
僕がそう言うと、父は頷く代わりに思いやり深く微笑んで見せた。
もちろん僕にもわかっていた。家族はみんなそれぞれ働いているし、仕事以外にも資格の勉強や運転免許の更新など、やることはいくらでもある。いまさら死者に帰ってこられても迷惑なだけだ。わかってはいるけれど、目の前にいる父の、息子を不愉快にさせまいと気遣う様子があからさまで、こっちまで落ち着かない気分になってしまう。
午後四時過ぎのファミリーレストランは半分以上の席が埋まっていた。前かがみでパソコンに向かうTシャツ姿の男や、店内でも帽子を被ったままの年寄り、人権宣言の発案者について間違った答えを並べ続ける二人組の学生。
僕らが座っていたのは、店の中央にある衝立に隠れて入り口からは見えない、四人掛けのテーブル席だった。父は僕の斜め向かいに腰を下ろし、ドリンクバーを注文した。注文するだけでなく二人分のコーヒーを持って来てくれた。僕はそれを啜りながら母や弟たちが店内に入って来るのを待っていたが、結局誰も現れなかった。
「父さんもいろいろ考えてみたんだが」
目の前のコーヒーには手をつけないまま、父が切り出した。
「父さんの知り合いにホテルを経営してる人がいるんだ。ホテルって言っても、リゾート地のホテルみたいな立派なもんじゃない。出張中のサラリーマンなんかがよく使ってる、まあビジネスホテルだな。部屋はそう広くはないけど、個室で、風呂つきだ。毎日の掃除もしてくれるし、ホテルの食堂で飯も食えるそうだから、不自由はないんじゃないかな。しばらくそこにいて、これからどうするか考えればいいと思うんだ」
それから少しだけ間を空けて、こう言い添えた。
「お前が嫌でないなら」
すでに部屋をひとつ押さえてくれているという。父の口ぶりからするとあまり流行っているホテルでもないようなので、宿泊の延長はどうとでもなるらしかった。
「二、三泊してみて、気に入らなかったらまたよそに移ってもいいし」
「うん。でも、お金は?」
「お前は心配しないでいいんだよ」
何せもう死んでるんだから。その言葉を父は飲み込んだようだった。
僕はというと、初めから断れるはずもなく、そもそも選り好みできるような立場でもない。どう答えれば父を傷つけずにすむか考えて、結局「何て名前のホテル?」と訊ねた。そんなつもりはないのに無愛想な声になってしまう。
「島ホテル、とかいったかな。もし必要なものがあったら送るから連絡してくれ。向こうにもよろしく伝えておくよ」
それ以上話すことはなかった。生者と死者の間に共通の話題はそれほど多くない。席を立つ時に、父は「駅まで車で送ろう」と言った。
こうして僕は生まれ育った我が家を二度と見ることなく、そのままホテルへ向けて出発した。
電車での移動は一時間と少し。その後乗り換えた路線バスは、山を切り開いて造られた住宅地を通り過ぎ、海の方向へ走った。島ホテルというだけあって海辺に建っているのだろうか。日が暮れるにつれ窓の外の風景は暗く閉ざされて、それと同時に世界すべてが閉じていくようで、僕ははじめて生きていないというのは心細いなあと思った。もちろん生きていることだってそれなりに心細かったのだけれど。
通路を挟んで左側の座席には僕と同い年くらいの女の子がいて、一心不乱にホチキスで綴じられたコピー用紙の束をめくっていた。仕事を持ち帰っているのか、それとも課題の提出を目前に控えた学生だろうか。どちらにしても彼女は心細さを感じているようには見えなかった。
僕は生きていることと死んでいることの心細さから、この瞬間だけでも逃れられている人間がいることに安心した。そして彼女が住宅街の外れでバスを降りると、一緒にここで降りてしまいたいという衝動に駆られた。でも、もちろんそんなことは出来ない。僕はホテルへ行かなければならないのだ。
やがて辿り着いたのは物流用の倉庫や工場が建ち並ぶ埋め立て地だった。工事中の空き地も多い。住宅街はもうはるか遠く、コンビニはおろか自動販売機の明かりも見えなかった。
こんなところで降りるのは嫌だなあと、そんな気持ちを見透かしたように目的地である停留所の名が告げられた。その声に追い出されるようにバスを降りた。
ここで降りたのは僕ひとりだった。
片道三車線の道路がわずかに隆起しながら港へと続いている。
埋め立て地の夜空は高いビルもなくがらんどうで、海の方向がかすかに赤く染まっていた。港に沿って広がる工業地帯の灯が雲に映っているのだろう。そんな夜空の片隅に、<島ホテル>の文字が薄緑色に発光しながら浮かんでいた。
弱々しい街灯の明かりを浴びながら、看板を目印に歩いて行った。
停留所から五分もかからない場所にあったのは、想像していたよりもさらに古ぼけたビジネスホテルだった。のっぺりとした壁のあちこちでチカチカ光る電飾の看板は、「当日宿泊可」、「長期滞在歓迎」、「各種割引有」、「朝食付」といかにも情報過多で、そうした文言のすべてが薄汚れてかすんでいる。並んだ窓はところどころ明かりが灯っていたが、擦りガラスになっていて中の様子はわからなかった。
それにしても、こういうホテルはビルの密集した街中にあるべきで、ここでは巨大な物流倉庫と何十台ものトラックが並ぶ駐車場に挟まれて所在なげだった。高さはせいぜい五、六階ほどだろうか。ホテルの前には形ばかりの遊歩道が作られているが、あたりに人の姿はない。
ともかくここが目的のホテルには間違いなく、僕は建物の正面にある五段ほどの階段を上りロビーの扉を開いた。
中は暖房が効きすぎて暑いほどだった。ずいぶん天井が高い。
ロビーにはくたびれた皮のソファがふたつ、膝ほどの高さのガラステーブルがひとつ、そしていくつもの観葉植物が置かれていた。薄暗い空間にコーヒーの販売機が煌々と光っている。客の到着を告げる小さな電子音が鳴ったが、従業員が現れる気配はなかった。
「いらっしゃいませ」
誰もいないはずなのに声が聞こえて驚くと、何のことはない、目の前に立っているその人を僕は観葉植物のひとつと見間違えていたのだ。白くなった髪を後ろに撫でつけた、小太りな年配の男性だった。この人が父の言っていた「知り合い」なのだろうか。けれどそのことを訊ねる前に、「ご予約は?」と聞かれた。
「あ、はい。しています」
「では、こちらで手続きをお願いいたします」
その後も部屋の希望はあるかとか、駐車場は利用するかとか、ほかにお荷物は、といったお決まりの質問が続き、宿泊カードに記入するように言われた。
ホテルの名前が刻まれた柄の太いボールペンを握り、宿泊カードの項目に目を通す。だが最初の項目である名前の欄で躓いてしまった。
「どういたしましたか?」
フロントの男性が訊ねる。
「いえ、その、名前のところなんですけど」
カードには名前と住所、連絡先、職業、それに宿泊人数の欄があった。
住所と連絡先については、父からこれまで通りのものを使えばいいと言われていた。人数は一人。職業はなし。しかし、名前はどうすればいいんだろう。
もちろん僕にも親がつけてくれた名前はある。でもそれは生きている間に使うためのもので、死者としての僕はまた違う名前を使うべきなのではないだろうか。「お悔やみ名簿」に載った名前をそのまま名乗って歩き回るのは不自然な気がする。
いや、僕がどう思うかはたいした問題ではない。書類上面倒でない方法を取りたいだけなのだ。ただその方法がわからない。みんなこういう時はどうしているのだろう。
そんなことを訊ねると、フロントにいた男性は「なるほど」と小さく頷いて見せた。いかにもベテラン風の頼もしさでよどみなく答える。
「もちろんこれまで使われていた名前でかまいません。思い入れもあることでしょうし、こちらの書類はあくまで形式的なものですから。しかし、もしお客様がそのままの名前では落ち着かない、これを機に違うものを使いたい、ということでしたら、私どもの方で新しいお名前を考えさせていただくこともできます」
「名前を?」
「ええ。実を言いますと、最近同じように悩まれるお客様が増えておりまして。宿泊カードにどんな名前を書けばいいのかわからない、という方が一定数おられるのですよ。理由は様々で、これまでずっと同じ名前で通していい加減に飽きてしまったという方もおりますし、逆にいろいろな名前を転々として来てそろそろひとつのところに落ち着きたい、という方もいらっしゃいます。ホテルに泊まる時には、やはりみなさん普段の環境を離れていろいろ考えてしまうのでしょうね。それで、あまり大々的に宣伝はしておりませんが、当ホテルでは自転車の貸し出しや洗濯サービスと合わせて名付けのお手伝いもさせていただくようになったのです。ええ、もちろん無料です。市内の方にも、同じようなサービスを提供しているホテルは結構ありますよ。名前というものは誰かに付けてもらうもので、自分で決めるのはよくないといいますから。それにホテルのチェックイン時でしたら、常連のお客さまでない限りは初対面ですから、ご家族や友人と違って先入観なく名前を付けて差し上げることが出来ます。滞在中に新しい名前に馴染むことも出来ますし。ええ、やはりみなさんこうしてはじめての場所に来て名前を書くとなると、いろいろ悩んでしまわれるのでしょうね。なので、これも快適に滞在していただくためのサービスということで、ご好評いただいております」
「そうですか」
ぼんやりと答えた。そんなサービスがあるというのは初耳だが、僕はもう二年以上ホテルに泊まることなんてなかったし、その間に宿泊業界で新しい試みがされていてもおかしくない。まして無料でやってくれるというのだ。
ただ、ひとつ気になることがあった。
「自分で名前を付けるとよくないっていうのは、どういうことなんでしょう?」
そうだ。これまでの名前を使いづらいなら、自分で決めてしまえばいい。それなら従業員の手を煩わせることもないだろうに。
すると男性は顔を曇らせ、
「そうですね。ご自分で名前を考えようとすると、みなさんどうしても必要以上に意味を込めようとしてしまうといいますか、意味の方が強くなってしまうんですよ。ご本人より、名前の方が力を持ってしまう。これは危険なことです」
そこで一度会話が途切れた。ブーンと低い機会音を発しているのは天井のファンだろうか。
僕は黙って続きを待った。
「あまり他のお客様のことは話さないのですが、同じ過ちを繰り返さないために申し上げますと、一年ほど前でしょうか、やはりそういった方がおられたのですよ。名付けのサービスを断られ、ご自分で新しい名前を決められました。その方は、自分はもうすべてを失った抜け殻のようなものだから、これからは<抜け殻>と名乗ることにするとおっしゃいました。プライベートなことで詳しくは申し上げられませんが、これまでの生活があまり幸福ではなかったようで、当ホテルに滞在して今後のことを考えたいご様子でした」
彼は何度か頭を振った。
「こんなことを言うと不安になられるかもしれません。しかし、お客様は十分な情報を得てはじめて納得したサービスが受けられるものと思っておりますので」
「その<抜け殻>さんはまだここに?」
「ええ。よろしければお会いになられますか?」
断る間もなく、彼はフロントデスクから出てくると、「こちらです」と言ってロビーを横切った。僕は疲れていて赤の他人と会うような気分ではなかったけれど、こちらから聞いたことだし、引き止めるのも失礼な気がして大人しくついて行った。
男が向かったのはロビーの奥にあるホテルの食堂だった。ロビーと同じで天井が高く、窓も大きくとられているが、その割にテーブルや時計といった調度品は小さくそっけない。学生の頃、旅行中に乗ったフェリーの食堂を思い出した。
てっきり<抜け殻>という人物がここで夕食を摂っていて引き合わされるのだと思ったが、ホテルマンは食堂の中には入らず、両開きの扉の前で足を止めた。海鮮が名物なのか、入り口には貝殻やえびの殻、それに蛸を捕るための壷が飾られていた。
「こちらです」
彼は振り返って言った。
すぐには何のことかわからなかったが、どうやらそこに飾られたえびの殻を指しているらしい。よく見るとそれはえびではなく、鋏のあるざりがにだった。掌に載るほどの大きさで、体色は黒に近い赤。長い髭はぴんと伸び、両目が顔から大きく飛び出している。
「この抜け殻を見つけたのは私です。チェックインされてから丸二日の間外出された様子がなく、フロントから電話をしても通じなかったので、やむなく合鍵を使って部屋へ入りました。当人の姿はどこにもありませんでしたが、代わりにこの抜け殻が残されていたのです。背中と尻尾の、継ぎ目のところが割れているのがわかりますか?恐らく脱皮した際に出来る割れ目かと思われます」
男の指が指し示す場所を覗き込むと、確かに頭部と尾の節目にはぽっかりと穴が開いていた。まるで理科の授業でも受けているようで、そういえば小学生の頃、教室で飼っていたざりがにを教材に、脱皮の仕組みについて習ったことがある。
ざりがにが餌を食べず、動かなくなったら、もうすぐ脱皮が始まるというサインです。身体を殻で覆っているざりがには、そのままでは大きくなれず、古い殻を脱ぎ捨てて成長していきます。脱ぎ捨てた殻は貴重なカルシウム源なので、取り除いたりせず水槽に入れたままにしておきましょう……。
ホテルマンは話を続けた。
「もちろん抜け殻ですから、お客様ご自身は新しい姿に生まれ変わって、望んでいた場所へ旅立たれたのではないかとも考えました。しかし先ほども申し上げたように、彼女が五階の部屋へお戻りになってから出てくるところを見た者はいないのです。窓は閉まっておりましたし、鍵も部屋の中で見つかりました。やはり脱皮した本体などはなく、この抜け殻こそが彼女自身なのでしょう」
その言葉で、ホテルマンは説明を終えた。どことなくしんみりした様子だ。
僕は何も答えられないでいた。するとホテルマンはさっと顔を上げ、
「長々と話してしまって、申し訳ありません。それで、名付けサービスはいかがいたしますか?」
そう訊ねた。
僕はサービスを利用することにしてホテルマンと一緒にフロントへ戻った。彼はその場ですぐさま名前を考え、宿泊カードに書き込んでくれた。僕の新しい名前は<水辺のエピソード>だ。
「誰からも愛される物語をイメージして名付けました」
「いい名前ですね」
僕はぼんやり宿泊カードを眺めながら言った。
「でも、ずいぶんスムーズに思いつくんですね。希望するお客さんがいる時のために、名前のストックでも作ってあるんですか?」
「いえ、とんでもないです」
フロント係はやや心外といった調子で首を振った。
「事前に用意しておくなんて、そんな試験勉強のようなことはいたしません。こうしてお客様と話をして、その方の声にしっかり耳を傾けてから考えるのです。そうでなければ、その方にぴったりの名前など出てきません。あらかじめ作ったものを当てはめていくのなら、ただの番号でもいいことになってしまいますからね」
彼はずっしりと重い、手垢でまだら模様になった金属の鍵をフロント台に置いた。
「お部屋は二〇二号室になります。海の見える、眺めのいい部屋ですよ」
それから、こう付け加えた。
「お父様によろしく」
やはり支配人のようだ。
海が見えると聞いていたが、部屋に入った頃にはとっくに日が落ちて、窓から見えるのは帯状に広がる工場地帯の灯りだけだった。
そこはいかにも古びたホテルのシングルルームにふさわしい簡素さで、壁があり、ベッドがあり、書き物机の上にメモ用紙と電話があり、埃の積もったテレビがあり、廊下には浴室に通じる薄いアクリル製の扉があったが、そのどれもがばらばらで線を結ばない孤児のようだった。照明は薄暗く、部屋に入った瞬間からきつい芳香剤の臭いがした。
僕は換気扇のスイッチを入れて、浴室のシャワーから湯が出るか確かめ、テーブルの上に置かれた「宿泊の手引き」をぱらぱらとめくった。テレビの電源をつけて、チャンネルを一通り確認し、すぐに消した。それ以上することが思いつかず、ベッドに腰かけて自分の新しい名前のことを考えた。
水辺のエピソード。
実際悪くない名前だ。本屋にそんなタイトルの文庫本が並んでいたら、とりあえず手にとって最初の二、三ページに目を通す人もいるかもしれない。もっとも、少し読んでから期待していたようなストーリーでないことに気づいて――例えばその人は川の流れる町を舞台にしたラブストーリーを読みたかったのに、それが湖の溺死体を巡るミステリーだと気づいて――そっと棚に戻すかもしれない。けれどもちろん、手にとってもらえないよりはずっといい。そんなことを考えながら、いつの間にか眠ってしまった。
すると夢を見た。
夢の中で、僕はハンドル式の移動本棚が並ぶ書庫のような場所にいた。窓はあったがカーテンが閉まっており、蛍光灯も切れかかっているようでチカチカと点滅していて心もとない。
本棚の間を進んでいくと、やがて見上げるほど大きな、金属製の鳥籠の前に着いた。大きさも形も色も様々な何百何千もの鳥類が、止まり木を隙間なく埋めている。
僕は自分の仕事を思い出し、作業を始めた。鳥籠の扉を開け、中から鳥たちを引っ張り出すと、手近にある本の中へ次々と押し込んでいったのだ。
緑のインコはスープのレシピ本の中へ。
潰れかけた鳩は織物文様図鑑へ。
ほこりっぽい孔雀は『魔の山』の上巻へ。
本棚にはあらゆる種類の本があったし、鳥籠にはあらゆる種類の鳥類がいた。僕は休憩もとらずに作業を進めたが、鳥籠の中の鳥はまるで減る様子がなかった。まだここに来たばかりなのに、この仕事量は、いくら何でも配慮に欠けるのではないか。
おまけに鳥たちは本の中へ入ることを嫌がり、羽根をばたつかせ鳴き声を上げて抵抗するのだ。鳥が嫌がるのを見てこちらも暗い気分になったが、だからといって作業の手を止めるわけにはいかない。大人しくしてくれ、と僕はけたたましい鳴き声を上げるふくろうに言った。
「これをやらなきゃ、ホテルに泊まらせてもらえないんだよ」
でももちろん、僕がホテルに泊まれるかどうかなど鳥たちには関係ない。ふくろうはますます激しくもがき、僕はそれを力ずくで『全国淡水魚分布表』のページに押し込んだ。羽根がぼきリと折れる音がして、しまった、支配人に怒られる、と思ったところで目が覚めた。
どうも首を寝違えたような気分だ。窓の外は、すでにうっすらと明るい。
こうして僕は島ホテルにやって来た。
2
『島ホテルは全室に広々としたベッドを用意し、好みに応じて数種類の枕を選ぶことも可能です。静寂の中で一日の疲れを癒していただけます。落ち着いた色調の壁紙に、シンプルで使い勝手のいい調度品。ガラス張りの優美なエントランスは、観葉植物に囲まれ安らぎの空間を演出します。一階のレストランでは四季折々の厳選された食事を楽しむほか、ご多忙なお客様はルームサービスもご利用できます。地下のラジウム人工温泉は様々な効能を備え、健康の維持に役立つことでしょう。観光やビジネスの拠点として、また日常を離れ気分をリフレッシュするにも最適の環境です。フロントでは備品の貸し出しサービスに加え、ホテル内に備えた商品カタログを使って、日用品から趣味の道具まで取り寄せ可能です。ホテルから一歩も出ることなく快適な生活を送ることが出来ます。生活の困りごとから小さな悩みまで、経験豊かなスタッフに何でもご相談ください。駐車場を完備し、長期滞在・早期予約など各種割引もございます。みなさまのお越しを心よりお待ちしております』
「へえ、じゃああんた、昨日の夜着いたばっかりなんだ」
男はホテルから出た廃品を青い紐でぐるぐる縛り、トラックの荷台へ投げ込みながら言った。車体には「リサイクル処理センター・エコシティ」と印刷され、「法人・個人のお客様、ともに歓迎いたします」の文句とともに、回収可能な品々がイラスト入りで記されていた。古新聞に空き缶、空き瓶、、ステンレス家具と配線ケーブルの類。
僕らが話していたのはホテルの駐車場の奥にあるゴミ捨て場。大小様々な大きさの金属製コンテナが並び、中に分別されたゴミが入っているのだとわかる。
男はスクラップ工場の従業員で、イトウという名前だった。
「ホテルマンに付けてもらったんじゃないよ」
僕がホテルに泊まっていると知った彼は、冗談めかして言った。
何でもここから歩いて二十分もしないところにスクラップ工場があって、このホテルにも毎週月曜日と木曜日に廃品を回収しに来ているらしい。他のホテルや老人ホームなどの施設を回って最後に寄るのがここで、すでにトラックの荷台は廃品でいっぱいになっている。
僕は遅い朝食を終えたところだった。ホテルによくある和洋取り揃えたバイキング式の朝食だ。父は僕のために、三食付きの宿泊プランを予約してくれていたらしい。昨夜は疲れていたせいで夕食もとらずに寝てしまい、目が覚めてすぐ空腹を感じた。食堂の入り口で例の抜け殻と目が合っても気にならなかったくらいだ。窓に面したカウンターに座ると、壁にかけられたテレビからは地域のニュースが流れていた。
小ぶりなロールパン三つと、断面が乾きつつあるトマトのくし切り、煎り卵にソーセージ、それにバターとブルーベリージャムのパック。自ら用意した死者のための食事をしばらく夢中で食べた。すべて平らげてコーヒーまで飲み終えると、もうやることもなくなり、仕方なく散歩でもしようとホテルの玄関を出たところで彼と鉢合わせたのだ。仕事の様子をぼんやり眺めている僕に、向こうから声をかけてきた。見たところ歳も近そうなのと、人懐こい口調に気を許してしまい、僕はこのホテルにやって来るまでの経緯について話すことになった。イトウは作業の手を止めないまま、やたら大きな声で相槌を打った。
「ふうん。あんた、ずいぶん若かったんだな。葬式はやったのかい?」
「ああ。家族が、僕の希望した通りにやってくれた」
「どんな式を希望したんだい?」
「一番安い棺と、一番安い墓石と、一番安い葬儀場。それと一番安い花に、一番安い音楽。そんなところかな」
「百合って安いのかな?薔薇の花は?」
「薔薇は色によって違うそうだね。ピンクの薔薇は安いよ」
「音楽の値段はどうやって変わるんだ?楽器か、それとも演奏者?」
「両方。上等なプランだと、グランドピアノにプロの演奏家がつく。僕の葬儀ではスピーカーの音楽が流れてた」
作業員の男はそこで言葉を止めた。スピーカーから音割れしたレクイエムが流れる葬儀を想像していたのかもしれない。死者と生者の間に話題などないと思っていたけれど、身近に死者がいない人間にとっては、僕も案外興味深い存在らしかった。
「俺はこの仕事をはじめてから今年で五年目だよ」
彼は急にそんなことを話し出した。
「ここのホテルに回収に来るようになったのはせいぜい二年前だけど、死人の夢を回収するのははじめてかもしれない。死んでも夢って見るものなんだな」
廃品回収車の荷台には、今朝僕が見た夢が積み込まれていた。『全国淡水魚分布図』の大きな青い表紙の下から、ふくろうの折れた片翼が覗いている。これから他の宿泊客のものらしい壊れた夢と一緒に、イトウの勤めるスクラップ工場へ運ばれ、そこで処理されるのだ。
「高校を出てすぐ今の工場に就職して、ずいぶんいろんな夢を潰して来たよ。圧縮機にかけて、キューブみたいな塊にするのさ。場所をとらないようにね。それからまた別の工場に送って、服なり、家なりにリサイクルする。あんたの夢は面白いね。本の中で鳥を飼う仕事なんて、俺もやってみたいよ。そういう夢は、圧縮機にかける時も一番上に置くようにしてるんだ。そうすればキューブになった時も、ちゃんと見えるように外の面に来るからね」
そこまで話したところで積み込み作業が終わり、彼は大きな音を立ててトラックの荷台を閉めた。だが話は終わらなかった。
「俺は夢ってほとんど見ないんだよ。子どもの頃に見たことがある気もするけど、それだって後で作った記憶なんじゃないかと思う。工場の面接を受けた時にも、その話をしたんだ」
「夢を見ないって?」
「ああ。そしたら回収部門の主任が、夢を見ないなら思い入れもないだろうし、潰したところでなんとも思わないだろうとか言って、この仕事に回された。でもなあ、俺は本当は夢が好きなんだよ。いろんな夢を潰せば潰すほどますます好きになる。自分でも夢を見てみたいと思うよ。スーパーで野菜を買うようなつまらない夢でもいいし、親がかたつむりになる夢だってかまわない。もし夢を見たら、目が覚めてからじっくり何度も思い返すんだ。それが出来ないのは、こんな仕事をしてるせいで夢に恨まれてるからじゃないのかな」
「夢は人を嫌ったりしないよ」
僕は彼を励まそうとして言った。
「それに、誰かがその仕事をやってくれなきゃ、僕の見た夢だってゴミ捨て場で腐っていくだけなんだから。正直言ってうらやましいよ。僕はもう誰かの役に立つ仕事なんかできないだろうから」
これは本当だった。僕のこれからの暮らしは、もう終わった人生の出来の悪いレプリカみたいなものだ。トラックの運転手もレストランのウェイターも、自分が何をすればいいのかちゃんとわかっている。本人はわかっていないと思うかもしれないけど、僕に比べればよっぽどわかっている。
イトウ氏は鼻からふっと息を吐いた
「わかってるさ。おれだって必要な仕事だってことはわかってるんだ。給料だって悪くはないし、職場の人たちのことも嫌いじゃない。でもずっとこれを続けるのかと思うとうんざりする。仕事場の並んだ靴箱やら、事務所の裏の洗濯場に干してある古いタオルの臭いにもうんざりする。こうして回収車を運転している時、このまま夢を誘拐してやろうかとも思うんだ。工場へは戻らずに、高速道路に乗って、どこかの山奥まで走っていく。そこで夢をトラックの荷台から解放してやる。きっと気持ちいいだろうな」
僕は自分の夢が圧縮機で潰され、キューブになるところを想像した。
夢を見ない男が人々の夢を押し潰せば、それは原形を留めず、ただ色彩と材質のみ覗かせる四角い一片となる。それは思いがけず美しい光景だった。まるで現在美術史のワンシーンのようだ。だがその光景は、あくまでもスクラップ工場で働いたことのない死者の夢想に過ぎない。そこで働く人たちにとって、それはまったくありふれた、退屈で疲労を呼ぶだけのルーティーンに過ぎないのだ。
彼の悩みに気の利いたアドバイスは出来そうになかった。ただ、少し元気を出してほしくて――何といっても彼は僕らの夢の介錯人なのだ――こんな提案を口にした。
「ひとつ思いついたんだけど」
「なに?」
「あなたのことを<夢っ子>って呼んでもいいかな。そんなに夢が好きなんだから」
彼は肩をぐるぐる回しながら「ゆめこ?」と聞き返し、僕はゆっくり大きな口で「ゆめっこ」と言い直した。
「なんだか可愛過ぎるような気もするけど」
「呼ばれてるうちに慣れるよ」
「夢っ子。夢っ子か。まあ、覚えておくよ」
到着した翌日の夜には父の言った荷物が届き、僕は真新しい着替えや髭剃り、読みかけだった本などを手にすることができた。荷物の宛名はちゃんと<島ホテル二〇二号室 水辺のエピソード様>となっていた。名付け親である支配人が知らせてくれたのだろうか。
ホテルの食堂脇のスペースには駅のキオスクを思わせる売店があり、電池や靴下くらいならそこで買い足すことができた。小さな売店なので専門の販売員はおらず、清算はフロントで済ませる。店頭で置いていないものでも、頼めば取り寄せてくれるらしい。
フロントの隅には分厚い数冊のカタログが並び、これに取り寄せ可能な品々がカラー写真とともに掲載されていた。ワインやお菓子といった土産物から、歯ブラシ、ハンドクリームなどの日用品や衣類。このあたりは宿泊客のための商品なのだろう。窓やヒーター付きの便座は、ホテル側が買ってくれることを期待して載せてあるに違いない。
僕はそれを暇にまかせて読み漁り、いくつか有望な品を見つけたりもした。時間を潰すのに役立ちそうなもので、英会話の本や色鉛筆のセットなどだ。新しく何かを学びはじめるのは有意義に思えた。問題は英会話にも水彩画にも興味がないということだ。さらにページをめくると、島や砂漠、廃墟の遊園地、それに時代遅れの宇宙基地などが見つかった。一応フロントにいた若い従業員に確認してみると、カタログに記載された品はすべてこのホテルで受け取れるものだという。
僕は砂漠の写真に少し心を動かされた。夜の砂漠の向こうへ消えていくのは、死者の最期としてありふれてはいるが絵になりそうだ。女性従業員にそんなことを話すと、
「こちらの砂漠は安全のために係員が常駐していますから、自由に歩き回れるわけではありませんよ。夜も二十一時以降立ち入りは禁止されています」と言われた。
彼女とはすでに何度か言葉を交わしていた。部屋の空調を操作する方法を教えてもらおうと思って声をかけたのだ。市内の大学に通いながら、週四日ほどアルバイトに来ているらしい。痩せて背が高く、少し癖のある髪を後ろでひとつにまとめていた。どちらかといえば淡々とした態度で、笑顔も別れ際にちらりと見せるくらい。だが年齢に似合わない物静かな様子は、このホテルに合っているように思えた。
僕は一応訊ねてみた。
「自分で買った砂漠でも、自由に動き回れないんですか?」
「こちらはリースになります。このマークがついているものは、すべてリース品です」
カタログを指さされて視線を落とすと、確かに砂漠の写真の隅に<リース品>と小さな青い文字で記されていた。値段はレンタル料金ということらしい。どうりでトイレのリフォーム材より安いわけだ。
「それにこういった写真は一部を切り取っているから広く見えるだけで、実際にはすぐ近くに人の住んでいる小屋や広い道路がありますよ。砂漠の彼方に消えていくのは、なかなか難しいかと思います」
「よく知ってるんですね」
いえ、と彼女は小さく返した。
ロビーには僕らの他に人の姿はなく、観葉植物たちだけがいた。観葉植物にはそれぞれプレートが下げられ、そのプレートには植物の品種ではなく、個々の名前が書かれていた。<走る子供>、<夜の廊下で道化に出会うこと>、<ぼくは帰りたくない>といった名前で、きっとこれも支配人に付けられたのだろう。そういえばホテルに着いたばかりの時、観葉植物を人間と見間違えてしまったが、それも仕方のないことだった。僕と彼らは同じ名付け親を持つ兄弟姉妹なのだから。同胞たちは掃除のため隅に寄せられる時を除いていつも同じ場所にいて、退屈した様子もなかった。うらやましいことだ。
結局僕は何も買い物はせず、フロントの女性に礼を言ってロビーでの読書に戻った。そして、それから数時間のうちに、無料のコーヒーを五杯も飲みながら、ホテルに置いてあるカタログすべてに目を通し、近隣の観光名所を記したパンフレットを暗記し(一番近い遺跡まではバスで一時間ほどだった)、三種類の新聞と四種類の月刊誌、二種類の季刊誌をすべて読んでしまった。
ホテルでの暮らしは単調だった。三度の食事をして、部屋のユニットバスでシャワーを浴びて、少し外を歩く以外に何の予定もない。
外を歩くといっても、周りに見えるのはどれも同じような顔をした四角い物流倉庫と、大型トラックの並ぶ駐車場、無人のガソリンスタンド、そんなものくらいだ。二十分ほど歩くと名ばかりの公園があって、空き地の真ん中に滑り台とブランコをくっつけた遊具がぽつんと立っている。
工事の最中らしく地面が掘り返され、立ち入り禁止の表示がされた場所もいくつか見つけた。不思議と僕がそばを通りかかる時、工事用の機械は決まって動きを止めているのだ。
どちらにせよ、ホテルの周辺に部外者が出入りできる施設なり店舗なりは見当たらず、僕は清掃を終えたホテルの部屋へ大人しく帰っていくのだった。
遠出をするには金がかかるし、カードに入っている金はすべて父から振り込まれたものであることを考えると、あまり大きな額を使うのは気が進まなかった。金のことは気にしなくていいと言われたが、地方公務員である父にそう潤沢な資金があるわけではない。もし父の資金が尽きるようなことがあれば僕はまた行き場を失ってしまう。いまだってホテル以外に暮らす場所がないのだから、行き場はすでに失っているとも言えるが、ここが行き詰まりの地ならそれでもかまわない。どのみち僕にはこの時間を永遠に引き延ばす以外、今日の予定はないのだ。
今日の予定、滞在の引き伸ばし。明日の予定、滞在の引き伸ばし。
このままだと、僕にとって永遠とは埃の積もったホテルのカーテンになることだろう。だからといってまるきり同じことを繰り返すのは面白みがないので、朝の散歩のルートを少し変えてみたり、朝食にベーコンではなく厚切りハムを食べてみたりして、毎日にささやかな修正を試みるのだ。
ホテルの自慢だという五階の人工ラジウム式温泉は二、三度行ったきりだった。
温泉そのものに問題があったわけではない。予想していたよりずっと豪華な浴場で、日替わりの薬効風呂のほかに泡風呂や水風呂、小さなサウナまであった。床のタイルは蜂の巣式のモザイクで我が家の風呂を思い出しもした。
だがどうも他の客からちらちら視線を送られている気がしてならない。廊下や食堂にいる時はそんなことはないのに、服を脱いでしまうとやはり生きている人々との違いが骨に現れ、肌を透かして見えてしまうのだろうか。「いいご身分だよなあ」と反響する声を聞いただけで、自分のことを言っているのだと落ち着かず、急いで引き上げるのだった。
ならば客の少ない時間に行けばいいかと深夜近く湯に浸かっていても、まったくのひとりきりとはいかない。夜中に大浴場へやって来る客もちらほらいる。夜の客は大抵ひとりで来ているので、昼間のように連れとひそひそ話をされる心配はなかったけれど、ある客は話をするよりもなお悪かった。湯船の中からこちらをじっと見てくるのだ。
僕はそいつの目がとても嫌だった。敵意を感じるというのではない。まるで何かを僕に期待していて、ずっと期待し続けて、いつしかその期待が湯気にあたってぶよぶよにふやけ、黒目の中から溶け出してしまったような目だ。僕はそいつを期待させるようなそぶりをしてしまったのだろうか。だとしたら申し訳ないことだけれど、そんなにじろじろ見るのだって無遠慮だろう。
幸い、そいつは僕がわざとのろのろ身体を洗っている間に湯船から上がり、出て行った。いなくなってから、そいつは僕のなくした名前なのだと気づいた。気づいた時にはそいつの顔はもう思い出せず、こうして僕はかつての名前と完全なる決別を果たしたのだ。
<夢っ子>とはあれ以来言葉を交わす機会はなかった。彼がホテルに回収のため寄る時刻は朝十時から十一時過ぎまでまちまちだったし、仕事をしているところにわざわざ出て行くのは邪魔をするようで気が引けた。それでも寝坊した日や起きてすぐ食欲が湧かなかった日など、遅れて食堂へ顔を出した時、窓越しにスクラップ工場のトラックが入って来るのを何度か見かけた。トラックの荷台はいつでも壊れた夢でいっぱいだった。<夢っ子>は以前僕に語った内心の懊悩などまるで感じさせず、僕たち宿泊客の夢を軽々と荷台に投げ入れると、エンジンの音を重く響かせながら走り去って行くのだ。
ある日、僕はとても悲しい夢が廃品回収に出されるのを見た。
それはとても美しいホテルの夢だった。食堂の曇った窓のガラス越しに眺めるだけで、思わず胸が苦しくなるくらい素敵なホテルだ。ずんぐりした欧州の田舎風の建物で、広々しており、壁も床も真っ白で、どこも清潔に磨き上げられていた。日の光がたっぷり入る中庭には白い孔雀が放し飼いにされ、孔雀のための水飲み場があった。そこを訪れる人々はみんな一日を愉しもうとしている人たちで、間違っても死者が紛れ込んだりはしない。
それは支配人の夢だった。支配人は前日から島ホテルに泊まり込んでいた。普段は夜勤などしないのだけど、スタッフが欠勤してその穴を埋めなければならなかったのだ。朝にフロントで顔を合わせた時、彼は「昨夜、孔雀の夢を見たのですが」と話し始めた。僕らは顔を合わせる度、ちょっとした会話をするようになっていた。
大抵部屋の設備や食事について不備はないか訊ねられるだけだったが、それとは関係ない雑談をすることもあり、夢はその主要なトピックのひとつだった。というのも<夢っ子>と話をした後で、彼のことには触れないまま、このホテルにおける夢の廃品回収システムについて支配人に会話を振ったのだ。「ああいうスクラップ工場は、このあたりに多いんですかね」といった程度のどうでもいい質問だったが、支配人は僕が夢に深い関心を持っていると考えたようで、時々そのことに触れるのだ。
「孔雀ですか?」
「ええ。よく覚えておりませんが、たしか孔雀を飼う夢でした。普段は夢などそう見ないのですが、久しぶりに泊り込みなどしたもので、眠りが浅くなってしまったのでしょうね」
「その夢は、どうしたんですか?」
「今朝出勤してきたスタッフに頼んで片付けてもらいましたよ。もうじき回収車が来るかと思います。置いておいても仕方ないですから」
きっと支配人も覚えていたのは孔雀のことだけで、ホテルそのものは覚えていなかったのだろう。それでも彼がこの島ホテルというわびしいビジネスホテルを、時に一日十時間以上も働いて切り回しながら、わずかな仮眠時間にどこにも存在しない美しいホテルの夢を見ているということを知って僕は悲しくなってしまった。
きっと支配人の夢はこの上なく美しいスクラップになるはずだ。
食堂にいる宿泊客はみな中継地として寄っただけの旅行者や、近隣の工場に派遣されて来た会社員などで、それぞれの人生に忙しく僕のように夢の終わりを見送る時間はないようだった。こちらから話かけることもなければ、話しかけられることもない。パソコンを触ったり新聞に目を通したりしながらさっさと食事を片付けて、今日の予定に向かって食堂を出て行く。
僕も食事を終え、部屋へ戻ろうとした。その時、ふと食堂の前に飾られた<抜け殻>が目に入った。
はじめから抜け殻だけだったというざりがに。ホテルマンは「彼女」と言っていたから、きっと雌なのだろう。赤黒い背中に指で触れると、それはもうすっかり乾いていた。親指と人差し指で胴を挟み、少しだけ持ち上げてみた。出来る限り優しく扱ったつもりだけど、持ち上げた瞬間に手足が抜け落ち、背中の割れ目から胴がふたつに折れてしまった。慌てて手を離す。
乾燥して脆くなっていたのだろう。あるいは脱皮した時からばらばらの状態だったのかもしれない。幸い他の宿泊客はおらず、ウェイターも奥の調理場へ呼ばれて行ったところで、誰にも見られていなかった。
僕は<抜け殻>の欠片を拾い集めると、食堂に置かれていた紙ナプキンに包み、上着のポケットに入れた。ロビーを横切り、二階へ続く階段を上る。
部屋へ戻ってから、書き物机の上に<抜け殻>を置いて、臭いを嗅いでみた。生臭いかと思ったが、中身のない殻はさらりとして何の臭いもしない。抜け落ちた手足と折れた触角が痛々しかった。
その日のうちに、僕はホテルのフロントでカタログを使って買い物をした。
「お取り寄せですね。週末を挟んでいるので、到着まで少々お待ちいただきますが」
「大丈夫です」
「お支払いは宿泊費と一緒でよろしかったですか?」
対応をしてくれたのは、いつかリース品の砂漠について話をした女性従業員だった。彼女は注文書を確認しながら、何気なくこう言った。
「コーヒーの木に実がなりましたね」
「ああ、そこに飾ってある」
ロビーの大きな窓に近い、日当たりという意味では一等の場所に、鉢に植えられたコーヒーの木があった。ホテルに出入りしているコーヒー豆の業者が景品として置いて行ったそうで、他の観葉植物たちと同じく支配人に付けられた名前のプレートを掲げていた。<朝の樹>。振り返って見ると、確かに赤い粒のような実が二つ三つ覗いている。
フロントの女性はさらに言った。
「実は、今週いっぱいでここを辞めることになりました」
「そうなんですか」
「このホテルは、もともとは知人に紹介してもらって働き始めたんです。仕事に不満はないんですが、今住んでいるアパートから遠くて通うのが大変なので。これから学校も忙しくなりそうですし、もっと近くでアルバイトを探そうと思います」
「寂しくなりますね」
そこで僕は彼女の名前を知らないことに気づいた。
「よかったらお別れする前に名前を教えてもらえませんか?」
彼女は少し意外そうな顔をしたけれど、すぐ自分の名前を教えてくれた。僕はそれを忘れないように繰り返した。
「いろいろ親切にしてくれてありがとうございます。新しいところに行っても元気で」
「<水辺のエピソード>様もお元気で」
彼女がホテルを去った翌週の月曜日、僕は注文した品をフロントで受け取った。針金とタコ糸、それにラッカースプレーだ。その日は部屋の清掃も断って朝から部屋に篭り、<抜け殻>の修復行うことにした。正確には壊れてしまった殻の修復と、標本作りだ。
抜け殻を標本にするのは小学生の頃蟹の脱皮標本を作って以来だった。殻が割れてしまっているので繋ぎ合わせる作業が必要だけれど、パズルのようなものだと思えばいい。むしろ脱皮したての新しい殻と違って塩抜きの必要がなく、乾燥もさせなくてもいいので、面倒な準備をせずにすむぶん時間はかからない。
僕はフロントでもらってきた古新聞を狭い机の上に敷き詰め、その上にこれ以上砕けてしまわないよう注意しながら<抜け殻>の欠片をひとつひとつ並べていった。図鑑の一場面がホテルの部屋に現れたような眺めだった。手足は出来る限り左右対称になるよう配置したが、ところどころ長さが違ってなかなかうまくいかなかった。
それからどんなポーズをとらせようか二十分以上迷った挙句、ごく自然に床に伏せた姿勢にすることにした。鋏を挙げて威嚇の姿勢を取らせるのも悪くなかったが、伏せた姿勢の方が破損しにくいし、スペースもとらない。
形が決まると、針金とタコ糸を使ってひとつひとつの破片を繋ぎ、固定していく。
艶出しと接着にはラッカースプレーを使うことにした。スプレーを扱うのは久しぶりで、はじめはうまく均一に噴射できなかったが、だんだんコツがつかめてきた。一気に全体を塗ろうとせず、足なら足、尾なら尾と一箇所ずつコーティングする。ラッカースプレーを使った作業は、標本が新聞とくっつかないように針金で作った土台の上に<抜け殻>を載せて行った。
標本作りをしていると、そのやり方を習った水族館での出来事が思い出された。
施設の名前は覚えていないけど、確かあれも港のそばにある水族館だった。夏休みのイベントとして子ども向けの標本作り教室が開かれていて、それに参加したのだ。
水族館自体が小規模なもので、客も少なく、夏休み中にもかかわらずイベントの場にいるのは指導役の若い飼育員と僕だけだった。飼育員は小学生の僕から見れば十分に大人だったけど、いまにして思うとせいぜい二十代半ばの、水族館では新人に近い立場だったのだろう。どことなく暇を持て余しているようで、そのぶん丁寧に教えてくれた。
「そうそう。抜け殻を接着するには、木工用ボンドじゃなくてスプレーを使うんだよ。その方が仕上がりがきれいだからね。あまり近くからやるとうまくいかないから、スプレーする時は少し標本から離してね」
僕らが作業をしていたのは、標本の展示室として使われている薄暗い小部屋だった。ところどころ小さなライトで照らされ、透明になった魚の骨や干からびたクラゲがぼんやりと闇に浮かんでいる。机の上には、標本の材料として今日のために飼育員が用意したらしい、さまざまな甲殻類の抜け殻が並べられていた。ざりがにに手長えび、蝉などの昆虫。僕は小さくて扱いやすそうな蟹の抜け殻を選んだ。作業を始めてからも他の子どもがやって来ることはなく、抜け殻たちは作業机に置かれたままだった。
標本室にいると、廊下の向こうから誰かの声が近づいては遠ざかっていった。泣き声。語りかける声。意味のない叫び声。僕は何だか世界に飼育員の男と二人きりで取り残されたみたいだと思い、蟹の抜け殻に集中することで不安を振り払おうとした。
「子どもの頃、世界はいい場所だと信じていたよ」
飼育員は蟹の姿勢を整えている九歳の僕に向かって、そんなことを言った。
「自分から働きかければ、それに応えてくれる場所だと信じていた。そのころ僕の夢は音楽家になることだった。楽器を演奏しながらいろいろな町や国に行けるなんて素晴らしい仕事だと思っていたよ。僕はその夢を、両親ではなくて今はもう亡くなった祖母に教えたんだ。するとある時、おばあさんは僕を隣町にあった工場の跡地まで連れて行って――『立ち入り禁止』の立て札のある、錆びついた門の前に連れて行って――、そこでこう言ったんだ。もうすぐこの工場はなくなる。煙突や倉庫は取り壊されて、まっさらな空き地になって、その後には立派な劇場が出来る。あなたはいつかそこで演奏することになるから、って。音楽家になりたいなんて言いながら、まだ練習曲のひとつも弾きこなせなかったころだよ。結局それからもろくな演奏は出来なかった。うん、そう、僕は世界に働きかけたりしなかったんだ。だって、もし応えてもらえなかったらどうすればいい?どうにもならない。生きていけないよ。生きていけないってことは、何にもなくなっちゃうってことだよ」
そこで彼は言葉を切った。
蟹をどんな姿勢にしようか決めかねている僕に、
「ちょっとバランスが悪いな。それじゃうまく立たないだろう。もう少し鋏の位置を下げてごらん」
とアドバイスした。
「それからおばあさんが亡くなって、僕は大人になった。何年経っても工場の跡地に劇場が出来たりはしなかった。新しい建物どころか、工場の取り壊しさえ行われないままさ。再開発の計画は宙に浮いて、そのまま立ち消えになったらしい。この世界じゃよくあることだ。僕の夢の劇場は生まれてくる前に死んでしまった。でも、今はそれでよかったんじゃないかと思うよ。生まれてきたって寂しいだけだからね」
「僕もそう思ってた。でも死んでみたって、それはそれで寂しいよ」
九歳の僕は言い、さらに続けた。
「寂しいけど、悪いことばっかりでもない。父親はこんな僕のためにホテル代を出してくれるし、ホテルの食事はそれなりにおいしい。友達もできたんだ。スクラップ工場から来る男の人。僕の見る夢を面白いって褒めてくれたんだ」
「そうかなあ。僕は友だちっていないんだ。それに、うちの親はそこまでしてくれないよ。お金がなくてこっちから仕送りしてるくらいだからね。ポーズは決まったかい?」
僕は頷いて、両方の鋏を広げた格好の蟹を作業台の上に置いた。蟹は前後どちらに倒れることもなく、そこに立っていた。
記憶はそこで途切れている。
飼育員と一緒に作った標本がその後どうなったのかはわからない。なくしてしまったのか、探さなかっただけか。まだ両の鋏を振り上げた姿勢のまま、家のどこかの暗がりに潜んでいるのだろうか。
ホテルの一室でざりがにの修復を始めてから、すべての作業が終わるまで二時間もかからなかった。
標本として復活したざりがにの抜け殻は、中身がないせいかクーラーの風でも持ち上げられそうなほど軽く、頼りなさげだったが、殻の割れ目は目立たなくなり、表面も赤みもより鮮やかに見えた。あとはラッカーが乾くのを待つだけだ。久しぶりに集中したせいか、僕は生産的な仕事をしたようで、満ち足りた気分だった。
最後にもう一度、あらゆる方向から<抜け殻>を眺めて仕上がりをチェックし、余った針金やスプレーをトランクの中に片づけた。
乾いたら従業員の目が少ない深夜にでも元の場所に戻しておこう。これまで放置されていたことから考えて、誰もこの抜け殻が持ち去られたとは気づかないだろう。ましてや、それが密かに修復されていたなど、もし知られたとしてもずっと先のことに違いない。
一息つくと急に熱いコーヒーが飲みたくなり、僕はざりがにを残して部屋を出て行った。根を詰めて作業した後だ。もう何十杯と飲んだ自動販売機のコーヒーでさえ美味く感じるだろう。
3
「おはようございます、<水辺のエピソード>様。お変わりないですか?」
「はい。毎日のんびりできて、新しい名前にも愛着が湧いてきました」
「そう言っていただけると私どもも安心します。お部屋の具合はいかがでしょう?朝晩寒くなってきましたが、クーラーはちゃんと効いていますか?」
「ええ、大丈夫です」
「騒音など気になりませんか?ここのところ、近くの工場で深夜まで車の出入りがあるようでして」
「全然気付かなかった。家にいた時よりよく眠れるくらいです」
「それはよかった。ところで、あの<抜け殻>様のことは覚えておられますか?」
「食堂に飾ってあったざりがにですね。しばらく前から見かけませんけど、場所を移したんですか?」
「いえ」
「じゃあ家族のところへ帰ったんだ。ならもう安心ですね」
「そうではないのです。誰も引き取りに来られておりません。実は、勝手にどこかへ行ってしまったようでして」
「勝手に?」
「従業員に聞いたところ、十四日の夜勤の者が掃除の時に動かしたのが最後の目撃証言でした。それ以来、食堂付近やロビー、考えられるところはどこも探したのですが見つからなかったのです」
「それは心配ですね」
「ええ、<水辺のエピソード>様はあの方を気にかけておられましたので、そうおっしゃると思いました。もしかすると、事情をご存じないお客様が何かの拍子に持ち去ってしまったのかもしれません。それか、掃除係の者が間違って捨ててしまったか」
「きっと大丈夫ですよ。誰が連れて行ったにしろ、大切にしてくれていますよ」
「ならよいのですが。いえ、申し訳ありません。お気を煩わせるようなことを言いました。そうそう、お父様から伝言がございまして、お電話を繋ごうかと思ったのですが外出されておられたものですから。何でも、寒くなってきたので冬物の服を送ろうかとのことですが」
「いまのところは困ってないけど……。そうですね、送ってもらおうかな。わざわざ新しいものなんて買わなくてもいいからって言っておいてください」
「私から連絡を差し上げてもよろしいでしょうか?」
「ええ、僕が話すより、そっちのほうがうまく伝えられそうなので。手間をかけてしまってすいません」
「とんでもございません、よろこんで。お元気だとお伝えしておきますね。<抜け殻>様のことも、わかりましたらご報告します」
「彼女が無事だといいですね」
もちろん、僕は<抜け殻>がどこにいるのか知っていた。
あれから数週間がたち、ラッカースプレーはとっくに乾いていたが、<抜け殻>はまだ僕の部屋にいた。彼女は何をするともなく、ただ長さの違う六本の足をゆっくり動かして浴室のタイルの上を移動し、時おり触角を震わせてこちらの様子を窺った。僕が食堂から持ち帰った余り物のレタスやパン屑を食べ、ラッカースプレーの光沢を放ちながら水の中を泳いだ。動作はゆったりとしていたが、鋏の力は強く、厚紙などちょっとした障害物なら持ち上げてしまう。一度何かを掴んだら簡単には離さない。
あの日ホテルの食堂から救出した<抜け殻>は、僕がコーヒーを飲みに部屋を出ている間に生命を得てひとりでに動き出し、いまや二〇二号室の浴室を根城にしていた。
支配人に相談するべきなのはわかっていた。<宿泊の手引き>の中にはホテルがペットの連れ込み禁止であると明記されているし、水草も砂利も酸素ポンプもないつるつるの浴室は<抜け殻>にとって快適な環境とは言いがたいだろう。
しかし従業員たちの貴重な時間を使ってまで<抜け殻>の捜索が行われていたことを考えると、彼女の居場所をすぐに告げなかったことが後ろめたく、正直に言い出せなかった。
「そうですか、<抜け殻>様はあなたの部屋におられたのですね。いえいえ、あの方がご無事ならよいのです。気にしないでください。ところで<水辺のエピソード>様、<抜け殻>様を連れて帰ったのはいつ頃でしょうか?」
「一週間前、いや十日前かな。二週間前かもしれません」
そんな会話をするくらいなら、このまま<抜け殻>と二人だけの世界に閉じこもっていたい。
<抜け殻>を飼い始めてから三日ほどは清掃も断って誰も部屋に入れないようにしていた。しかしいつまでも篭城しているわけにはいかず、二日に一回清掃に入ってもらうことにして、その間は鞄に潜ませた<抜け殻>と一緒に部屋の外で時間を潰さなければならなかった。
元は人間であってもいまはざりがになのだから、ホテル裏の川にでも逃がしてやろうと思うこともあった。しかし深緑に濁った水の流れを見ていると、どうしても二の足を踏んでしまう。餌を近くに置いてやってもすぐに食べようとせず、周囲の様子を恐々と窺っているような優柔不断な甲殻類が、この環境で長生きできるだろうか。そもそもこいつは淡水性なのか海水性なのか。わかっているのは雑食性だというだけだ。
こうして僕は朝食のたびにパンくずやレタスの欠片をポケットに忍ばせ、秘密の同居相手のために持ち帰るのだった。
<抜け殻>のための食事日誌
同居二日目
朝:レタスの芯のところ数センチ
昼:サラダ用の鶏ささみ一欠片
夜:煮干をやるが手をつけなかったためパン屑を与える。食べたかどうかは不明
同居三日目
朝:りんご数口
昼:ささみ、ゆで野菜、いずれも食べず
夜:ハム、パン屑
同居七日目
朝:食パンの耳
昼:食パンの耳
夜:ささみとレタスを与えるがどちらも食べず、食パンの耳が残っていたのでそれを与える
朝の十時過ぎ、僕はいつものように部屋の清掃に合わせて<抜け殻>を連れ出した。うっかり潰してしまわないよう空き箱の中にざりがにを潜ませ、それを学生の頃から使っている手提げ鞄の中に入れて持ち運ぶ。
ロビーへ降りてみると、ちょうどチェックアウトの重なる時間で、順番を待つ宿泊客が荷物のそばでうたた寝をしたり、テレビから流れるニュースに見入ったりしていた。ロビーが混み合うのは一日の中でもこの時間だけだろう。フロントでは、最近働き始めた中年の男性従業員が、無表情に受付機械を操作していた。
ソファのそばを通り過ぎる時、ふと家族連れの姿が目に入った。両親と子供が三人。これから旅行へ向かうところなのか、一家揃って賑やかだ。ついしげしげと眺めていると、それは人間ではなく、見慣れたホテルの観葉植物たちだった。
植物たちは細長い身体を折り曲げてソファに腰掛け、名前のプレートをぶら下げたまま、がさがさと葉の擦れ合う音を響かせていた。賑やかな話し声のように聞こえたのは、この葉擦れだったのだ。いつもは窓辺やフロント脇に置かれている植物たちが、今ばかりは定位置を離れて植木鉢ごとロビーの中央に集まり、旅行客を真似ての人間ごっこに興じている。その様子は微笑ましいというより、どこかもの悲しかった。
「まだかかるの?」と<走る子供>――小ぶりなゴムの木だ――が言った。
「バスが来るまで待とう」と<夜の廊下で道化に出会うこと>が答えた。
少なくとも、そんな会話をしているように聞こえた。どちらも葉にうっすらと埃が積もっている。
フロントの従業員も彼らに気づいていないはずはないけれど、他の宿泊客の相手で忙しく、植物たちを注意するどころではないようだ。
僕は植物たちがバスに乗らないことを知っている。植物たち自身もそんなことはわかっている。観葉植物がなくなれば、ロビーは殺風景で仕方がない。人間ごっこだけなら見逃している従業員も、もしコーヒーの木やサウスベニアが勝手にホテルを出ようとすればすぐに取り押さえて、鉢ごと鎖でぐるぐる巻きにしてしまうだろう。
それにしても、植物は同じところにじっとしていても退屈などしないものだと思っていたのに、ごっこ遊びを始めるということは、やっぱり動かないままなのがつまらないのか。あるいは土から切り離された植物だけが退屈するのかもしれない。
原産地のジャングルに生えているゴムの木は、ゴムの木であることに満足して、ニュースにあれこれ文句をつけたりバスの時間を気にしたりはしないはずだ。支配人の気まぐれでおかしな名前を付けられたことが間違いだったのか。でも今さらそんなことを言ってもどうにもならない。
僕はロビーを横切り、フロントへ向かった。フロント係は相変わらず忙しそうだ。前の客がホテルから自宅に荷物を送りたいらしく、手続きに時間がかかっている。
散歩に出るだけなのでわざわざ声をかけることもないかと、鍵だけをフロント台の上に置き、ホテルを出た。外は風が吹いていたが、建物の中と変わらず暖かかった。そういえば、いまは何月だっただろう。記憶が曖昧になっている。
特にどこへ行くか決めていたわけではなく、僕は近くのバス停まで歩くと、背もたれにバス会社の名前が印刷されたプラスチック製ベンチに座った。次から次へとバスがやって来た。行き先の表示は様々だった。<老人福祉センター>、<水産研究所>、<市営団地入口>、<大学病院前>、<霊園裏門>。あらゆる場所からやって来て、あらゆる場所へ発車していくバス。これだけたくさんの行き先の中から、みんな自分の乗るバスを選べるのかと思うと驚きだ。僕には自分のための行き先を選ぶことは出来ない。できることといえば、時々<抜け殻>を鞄の外に出し、ホテルの空気ばかり吸っている彼女に排気ガス混じりの表の空気を吸わせてやるくらいだった。
また数台のバスが通り過ぎた。<みなと会館>、<車庫行き>、<自動車学校入口>、<東こども園>。どれだけ待っても僕を受け入れてくれそうな行き先は見つからなかった。
やがてバスの往来が途切れるころ、一組の男女がバス停へ歩いてきた。一見しただけでずいぶん年が離れていて、女性は男性よりも一回りか二回りは年上だった。服装のばらつきから会社の同僚というわけでもなさそうだし、母子にしては顔も体格も似ていない。
女性は細身で小柄、艶のある白髪を一まとめにして、こんな殺風景な埋め立て地に似合わず薄手のカーディガンを羽織り、洒落たショールを肩にかけていた。
男の方は背が高くてやや肥満気味だ。のっぺりした顔にまばらな髭が生え、上着の袖や襟元には白っぽい染みが付いていた。女性が前に立って男を先導しているようだ。
バス停に着いてからも、二人はベンチには座らなかった。僕と<抜け殻>が埋めているスペースはせいぜいベンチの三分の一程度だったにもかかわらず、時刻表の横に突っ立ったままだ。そして大柄な男が、晴れてよかったね、とか、ちょっと早かったな、なんて前置きはせず、こう呟いた。
「やまあらし」
外見からは想像できない甲高い声だった。
女性はすかざず答えた。
「やまあらしは痛いです」
「すずめばち」
「すずめばちも痛いです」
「みつばち」
「みつばちを一匹捕まえると仲間が取り返しに来るよ」
そうなのか。
僕は二人の立っている方を振り返った。すると、そこにいるのは小柄な年配の女性だけで、男の姿はどこにもない。よく見てみると、彼女の額の近くで羽音を立てる一匹のみつばちが飛んでいた。みつばちはしばらく次のバスを待つように停留所の周囲を彷徨っていたが、やがて地面すれすれを飛んで通りの向こうへ消えていった。
「いいんですか?」
思わずそう声をかけたが、女性はあっさりとしていた。
「ええ。あなたもそのざりがに、逃がしてあげたら?」
気がつけば、箱の蓋を押し上げて<抜け殻>が髭の先を覗かせていた。小物の整理のためと言ってフロントでもらった空き箱だが、いまは<抜け殻>の借り住まいとなっているのだ。
「甲殻類は殻が身体を守ってくれるのよ。変身するにはうってつけね」
女性がそんな話をする間にも、<抜け殻>は紙で出来た蓋を押し上げて、両方の鋏を箱の縁にかけた。蓋を押さえようとしたが、<抜け殻>はその前にするりと箱を抜け出しベンチの上を這いはじめた。僕は指先でそっとざりがにの胴をつまんで箱の中へ戻してやらなければならなかった。
「どちらに行かれるんですか?」
「どこにも。家へ帰るだけよ。本当は彼を水族館へ連れて行ってあげようかと思ったんだけど、もうその必要はなさそうだから。そういうあなたは何か予定でも?」
「いえ、ただ散歩してるだけです」
「もし時間があるなら、これをどうぞ」
彼女は<みなと水族館>と書かれたチケットを二枚差し出した。
「次のバスに乗ればいいはずだから」
「ありがとう。一枚で大丈夫です」
彼女は僕の返したチケットを鞄にしまった。それから軽く会釈して、元来た方向へ歩いて行った。
4
女性が去ってから五分も待たないうちに次のバスが到着した。<みなと水族館>と行き先が表示されている。僕は小箱を手提げ袋の中へ入れ、<抜け殻>とともにバスに乗り込んだ。
どちらの方向へ行くのかもわからなかったが――飽きるほど眺めたホテル内の観光ガイドにも、水族館のことは載っていなかった――どうやら港に沿って北へ走っているようだ。途中でスクラップ工場の前も通った。きっとここが<夢っ子>の勤め先なのだろう。ずいぶん大きな工場だ。敷地には素材もかたちも様々ながらくたが積み上げられ、機械の山を形作っていた。
そんなふうにぼんやりしていられた時間はほんの少しで、間もなくバスは速度を落とし、水族館前の停留所へ入って行った。
水族館はコンクリート造りの平べったい建物だった。青い外壁は塗り直したばかりらしく、離れて見るぶんには綺麗だけれど、近付くと床のタイルや窓枠の錆に隠しようもなく古さが滲んでいた。窓は小さく、玄関の周りには彫刻や噴水などの飾りもなくて、そっけない。水道局か職業安定所のようだ。
手動の硝子戸を開いて館内に入ると、手提げ袋の中で<抜け殻>がかさかさと音を立てた。
受付では小学生の女の子と、祖母らしい高齢の女性が話をしていた。彼女たちの後ろに並び、さっきもらったばかりのチケットをカウンターにいた係員に差し出す。だがその瞬間、自分の持っているチケットには何らかの不備があって入場を断られるのではないかと不安がよぎった。
考えてみれば、ここに来るまでチケットをろくに確認していなかった。有効期限が切れているか、使用済みのものを誤って渡されたということもあり得る。僕は自分のうかつさを後悔したが、係員は何かに引っかかる様子もなく、「どうぞ」とあっさり通してくれた。
天井の高い、ひやりとした水族館の廊下では、魚の進化を描いた壁画や貝の展示がライトアップされていた。それを眺めながら進むと、円柱の水槽が置かれた広い空間に出た。この広場から放射状にペンギンや深海魚などの様々な展示室へ繋がっているらしい。先ほどの少女と老婆が、苔と水草の展示ルームへ入って行くのが見えた。
水族館というのは不思議な場所だ。波の効果音が混じったバックグラウンドミュージックを聴きながらそんなことを考えた。
ここに集められた動物や魚類や植物、アシカやペンギンや鰯の群れやイソギンチャクはまったくそれぞれ別のものとして存在していて、それが<水に棲む>という言葉の元にこうしてひとつにまとめられている。北極にいるはずのペンギンとソロモン諸島にいるはずの熱帯魚、果てはただ風呂好きというだけで<水の生き物>というくくりに入れられてしまったカピバラまでもが一続きの通路の中に並ぶ。彼らはすべて<水族館>という名前によって結び付けられたのだ。
僕は丸い水族館の中央広場をぐるりと回遊した。平日の朝だからか、館内は空いていた。水槽を泳ぐ多種多様な魚に視線を送り、次々と現れる通路がどこへ向かうのか確認していく。カピバラのためのプールに、干潟を再現したというジオラマの部屋、カフェ・アクアマリンと名付けられた館内喫茶室。
やがて細い通路に<標本室>と記されているのを見つけ、僕は矢印の示す方向へ進んでいった。標本室へ続く通路は他の展示室の間を縫うように設計されているらしく、狭くて窓もない上、目的の部屋に着くまで六つも七つも角を曲がらなければならなかった。足元に敷かれた絨毯は、元は赤かったのだろうが、月日を経る中で灰色になり、傷み方といい踏んだ時の固さといい、島ホテルのロビーに敷かれた絨毯を思い出させた。
辿り着いた標本室は、想像していたよりも広く、薄暗かった。
壁に沿って、ガラスに入れられた巨大な魚類の骨格標本や、足を広げた姿勢で縫い付けられ乾燥させられた蛸の標本が並んでいる。入り口近くには深海鮫の標本が展示されていて目を引いたが、奥へ向かうほど展示はささやかなものになり、小さな海老や沢蟹、手のひらに収まるほどのクラゲの標本になった。
柱には<水族館の理念>というプレートが掲げられ、本館はレクリエーションのみならず生物種の保存や研究といった分野にも力を入れているらしきことが記されていた。それに目を通していると、飼育員らしい男が部屋へ入ってきた。髪を短く刈り込んでいて、年は二十代半ばか、せいぜい三十だろう。青い上下の制服を着て、首から職員用のネームプレートを下げている。
彼はむかし僕に標本の作り方を教えてくれた飼育員だった。あの頃まるでと変わっていない。それに比べて僕はこんなに大きくなってしまった。
それでも飼育員は僕を見てすぐに、
「久しぶりだね。あの時作った標本はどうなったかな?」
そう声をかけてきた。
実は彼の顔を見た時、僕はこれで自分の行き着く先がわかるかもしれないと考えた。
死者となって訪れた水族館には子どもの頃に会った飼育員がいて、僕は彼の前でゆっくりと子どもへ戻り、胎児へ戻り、魚へと戻っていく。彼はそんな僕を水槽に入れて、その水槽の水を入れ替え、ガラスを磨いてくれる。
でもそんなことは起こらず、僕はただ「あの時はありがとう」と答えるだけだった。
「おかげで、夏休みの宿題として提出できました。しばらく教室に飾られた後返してもらって、まだ家にあると思います」
「それで、今日はまた標本を作りに来たの?」
「そうじゃないんです」
僕はふと、鞄の中から小箱を取り出し、蓋を開けた。<抜け殻>はまだそこにいて、動いていた。
「見たことのない種だな」
飼育員は<抜け殻>をじっと見た。
「どこで見つけたのかな」
「今泊まっているホテルのロビーにいたんです。僕もどんな種類なのかはわかりません。パンの耳が好きみたいなんですけど」
飼育員の興味深そうな様子を見た僕は、思い切ってこのざりがにを引き取ってもらえないか訊ねてみた。ついさっき、甲殻類の展示されているプールが水族館の案内図に載っているのを見たのだ。彼は快く引き受けてくれた。
「かまわないよ。本当はペットの持ち込みは禁止されてるんだけど、こいつは珍しい種類だし、私が休みの日に近所の川で採集してきたとでも説明すれば大丈夫だろう。甲殻類は私の担当でもあるからね。この子、名前はある?」
「はい」
とっさに答えたものの、<抜け殻>というのもあんまりだろう。せっかく新しい居場所が見つかったのだから、この水族館にふさわしい名前をつけてやりたい。なので、つい「<水辺のエピソード>です」と言ってしまった。見たところ<水辺>に生息する生き物のようだし、僕なんかよりよっぽどこの名前が似合っている。飼育員も気に入ってくれたようだ。
「どういう種なのか、調べがついたら連絡するよ」
「ありがとう」
僕は連絡先としてホテルの電話番号と自分の泊まっている部屋を教えた。しばらくそこにいるから、とも。
飼育員は僕の連絡先をメモしながらふと顔を上げた。
「むかし劇場の話をしたのを覚えてる?」
「工場の跡地に建つはずだった劇場ですか?」
彼は頷いた。
「実はこの間、偶然その跡地の前を通りかかったんだ。ようやく古い建物の取り壊しが始まっていたよ。劇場の話は立ち消えになっちゃったけど、他のものが出来るのかもね」
「何になるんでしょうか?」
「さあ、住宅地になるか、別の工場が建つのか。どっちにしても、私はもうあそこへ行くことはないだろうから、関係ないけどね」
飼育員と別れてから、せっかくなので水族館の展示をじっくり見ていった。アシカのショーを後ろの方の席で見学し、ふれあい広場では亀に餌までやってしまった。甲殻類の展示コーナーにも顔を出し、そこが広々としたプールで設備が整っていることに安心した。<抜け殻>、いや<水辺のエピソード>も、ここならホテルの狭い浴室よりずっと快適に過ごせるだろう。
自分の名前を失ってしまったのだと気づいたのは、館内のカフェで食事を済ませ、帰路に着いてからのことだった。
水族館前のバス停で時刻表を確認してみると数分前に出たばかりで、次のバスが来るまで三十分近く待たなければならなかった。それでホテルまでは大した距離でもないと思い、歩いて帰ることにしたのだ。バスに乗っている間ずっと外を見ていたので、道のりは覚えている。もしわからなくなれば近くの工場へ入って門の守衛にでも尋ねればいい。
幸い僕は道に迷うこともなく見覚えのある埋め立て地の一角へ戻ってきた。いつも散歩で足を伸ばす港の公園が見える。<抜け殻>と呼んでいた甲殻類とともに何度も歩いた道だ。ここからホテルまでの道のりは、もう足が覚えている。
それでもホテルへ近づけば近づくほど不安が膨らんでいった。
考えてみれば僕は死者となって生前の名前を失い、せっかく新しい名前をもらったのに、それもあの甲殻類に譲ってしまった。だから<水辺のエピソード>の名前で泊まっていた部屋に帰れないのは当然のことだったのだ。
太陽が頭の真上に来る頃ホテルに着いた僕は、そこが無期限の休業状態になっているのを発見した。看板は取り払われ、電飾の明かりはすべて消えている。壁にわずかに残った「島ホテル」という文字の消された痕。玄関に張られたA4用紙一枚の告知。当ホテルは去る某月某日をもって閉業し、長年にわたるご愛顧を……。云々。
玄関から中を覗き込んでみると、ロビーではすでに備品のほとんどは取り払われ、フロント台も撤去されていた。動くものは何もなく、観葉植物たちの姿もない。みんなどこへ行ってしまったのだろう。
僕はまず父に連絡しなければ、と思った。けれど電話番号も家の住所も覚えていない。今となっては両親につけられたかつての自分の名前も思い出せないのだから、こんなふうに縁が切れてしまうのも仕方ないのだろう。
僕はもはやただの僕でしかないのだ。それにしても、名前がないのがこんなに不便だとは思わなかった。
いっそ自分で適当な名前をつけてみようか。でもその結果として甲殻類になってしまうことを考えるとぞっとしない。いや、そうならないような名前をつければいいのだ。
<愛される人>というのはどうだろう。愛されて困ることはないはずだ。でもゾンビや油虫に愛されたら困るかもしれない。出来るだけ意味のない名前がいい。
なら<フィンフホルド人>は?フィンフホルドなんて地名はどこにも存在しないはずだ。本当だろうか?僕が知らないだけでそう呼ばれている町や村があるかもしれない。その町では、自分の身体に観葉植物を植え付けることで始めて大人と認められるような風習があるかもしれない。ゴムの木を肩から生やして動き回ることになったら困る。
やはり僕には名付け親の才能はないらしかった。
玄関からホテルの建物を見上げる。ブラインドの下ろされた窓。二階の二〇二号室。つい数時間前まで、あの部屋で眠って、いくつもの夢を生み出していたのに。
いっそこのホテルが取り壊されて、跡地に何がしかの建物が出来るまでここに座っていようか。そんなふうにぼんやりしていると、一台のトラックがホテルの前に停まった。運転席の窓が開き、顔を出したのは廃品回収員の<夢っ子>だった。
「よう、元気だった?最近あんまり話できてなかったからさ。ほら、回収に寄らなきゃいけないところが増えて、こっちに回る時間が遅れたろ。実は同僚が続けて何人も辞めたり、職場もごたごたしててさ。でも会えてよかった」
背後のホテルの現状には一言も触れないまま、そう声をかけてきた。トラックの荷台には何も積んでいない。
仕事に来たのか訊ねると、
「いや、別のホテルに回収に行くところなんだ。ああそうそう、あんたにもらった名前、たまに使ってるよ。ゲームの仲間と集まる時とか、いい名前だって褒められたりするよ。夢は相変わらず見ないけどな」
「よかった。僕には名付け親の才能なんてないんだと思ってたから」
「そんなことないさ。ところで、これから出かけるのか?市内の方向でよければ途中まで乗せて行こうか?」
<夢っ子>は笑った。
「本当はいけないんだけど、あんたが黙っててくれればばれないさ」
「大丈夫。歩いて行くよ」
僕は少し考えてから、こう切り出した。
「頼みがあるんだけど、いいかな」
「乗せて行くんじゃなくてか?」
「名前をつけてほしいんだ。僕に。前の名前は別の子にあげちゃったから」
<夢っ子>は運転席から僕を見下ろした。トラックのエンジン音が誰もいないホテルの壁に反響し、鼓膜を震わせた。
僕はざりがにのことを考えていた。
水族館の飼育員は、これから新しく手に入れた珍種にざりがにに何度も呼びかけるだろう。「おいで、<水辺のエピソード>」「パンの耳ばかり食べてちゃ駄目だよ、<水辺のエピソード>」「お前を連れてきた男の人はどこへ行ったんだろうね、<水辺のエピソード>」。僕は彼がその名前を優しく呼んでくれればいいなと思う。
やがて<夢っ子>が口を開いた。
「<夜行列車>っていうのはどうかな?」
「いい名前だね」
「どこでも行ける乗り物をイメージして付けたんだ。はじめは<夜行トラック>にしようと思ったけど、引越し屋の名前みたいだからさ。気に入ったんならよかった。それで、本当に乗せて行かなくていいのか?」
「ああ、少しはお金もあるから」
「そっか。じゃあ、元気でな、<夜行列車>くん」
「<夢っ子>さんも元気で。いつか夢が見れたらいいね」
そしてトラックは走り去り、僕はホテルに背を向けて歩き出した。
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【著者プロフィール】
高本葵葉
1992年生まれ 山口県在住。
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