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【日々の、えりどめ】第8回 暮れの作文 三つ

写実者たち

 上野桜木町から、藝大の前を通って、公園に入った。老若男女の画家見習いが、木陰に小さな椅子を出してスケッチしていた。まるでさびしくなった枝ぶりが青空に近づいていくような色使いで、いよいよ暮れが近づいてきていた、冬の一日であった。わたしという人影は、素描画家たちにとってはきっと匿名の何ものでもない、季節の訪れの足音であったに違いない。
 わたしは上野公園内にあるカフェに入って、寒いのを承知でテラス席に向かった。誰もいなかった。珈琲を少し啜ってから、つい先ほど写実者たちの一団を抜けてきた影響だろうか、わたしはすっかりと傍観者の気分になっていた。アクリル製の、一枚の透明な壁を挟んで、まったく別の世界を見ているように感じた。向こうもまたこちらの世界には、もちろん何の干渉もなかった。
 冬服に身をうずめて、わたしは冬の日の上野公園の往来を眺めていた。傍から見れば、まさしく目もうつろ――という風に見えただろう。この人たちは、一体どんなことを考えながら歩いているのだろう――ふと、そんなことを思った。おそらく向こうの世界から誰かがこの茶色のダッフルコート姿の、マフラーを幾重にも巻いたままの、茫然と景色を眺めている一人の男を公園の隅のカフェテラスに認めたのだとすれば、同じようなことを思ったに違いない。あの冷たい椅子に腰かけている人は、一体何が目的で、何をしようとしているのだろう――そして、一体何を考えているのだろうと。
 その日は、実際、何もなかったのであった。いわゆる野暮用というやつを済ませて、日暮里方面から歩いてきただけなのであった。しかしわたしは、それほど鬱蒼としていたわけではなかった。言葉にできる類のものではないが、地面から吹き上げてくるような暮れらしい高揚感が、その心中にあったので。
 そのさびれた、そして静かに華やかな気分を頼りにしながら、わたしはそれからまた御徒町駅方面まで歩くことにした。
 西洋美術館を過ぎて公園の出入り口が見える辺りで、あの写実者たちの絵は、今頃、一体どのくらいこの冬の一日を捉えているだろうかと、ふと思った。

社会鍋

 今年もまた救世軍の襷をかけた社会鍋が、路上で浄財を募る季節になった。
 年の瀬は、いいものだ。
 しかし、いいものだと言っても、それはただ単に表現できるようなものでもない。だからわたしは年の瀬になると、小説を書きたくなる。小説家でもないくせに。
 毎年そうである。どういうわけか、わたしは居た堪れなくなる。ふと足元に、落とし穴のような仄明るい空洞をのぞき込むような思いがするのである。そして行動と言動は、自然と通常以上の道行きを迂回するようになる。少しでも集めたくなるのである。東京の暮れの風景を。
 わたしはその日も、松坂屋前の交差点に古色の風情を与えていた社会鍋の団体を横目で窺いながら、そんなことを考えていた。そして隙あらば、自分という唯一の読者を興がらせるに足る物語を見つけたいと思っていた。例えば「話しかける」ということで、生まれてくるような新しい世界の広がり。冷たい空気が歪んで、そこにわずかに日だまりのようなものができて、奥行さえも感じられるようなもの。――しかし、その日のわたしは隣人に声をかける勇気もなく、しばらく立ったまま逡巡していた。
 しかしまたわれながら登場人物になるならば、声をかけるにも思い切りがつく。
 そして、わたしは決意して、軍服帽子に丸眼鏡をかけた背の高い男性の救世軍のひとりに、その楽器は何ですか、と聞いた。男は凛と澄んだ低い声で、バリトンホルンです、とだけ答えた。
 あとは何も言わなかった。会話もそれ以上続かなかった。
 わたしはそれからすぐ駅へ向かった。不思議な心持ちであった。わたしの暮れの小説にとって、それは期待外れというわけでもないらしかったのである。うつむきながら上野広小路の人垣をかき分けていく途中でも、先ほどの低声が啜り泣くような管楽器の響きと混じり合いながらずっとわたしの中に共鳴していた。

御徒町風景

 暮れの喧騒のためか、大幅に遅れた京浜東北線が、対面の山手線と肩を並べて上手から滑り込んできた。わたしは寄席帰りであった。暮れらしい一席ものがハネたあと、仲間の前座とそれらしい一年の別れの挨拶を交わして、散り散りになった。その日がとりあえずの、寄席仕事納めということになっていたのであった。
 時刻は午後四時を回ったところであった。鼠色というそれ以外には、形容もできない具合の空気感であった。わたしは御徒町駅のホームから、もうすぐ夜になりそうな上野市中の有象無象を、なんだかひどく客観的な心持ちになって眺めていた。それは電車が遅れていたために、立ちすくむという以外には何の干渉もない存在の時間がおもむろに到来してきたということもあったが、それよりもあの年の瀬特有の、郷愁にも似た、落ち着いた寂しさのようなものが、雲煙のように心中に沸きたっていたからでもあった――。

 あれから、何年経つだろう。何年も、経っていないはずである。しかしまた随分と経った気もする。それでいてどうやら何も変わっていない自分を省みると、心底儚い気がする。
 今、こうして改まった気持ちで御徒町駅のホームから上野の往来を眼下にしてみると、沢山の光の玉をころころと転がしてあるような交通の風情である。人も車も、数年前と同じように、増えてきた。わたしは東京というものが、急に懐かしくなった。
 未曾有の病禍の最中、あれは今年か、あるいは去年か、とにかく協会に行かなくてはならない用事があり、久しぶりに東京に来た日、わたしは帰り道にアメヤ横丁を巡回して、その平常通りではない、しかしまたしぶとく変わらない商売人たちの工夫の風景を見て、「良い意味で」という枕詞ふったところでヤミという言葉はもうあまり良くないのだろうが、どのような手段でも生き抜いてゆく、煤けた路上に、灰色にでも咲いてみせるような人間の強さを漠然と感じながら、その日の寂しくセンチな気分も手伝って、この町のうつくしさについて思いを馳せたことがあったが、そんな日のことが、まるでひとこまひとこま切り取られる風に思い出された。――それだけではない。弟子入りしたその日に、師匠と摩利支天に参詣した日のことや、前座仲間と飲み歩いた日のことが、まるで数珠つなぎに思い出された。

 暮れはどうも忙しい。京浜東北線は、その日も遅れていた。電車はまだ来ない。
 いつかわたしも真打ということになるらしい。もちろん、この商売を、やめなければ。随分と長い道のりのようにも思える。しかし振り返れば、光陰矢の如しかもしれない。そしてそうなっても、わたしは今とそれほど大きく変わっていないかもしれない。また同じようなことを思い出しながら、変わらずこの駅のホームから上野の町を眺めているかもしれない。
 例のようにくぐりぬけて来た何年分かの感慨にたって、あの日と何ら変わらない、御徒町風景である。


【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
平成2年7月7日。福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
二ツ目の若手噺家。本名は齋藤圭介。

在学中に同人誌『新奇蹟』を創刊。
「案山子」で、第一回文芸思潮新人賞佳作。

若手の落語家として日々を送りながら、文芸表現の活動も続けている。

主な著作
『猫橋』(ぶなのもり)2021年
『言葉の砌』(虹色社)2021年


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