心にひとつ、ガチぽかワード。マンゴーが代わりに書くよ編
こちら関東、本日、寒いですね。
息子は「さむくねーもん!」と、下着なしの長袖1枚、ペラッペラの上着1枚で学校へ行きましたが、フハハハ! 悔いるがいい!
おかーさんは「下着さあ、着とこうよ」「ジャンパーあったかいのにしときなよ」って忠告をしましたからね。
さて、上記のような「寒かろうと息子を心配している聖母」なわけないマンゴーですが、これでも母親やってます。いわゆる「行き渋り」の息子を学校へ送っております。
それについて昨日も「えらいわ」と先輩ママさんからお褒めいただき、ありがたいけど、そうじゃない。子どもを送る、というのが双方にとって一番マシな解決策であっただけのこと、と捉えています。
母親の前に一人の人間。
腹が減ればものが食べたく、寒ければ温まりたい。
子どもに24時間つきっきりで心が満たされる人もいるかもしれませんが(いまだ会ったことはないですけどね)、私は1日4時間くらいで十分。子どものことは大好きですが、それと「子のために何かを犠牲にすることが美徳」とは思っていません。
むしろ、そう思わないように努力しています。
子が親の背中をみて、「ああ母親ってなんてつまらない存在なんだろう」と思わないためにも、かあさんは自分のやりたいことを主張し、できるだけ行うのです。寂しやつまらなさを人のせいにしてほしくはないのです。
息子が学校に行きたくなくても、かあさんは仕事をしたいし、自分の人生を生きたい。
だから、「毎日送れば学校に行ける」息子と学校に行くのです(連れられている娘よ、ありがとう)。
このようにドライに考えられるようになったのは、母親になった8年間に地を這うようにして得た教訓が8割、自分が子どもだったときに対応されていたことが2割、基になっているように思います。いや、もしかしたら母からされたことが8割かも。
私の母はいわゆる毒母ではないと思いますが、当たり前のように聖母でもありません。22歳という若さで私を生み、専業主婦の「仕事」として家事をし、2児を育てました。
今はNGとされている「お尻をガンガン叩いてしかる」をはじめ、「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい!」「女の子なんだから●●しなさい!」と頭ごなしに怒られてきました。
テストは100点が当たり前。90点をとろうもんなら、「え、100点じゃないの?」。通知表の5の中に4があったら「まあ、目に見えてたけどね」と。(そういえば、担任の先生は親が喜ぶ通知表だと思って私に渡したら、4をを見つけた私がため息をついてビックリしていたと、いま、思い出しました。)
まあ、昭和によくある光景です。
ほんとにね、よくあったの。
むしろ、そういうお母さんは褒められてたんじゃないかな。
その母に対して、そして背後の高圧的かつ差別的な父に対してマンゴーはやるせない思いを感じつつも、ぬいぐるみを抱きしめつつ、「両親、いろいろ間違ってるけど、けっこう愛らしくていいやつ」という認識で育ちました。
しかーし、結婚して2児の母になると、価値観の違いが激化。「風呂上がりには果汁を飲ませろ」と過去の悪しき習慣を持ち出されたり、子ども不在(ICUに入院中)なのに赤飯炊かれて命名式をされたりと、戦いが勃発。
数年たつと「私も子どもたちに、頭ごなしに命令しているのでは!?」という負の連鎖疑惑がかすめ、近年マンゴーが鬱ぽくなったときにパンドラの箱があいてしまったのです。
高校生のとき「母親も未熟な人間だから、しょーがねえだろ~」と納得したつもりでできていなかった。
やりなおしが必要だと、母親にかけあったところ、LINE数回のやりとりでしたが、私のモヤモヤが氷解しました。
「どんなあなたも認めてあげればよかった」
そう書いてあったからです。
顔は見えてはいないけれど、たぶん母は泣いていたんじゃないでしょうか。
不惑になってもワダカまり続けていた自分にも、それが今さらでも溶けることに驚き、親子という関係の密封された保存性にもビビりました。
それから徐々に言われれることも変化してきたような気がします。折に触れて別居やなんやを報告するハメになったときも、説教を食らうと思いきやそうでもない。
「いつでも、応援しています(^^)」
顔文字あたりに母の軽さが出まくっていますが、私が41年間ほしがっていた純度の高い味方ができたのかもしれません。