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IRONMAN JAPAN みなみ北海道 参戦記
還暦イヤーの最大イベントとして、2024年9月15日に初開催されたIRONMAN JAPAN みなみ北海道大会を無事完走し、初めてフルディスタンスのIRONMAN(アイアンマン)の称号を得た。IRONMANまでの道のりを振り返りつつ、レースレポートを書いてみる。
IRONMAN とは
トライアスロンに詳しくない人のために少しだけIRONMANの説明を。1978年、ハワイの軍人飲み会の会話で、当時ハワイで行われていたスイムレース(3.8km)、自転車レース(180.2km)、ホノルルマラソン(42.2km)の優勝者のどれが一番すごいか?という話になり、全部いっぺんにやって勝ったやつがすごいだろうというノリで始まったのが IRONMAN レース。今では世界中でレースが行われていて転戦しているトライアスリートも多い。"IRONMAN"はWTC (World Triathlon Corporation) の登録商標でWTCの出す厳しい条件をクリアした場所でのみ開催できる。日本においては琵琶湖、五島、洞爺湖でIRONMAN JAPANが開催されていたが、長らく休止の時間を経て、今回9年ぶりに函館近郊で開催されることになった。私が8年前にトライアスロン始めてからは初の国内IRONMANレース。
余談だが、IRONMANのフルディスタンス (Swim 3.8km + Bike 180.2km + Run 42.2km 合計 140.6 Mile、制限時間17時間) の半分の距離の大会がIRONMAN 70.3 。私が勤める LIXILがかつて冠スポンサーとして開催していたのがセントレア・知多半島のIRONMAN 70.3で、私は3回完走している(2017~2019)。このときスポンサー枠で出場したLIXIL社員チームで作ったLIXILチームユニフォームを私は今でもレースで毎回使用している。
IRONMANまでの準備
レースにエントリーしたのは昨年末。エントリー開始日に躊躇していたら、自転車仲間のテラさんから「一緒に行きましょう!」との後押し。募集1500人のうちTier1 300人がすでに初日の昼時点で売り切れているのを見て、後先考えずTier2で申し込む。円安でドル建てエントリー費用は国内大会の2倍以上と重たいけど、「初IRONMAN」タイトルに目がくらんだ(笑)。
今年は4月に宮古島トライアスロンのロング完走してからはレースの予定を入れず、9月のIRONMANだけに絞って練習してきた。苦手のスイムは夏場に市民プールにだいぶ通ったので、毎週のNASトライアスロンスクールと合わせると月間12km以上。バイクは酷暑で外で走るのが限られるので、室内の固定ローラーで1時間ほどの練習をちょこちょことたまにロングライドで月間500km程度。ランも暑くて夕方に8km程度走るのを週数回なので夏場は月間80km程度しか走ってない。ロング向け練習量としては少ないが、夏が暑すぎるので無理をしないことを重視した。
現地入り~レース前
レース日は9/15(日)なのに、アスリートチェックインを2日前の金曜日14:00までにすませなければならない。金曜日に有給休暇をとり、朝一番の羽田⇒函館便に乗ると、乗客の半分以上はトライアスロン関係者。当初は自転車を飛行機輪行で持ち込むつもりだったが、トライアスロンショップのクロさんがレースに出場するので車でまとめて運んでくれたので荷物が減ってとても楽。
木曜日から現地入りしていたNAS仲間のヒロさんサカモトさんと合流し、アスリートチェックインのあとでイベント会場でさっそく乾杯!(笑)。会場では大勢の顔見知りにも会い、さながらロングトライアスロン愛好家の同窓会の様相。みんなIRONMANの復活を待ち望んでいたんだね。
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競技説明会を聞いた後はせっかくの函館なので五稜郭へ。夜はホテルでレース当日に使う道具や補給食を5つのバッグによりわける。IRONMANのトランジションは独特で、バックの種類も多い。スイムギア、バイクギア、ストリートギア、パーソナルニーズ(バイク)、パーソナルニーズ(ラン)。入れ間違えると当日取返しつかないので慎重に。
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レース前日の土曜日はT1の上磯漁港でバイクチェックインしてから、シャトルバスで30km離れたT2の木古内へ。そのあとT1に戻って試泳のつもりだったが雨雲近づいてきて肌寒くなってきたので、さっさとあきらめてホテルに戻った。函館駅近くの函館朝市にある東横インだったので周囲は飲食店も豊富。レース前日なのでノンアルコール+カーボローディングのために函館名物ラッキーピエロ(ご当地ハンバーガー屋)へ。
夜9時にベッドに入ったもののなかなか寝付けない。ようやく眠ったら、窓を叩く激しい豪雨と風の音で目が覚めた。まだ2時半で起床予定の3時より早い。ちょうど低気圧が北海道を通過中だったからだが、睡眠時間はたぶん4時間くらい? 起きだしておにぎりを胃袋に流し込み、レース用の身支度を整える。ホテルを出る朝4時にちょうど雨が上がってくれたのが良かった。大会本部が手配した道南いさりび鉄道の団体列車で上磯駅まで移動した。
レースレポート
IRONMANの制限時間は17時間と長い。これより距離の長い佐渡国際Aの15時間半より余裕がある。各パートの関門時間もトラブルさえなければクリアできる時間設定されているので、完走が目標の自分としては詳細のレースプランを立てたわけではないが、ざっくりの目論見としてスイム 1:40 バイク 7:00 ラン 5:30 とトランジション 20分として14:30でゴールできれば十分の気持ちでスタートした。
スイム 3.8km
大会の宣伝文句の一つに「スイマー憧れの津軽海峡を泳ぐ」とあったのだけどそんな寒い海で泳ぐのに憧れるわけない(笑)。コースはブイを3つ回って1周1.9kmを2周する。
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水温は21℃と低め。低気圧通過の影響で風が浜に向かって強く、波が高く押し寄せる。遠浅の浜に高い波が押し寄せ、細かい砂が舞って海水の透明度はとても低い。スイムスタートは申告タイム順に3つの組に分けられて、5名ずつ5秒間隔のローリングスタートなのでスタート直後のバトルは少ない。私はスイムが苦手なので一番遅いグループの真ん中あたりの順番でスタートした。
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第1ブイまでは函館山に向かって泳ぐのだが、遠浅で波が高いので、NASで習ったドルフィンスルー(イルカ飛び)をやってみたけど波の力に負けてかえって疲れる。
第1ブイから回って第2ブイへ向かうが、今度はうねりが高くてヘッドアップしても目標のブイがなかなか見えない。しかも悪いことに周回すべき赤いブイ(第2ブイや第3ブイ)が風のため縦に立てられなかったそうで海面に寝かされていて遠くから見えない。第2ブイと第3ブイの間にある黄色い目印ブイが風で浜側に流されているので、無駄に長く泳いでしまったかもしれない。
ヘッドアップしては方向修正を繰り返し、周りの選手も蛇行する人が多くてうまくドラフティングで流れに乗れない。突然平泳ぎする人にがっつり蹴られたりする。そのうちに脇の下がウェアで擦れて痛くなってきた。擦れ防止のワセリンを首の後ろに塗ってあったのだが、脇の下に塗ってなかった。擦れて痛い左袖をまくり上げてごまかしながら泳ぐ。
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1周目スイムアップして時計をみると約50分。予定よりも少し遅いけど今回は関門時間に余裕があるので焦ることもない。
同じように苦しい2周目も終盤に入ったときに、右のふくらはぎが攣った。2ビートでほとんどキック打ってないのに攣ったのは水温が低めのせい?足が攣っても泳いでいるときに伸ばすことできないので、しばらくキックを止めて手だけで泳いで収まるのを待った。
2周目終了して時計を見ると、1時間48分くらい。2周目にほぼ1時間もかかってしまったのか~。これが私のスイムの実力。
スイム結果: 1:48:24 総合 1208位(1550人エントリー) 男60-64歳 112位
バイク 180.2km
バイクコースは函館江差自動車道を北斗中央ICから木古内ICまでを貸し切りにして2.5往復する贅沢なコース。高速道路なのでほぼ直線だが、ゆるやかなアップダウンを繰り返し、特に途中の茂辺地ICからいったん坂を下りてUターンして坂を登り返す。合計の獲得標高は1400mとそこそこ登らされる。
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自動車専用道路のコースは、緩い下り坂ではスピードが出るのでDHポジションで下り、登りに入ってスピードが緩むと、補給食タイムということを繰り返した。補給食はトップチューブバッグに入るだけ詰め込んだ。これまでの反省から飽きが来ないようにできるだけいろんな味や食感のバラエティを増やして、坂で補給を取るのが楽しみになったのはよかった。
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折り返しコースが多いので、知り合いとすれ違って声を掛け合えるのがなかなか楽しい。市街地と違って沿道の応援は少ないけれどボランティアの皆さんが笑顔で励ましてくれる。
120km過ぎたあたりからDHポジション続けるのがしんどくなり、ペースも落ちてきたので、北斗中央エイドでいったん止まり、パーソナルニーズバッグに預けてあった補給食を補充した。
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気温が20℃程度の低めの気温で、昼間に日が差した時間帯はもう少し気温が上がったけれど終始涼しかったのでとても気持ち良くライドできた。7時間以内でトラブル無しで済んだのが何より。
バイク結果: 6:56:28 総合 750位(1550人エントリー) 男60-64歳 50位
ラン 42.2km
ランは基本的にフラットで新幹線の線路を超える2か所だけ坂がある1周14kmを3周するコース。
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走り始めは足が軽く、自分にとってはオーバーペースになりがちだったので6:30/km以上にならないように抑えながら。涼しい気候なので佐渡や宮古島のようにエイドで水浴びする必要もない。
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1周終わって1:40くらいだったので、このペースならランで5時間切れるんじゃね?という妄想が浮かぶが、2周目に入ってがくっとペースが落ちて7分/kmも維持できなくなってくる。目標を「歩かず完走」に切り替え、新幹線を超える坂でほかの人が早歩きしているときも、意地でノロノロ走り続けた。2周目の日没の時間の夕焼けがとても美しく、景色を眺めながら。
3周目になると真っ暗で、ヘッドランプをつけて走る。気温も下がって寒くなってきたが、パーソナルニーズバッグに預けていたウィンドブレーカーを取るほどの寒さを感じなかったのでそのまま走った。これより遅い時間になってしまった人は寒さで走れずリタイアした人もいたらしい。
エイドのボランティアの皆さんが遅い時間まで元気に声をかけてくれて力をもらった。素晴らしい大会にしてくれた地元の皆さんに頭が下がる。
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そして憧れのフィニッシュゲートへ。両脇の観客がボードを叩いて祝福してくれ、ハイタッチで盛り上げてくれる。IRONMANのレース中は苦しいことも多いけれど、このレッドカーペットの幸せがあるから走れるのだと思う。
ゴールしたのは午後9時前。朝6時半からの長い旅だった。
ラン結果: 5:08:38 総合 657位 男60-64歳 32位
合計: 14:10:23 総合 741位 男60-64歳 47位
エントリー人数1550人のうち、完走者は 1310人だった。他のロングレースと違って、海水温の低さや気温の低さに対応できなくてリタイアした人が多かったと聞いている。佐渡や宮古島のように熱中症対策が必要になる大会とは対照的だった。
Anything is Possible
IRONMANレースのテーマとして Anything is Possible が以前から掲げられている。レース中も、パラアスリートが車いすや義足で走っていたり、視覚障碍者が伴走者と走っているのに抜かれる場面もあった。海外から来た高齢のご夫婦が二人で完走を喜び合う姿も目にした。順位など関係なく、それぞれの人が人生をひとつ上のステージに持ち上げるために闘っている姿を一緒に感じられた。
10年前の自分はトライアスロンすら始めようと思ってなかったし、ましてIRONMANを完走するなんてことは想像もしていなかった。実現できる手前の小さな目標をクリアしているうちに、IRONMANのフィニッシュゲートにたどり着いたことが感慨深い。やりたいことがあるなら、一歩踏み出せばよい。人生において Anything is Possible だから。
自分にとってのトライアスロンの旅もそろそろ終着点に達したような気持になっているが、さて次の目標をどれにしようかな。
私が52歳でトライアスロンを始めた経緯についてはこちらの記事を参照:
最後までお読みいただきありがとうございました。本大会の開催に尽力された関係者、地元の皆様、ボランティアの皆さんに感謝申し上げます。IRONMAN JAPANが今後も引き続き開催されることを祈念します。