私と同じ年齢の母校が閉校した話。
先日、たまたま実家に久しぶりに帰ったら、小学校で閉校式があるという。
両親と妹親子と美味しいランチを食べた後は、
悪天候の中、高取の町家の雛めぐりに行って
ほんのついでぐらいの気持ちで、妹と娘たちと私の母校である小学校へ向かった。
私のふるさとはニュータウンで、マンションが沢山立ち並び、マンションの前である小学校の横には大きな大きな公園がある。
アスレチック、大型遊具、グラウンド、噴水、テニスコート。
マンションの中にも公園がいくつもあり、遊ぶのに全く困らない環境だった。
小学校は新しく、校庭も広い。
夏にはその大きな公園で町内の夏祭りがあり、これが盛大でテキヤも沢山来て、打ち上げ花火もあがった。
何もかもきれいで新しく、子どもがいっぱいの街だった。
そのニュータウンが出来て42年。
ニュータウンは今、オールドタウンになっている。
あの頃、小学校はいち学年3〜4クラスあったのが、随分前からひとクラスになったと聞いていた。
子どもが減る一方で、夏祭りのお神輿やビンゴ大会は孫も参加オッケーになった。
テキヤも2日間の祭りのうち、花火が上がる最終日しか来なくなった。
そしてとうとうこの日がやってきた。
小学校が、母校が閉校する。
2つの小学校がひとつになるのだ。
何十年かぶりに見る校舎。
妹と一緒に若干はしゃぎながら学校へ入る。
校舎はリフォームされるので、土足でオッケー、落書きし放題。
歴代のアルバムコーナーや寄せ書きもあり、(なぜかうちの学年のアルバムはなかったけど)知ってる先生の名前を見つけて懐かしい!となったり。
最後はみんな体育館に集合でフィナーレ。
映像の後に校歌の大合唱。不思議と歌える。
覚えてるもんだなぁ。
同級生とも久しぶりに合流して盛り上がる。
同級生は2人だけ出会った。
1人は地元に住んでおり、子どもさんもこの小学校へ通っているという。
最後に小学校の名前をみんなで叫ぶ。
バーン!!巨大クラッカー🎉が鳴り響くと大歓声があがった。
ああ、ひとつの時代が終わった。そう思った。
でも不思議と悲しい気持ちはなかった。
もう校舎とか色々忘れすぎていて、かなしむ感情になれなかったのだ。
もしかしたら、子どもたちが13年通った今住んでいる小学校の方が愛着があるかもしれない。
この文字を書いたのはもしかしたら、H先生かもしれない。
大好きだった先生。
私の人生を変えた小学5年生の担任だった先生。
毎日学級通信を手書きで書いていた先生。
毎日家で保管し、最後にそれを学校に持って行き1冊の本にした。
先生は私が高校2年生の時に、40代という若さで病気で亡くなった。雨の中、制服にコートを着て、みんなでお通夜に行った。
先生との思い出も、小学校の思い出と共に私の心の中で今まで通りこれからも生き続けていくだろう。
私の母校はなくなっても、思い出は消えない。
私は今を生きている。
強くそう思った。