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冬の木の芽で一句

枝のさきツボミのまえの冬芽かな


冬の通勤路。
枝先の芽に気づいたときは驚きました。
今の今まで、冬の芽を知らなかった自分に驚いたのです。
葉を落とした冬枯れの木が好きで、たくさん見入ってきたのに、その枝先に一度も目を向けなかったとは、なんてことかと……。

その埋め合わせをするように、最近、''冬木の芽''を目当てに歩き回っているのですが、飽くことなく、枝を見上げるのが楽しくてしかたありません。
いつツボミになるのか気になって、それがまた楽しいのです。
そして、この気持ちを俳句にしてみたいと切に思いました。
''冬木の芽''というのも、タイミングよく出逢えた冬の季語で、

枝さきに小さな息吹冬木の芽
――が、真っ先に浮かびました。

その後、歳時記で”冬芽”と出逢い、出逢ったとたん、桜のツボミが頭に浮かんで、

枝のさきツボミのまえの冬芽かな
――に、なりました。

「の」の字が3つもあるので、「枝さきに」へ変えて音読してみたところ、「枝のさき」の方がキレ良くおさまると感じましたが、なかなか決められず、独り俳句のもどかしさを痛感しています。

と、句作の裏側を表に出したのには理由がありまして、俳句の醍醐味というかなんというか、そういった何かを、初めて実感したことを表現するのに必要な気がしたのです。

先週からは二十四節気の大寒で、次の立春までの間、最も寒い時期にあたるとされています。
冷え込む毎日。
朝、布団から抜け出すのも億劫なのに、通勤のバスの中、俳句を考えている間、私は春を間近に感じていました。
バスの窓から見える冬枯れの桜の木に冬芽を思い、もうすぐ立春と、春が間近に思えてきたのですね。
それは、今までにない不思議な感覚でした。

「花の前はツボミ」という自分の考えが、「ツボミの前に冬芽あり」へと変化した瞬間だったと思います。
そのため、”冬芽”という季語に出逢ったとき、すぐに”ツボミ”を連想したのだと思うのです。

ツボミのまえの冬芽。
ごくごく当たりまえのことではありますが、わたしにとっては、目から鱗な発見となりました。

以下、冬芽を愛でながら撮った写真です。
お気に入りの一枚は、ここぞとばかり、トップ画像にいたしました。

左:散歩道
右:通勤路
”冬芽と曇り空”でも一句、
詠んでみたいと思った枝先

お読みくださり、ありがとうございました。


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