開発中のゲームを他作品で例えることの是非
こんにちは! かにまろです。
「このゲームは『カービィのエ●ライド』っぽい感じにしたいんだよね」
こういった例え、開発現場ではよくあります。
これ、よくないかも? という話です。
『カービィのエ●ライド』を知っている人にとっては、一発で伝わる良い例えなのかもしれません。でも、知らない人からしてみたら、なんのことなのかさっぱりです。
※ちなみに『カービィのエ●ライド』は、『スマブラ』の生みの親である桜井氏が制作したNintendo64のアクションレースゲームです。
話についていけない時間が生まれる
例えた作品を知らないスタッフは、話に参加できません。
手元にノートPCやスマホがあればその場で調べられますが、そうでなければ自席に戻るまでチンプンカンプンのまま話だけ聞いていることになります。
時間がもったいない!
時間だけでなく、理解できていれば出せたアイデアを議論する機会も逸してしまいます。
誰もが理解できるように説明するほうが、手間なように見えますが、良い作品を作るうえでは大切だと思います。
開発現場にはいろんな人がいる
開発現場には、いろんな人がいます。
20代女性、50代男性、独身、既婚、親にゲームを禁止されていた人、幼少期からずっとゲームに親しんでいた人……。Nintendo64時代からゲームを始めた人もいれば、64なんて見たこともない人もいます。
そんな中で、プロジェクト全員が例えたゲームに精通しているだなんて望み薄ではないでしょうか。
50代男性が古いゲームで例えても、20代女性には伝わらない場合があります。古すぎて実況動画もなく、調べることすら難しい作品もザラです。
同様に、20代女性が最新のゲームで例えても、50代男性には伝わらない場合があります。そのゲームのターゲットが若年層だったり、家庭の事情でゲームに割く時間がとれないこともあるでしょう。
「ゲーム開発者なんだから、いろんなゲームを触っていて然るべきだよ」
「わからない人が勉強不足じゃない?」
そう切り捨てるのは簡単です。
実際に成功するのはたくさんのゲームに触れている方でしょうし、スタッフにそうあってほしいと望むのはもっともだと思います。
同時に、理想論だとも思います。
子育てや介護等でゲームができないスタッフもいるかもしれません。なにより、給料を払っているのは会社にいる間だけです。プライベートの時間をゲームに割いて当たり前という態度は、(間違いとまでは言いませんが)表に出さないほうが賢明だと思います。
議論は、例えた先のゲームをやったことがない人に配慮しつつ進めたほうが、お互い有意義な時間を過ごせるのではないでしょうか。
言語化するのが開発者の仕事
例を掘り下げて、『エ●ライド』のどういうところが良いのか。
操作が簡単で子供にわかりやすいのがいい
マシンが個性的でやりこみ要素がある
開発者なら、例えたゲームのどういったところを取り入れたいのかまで言語化したほうが良いです。例えたゲームを知らないスタッフに伝わりやすいのはもちろん、例えたゲームを知っているスタッフとの認識違いも防ぐことができます。聞き手は、『エ●ライド』からドリフト走行を連想するかもしれませんし、演出は爽快なものにしたいのだと受け取るかもしれませんから。
発言者がなぜそのゲームに例えたのか説明しない限り、聞き手は知る由もありません。例えたゲームから何を連想するかは、聞き手によって個人差があります。誤解を解消できずに作業を進めてしまうことも珍しくはないです。
言語化は、企画者の大事な仕事の1つです!
例えて終わりではなく、どうしたいのかを具体化・言語化したほうがスタッフも良い仕事ができるのではないでしょうか。「知らない相手が悪い」と開き直る前に、言語化しきれていない自分の力不足を省みたほうが建設的かと思いいます。
桜井政博さんもそう言ってた
ちょっと別の切り口ではありますが、桜井さんもゲームを他作品で例えることについて語っておられました。
おっしゃる通り!!!
まとめ
筆者も、何かと好きなゲームを例に挙げがちです。
システムやグラフィックの説明はもちろん、「あの作品は売れているから、このシステムは面白いのである」という証明や言い訳のように使ってしまうこともあります。
実際、教えを乞うていたベテランの方に、例えすぎを注意されたことがあります。この記事には自戒の意味も込めています。
ゲームを他作品に例えることはやめよう!
例えるなら、その作品の何を取り入れたいのかまで言語化しよう!
正解がある話ではありませんが、よりよい議論ができるように、筆者も日ごろのふるまいを見直していこうと思います😤