母という呪縛、娘という牢獄
帰りの電車で優先席に座れたのも束の間、僕はちょっとした吐き気に襲われた。
昨日から読み始めた「母という呪縛、娘という牢獄」を半ばくらいまで読み進めた段階で、胃がムカムカとし、何かが込み上がってきたのだ。
それでも止まらず読み進めた。
そして電車を降りた僕にある考えが湧いてきたのだった。
「父は、僕のために母と離れなかったのかもしれない。」
僕の母は、この小説に登場する「母」ほどではないにしろ、いわゆる「毒親」感がまあまああった。小説に登場する「母」のセリフはところどころ母に通じるものがあった。僕は吐き気を感じた。
父は聡明な人だった。小説の「父」を「止まり木のような存在」と書いているのに共感した。
だからこそ、そんな父には母がどのように見えていたのか、ずっと気になっていた。ただし、そんな考えを巡らすようになったのは父が死んだ後だった。確認しようにも、もうできない。
父からすれば、母のそういう「毒親っぷり」には辟易するものがあっただろうし、そんな人と最後まで一緒にいた理由がわからなかった。
でも、この本を読み進めて、「もしかして」と思った。
子である自分のためだったのでは・・・?
この小説の「父」はさまざまな事情もあって、結果的には「母」に嫌気がさしたようで、別居状態になったと描かれている。
僕の父は、母と離れた後の母を想像していたのではないか。
もし僕と母だけの生活になったら、母の溺愛っぷりがエスカレートし、一方で精神が蝕まれて最悪な結果になるであろうことが予想できていたのではないか。
だからこそ、僕を最後まで見届けるために、母とバランスをとり続けるために、母と一緒にいる道を選んだのではないか。
そう考えると、父の仏壇に手を合わせずにはいられなくなった。
僕は帰り道に母の家に寄って、父の仏壇に手を合わせてから帰ることに決めた。
母とは何を喋ろう。最近はそこまで憎たらしくはなくなったけれど、急に僕が一人で家を訪れたら、妙だと思うだろう。
でも、父のことを考えたら、母とも普通に喋った方がいいのでは、という気にもなってきた。
LINEで
「ちょっと帰りに寄って行くから」
とだけ送り、僕は母の家を訪ねた。
僕が返さないことを知っているのに1日に何通もLINEを送り続ける母にしては珍しく、今日の僕からのLINEに気づかなかったようで、ドアを開けると
「どうしたの」
と言って僕を迎え入れた。
「ちょっと父の部屋の本棚を見たいから」
と嘘をついて、母の家に上がった。
とりあえず父の部屋に入る。
そういえば父の写真を最近見ていなかった。
母はテレビを見始めている。
こっそり、本棚にあるポジフィルムのバインダーを手に取った。
一冊の街撮りスナップに目を通した後、懐かしい字体で「家族」と書かれたバインダーを恐る恐る開いた。
ライトボックスから浮き上がる僕の顔。
剽軽な幼い自分。怪訝そうな自分。
キメ顔の祖父。もはや記憶にもない祖母の顔。
そして、なんとも普通な、若々しく、そして愛らしい母のポートレイトがあった。
少し前に僕が考えたことは勘違いだったのではないかと思った。
父は、ちゃんと母を愛していそうだった。
そういう写真だった。
そして、そんな父と母に囲まれている僕は、とても普通だった。毒親という言葉は似つかわしくなかった。
父はこの家族の記録を残していた。
父の仏壇に手を合わせ、ほんの少しの間、母と昔話を楽しんだのち、妻と子が待つ家に帰った。