僕はなぜ京急の街を撮るのか|Kaniemon自己紹介
アカウント名を「京急の街フォトグラファー」としてしまった。
半分、決意表明みたいなものだ。続かなかったら笑ってください。
僕は今、京浜急行の街を、なるべく全部、数年かかってもいいから、写真を撮りたいと思っている。
品川から浦賀までの本線、京急蒲田からの空港線、京急川崎からの大師線、金沢八景からの逗子線、そして堀之内からの久里浜線。
合計72駅。
一つの駅が一つの記事で収まらない可能性もあるわけで、終わりを考えると途方にくれる。
お金になるわけでもない。
むしろ出費なわけで、こんなことして意味があるのか。
しかし僕は、これまでの人生で全然乗ってこなかったこの路線に、今は「撮らねば」と使命感さえ感じるようになっている。
「生きねば」ではない。
「撮らねば」だ。
僕が今なぜ「京急の街を撮らねば」、と考えているのかを分解して、自己紹介としたい。
なぜ撮るのか
僕がなぜ写真を撮るのか。
それはカメラが見せてくれる映像がおもしろいと感じるからだ。
目で見ている世界と違うからおもしろい。
その違いは光と影のコントラストであり、色であり、遠近感であったりする。
これほど技術が進歩してもまだカメラという機械は人間の目ほど器用でない。
様々なものをカメラのもつ制限を通して見ると、制限の中で捉えた新しい世界が見える。
ときどき気に入らないときがあれば設定を変える。
「ちょっと違う感じで見せてよ」と、カメラに要求をする感じで。
カメラ見せてくれた絵を「おもしろいね」と思えたら、今度は自分の番。
それをもっとおもしろく、印象的に感じられる構図を探してシャッターを押す。
撮影ってこのプロセスがおもしろい。好き。
カメラで見た世界は、目で見ている世界みたいに全部がクリアに見えているわけではない。
あくまでもカメラが見ている世界、見えている世界。
それを「いいね」って選んだのは自分だから、自分のその時の気分が乗っちゃっている。
他の人から見ても、なにか「いいね」と思えるものがあったら、、、と思っているから写真を撮り続けている。
僕にとっては壮大なテーマであったりする。
なぜ街を撮るのか
もう一つ踏み込んで、僕はなぜ街を撮るのか。
それは今見えているもの以上の「なにか」が写っているような気がするから。
人の感情や欲望、孤独、愛。
ものや建物の歴史、人の痕跡、思想など。
そういうものが写真に写ってたらおもしろいな、なんて気持ちで街の写真を撮る。
僕らは毎日のように「街」というものを通り過ぎている。
目はそれらをとらえているわけだけど、実はそういった街が醸し出すものを、あんまりリアルに感じとってはいない。
いや、感じとってはいても、いちいちそんなものに構っていたら通り過ぎることができないから、気に止めないだけかもしれない。
そんな些細なことに構っていられるほど、僕らは暇じゃない。
そういう街が醸し出すなにかを、じっくり感じてみよう、というのが、「街を撮る」という行為である。
普段じっくり感じていないから、一度それを感じようとすると、意外とできなかったりする。
頭でっかちな僕はとくに苦手。
だから街の歴史を調べて、そこからヒントを得たりする。
そうして感じる街はとてもエキサイティング。
それを求めて、街に行き、それが写り込むことを期待して写真を撮る。
なぜ京急の街を撮るのか
さらに踏み込んで、なぜ京急の街を撮るのか。
それは京急の街が醸し出すものがおもしろいからという他ない。
僕にとっての京急の街とは現代の東京近郊を作り上げるために必要だったものの集合だと思っている。
今ある他の街ももちろん大事。
でも他の街に対してなぜ必要だったのかを問えば、その多くは「商業、住居空間として」ということだと思う。
一方で、京急の街は商業、住居空間もありつつ、それ以外の存在意義が多くあるユニークな地帯だと思う。
工業、漁業、国際貿易、軍事防衛、信仰、エンターテインメント。
それらは、戦後の日本を作る礎として急いで形にする必要があった。
しかし戦後75年、時代は変わり、今も現役で大事にされているものもある一方で、持ち主が変わったり、置き去りにされているものもある。
そんな激動の時代が塗り重ね、注ぎ足し続けた秘伝のタレみたいなものを感じるには京急の駅が一番いいような気がしている。
それはそうだ。
戦時の首都東京の最終防衛ラインとしての東京湾。
太平洋ベルトの主要工業地帯の中でも最も大きい京浜工業地帯。
そこを南北に縦断するのが京浜急行である。
そんな街に暮らす人や建造物に、なにか独特なものを感じる。
カメラがそれを形にして見せてくれないか、対話をしながら、写真を続けようと思っている。
僕のnoteを紹介
そんなわけで京急の街シリーズはこちら
また、この自己紹介に続いて、あらためて写真を撮るスタンスをまとめた記事がこちら
その①
その②
最近、写真は自分を理解する、分析する、深ぼるためのツールだと思っている。