Radio TeRec 第四週
「あら。珍しいわね。一花が図書室で読書だなんて。
・・・ってなんだ。またO・ヘンリーか」
「いいじゃん別に~。
だって何回読んでも泣けるんだもん。
それより勉強家になった私を褒めてもいいんだよ~」
「いつも同じ本しか読んでない人は勉強家とは言いません」
「え~こんだけ読んでれば、国語の勉強になるでしょ~」
「アメリカ文学を読むことで日本国語が学べるなんてどんなアクロバットよ。
それにしても好きよね・・・『最後の一葉』
何回目よ。」
「それはもう本が擦り切れるまで!!
そういう静江は・・・本が好きな割にこの話は・・・」
「別にこれに限った話ではないけど、私にだって好き嫌いはあるわよ。この話は嫌いってほどではないけど、あまり自分の美学にあっていないと言うだけ。
なんだかんだで読んでいるわよ『最後の一葉』。一花ほどではないけどね」
「文学少女とは思えないほどの歯切れの悪い回答ね~」
「ビブリオマニアになったつもりはないわ。それによほど気に入っていない限りは繰り返し読まないってだけよ。いろんな本が読んでみたいのが主軸なんだし。
それに『最後の一葉』は昔ほど毛嫌いしていないんだからいいでしょ。」
「まぁ最初の頃は私も少し気圧されたくらい拒絶してたしねぇ~」
「それを差っ引いたとしても、このパターンのオチで終わるドラマや小説が乱立していて、正直食傷気味だから、あまりみていないのよ。」
「あははは・・・・静江は本読みすぎて頭でっかちになってるんだよ~。
私も同じパターンのドラマ何個か見るけど、いつも泣いちゃうんだ
というか昔より今の方がなく回数増えている気がするなぁ~」
「やれやれ・・・単純というか記憶力がないというか・・・」
「なにおう!言ったな静江~!」
夕暮れの教室。かつて一花と他愛もない話をしていた教室で、静江はため息をつきながらただずんでいた。
一花が倒れてから1週間は経とうとしていた。一花の容態は依然予断を許さない状態だった。
倒れた原因は、今回の入院のきっかけとなった、肺高血圧の悪化だった。
つい先週までは、月1回の通院でも大丈夫なレベルまで回復していたのだが、こうして悪化したことに、退院はお流れとなった。
医師は悪化の原因は不明だと言っていたが、静江には思い当たる節があった。
「私が・・・負荷をかけたせいなのかな・・・・」
喧嘩をした日から一花が倒れるまで2~3日は口も聞いていなかった。
その時期の一花の精神状態はかなり悪かったと思われる。
それを含む色々な要因が絡み合って、肺高血圧を悪化させてしまったのかもしれない。
心臓の他にも色々な臓器に負担がかかっている可能性があるので、この先どんな症状が出るかもわからない。
主治医曰く、安静していれば、回復するだろうが、どうなるかわからないので、最悪の事態も覚悟するようにと言われている。
静江は何の光も灯らないスマートフォンの画面をじっと見つめていた。
一花の両親から連絡が来るかもしれないと思って、ずっと眺めているのだが、だからといって、スマホをいじる気にはなれない。
現在一花がいるICUには両親だけが入ることが出来ている。親族ではない静江にはどうしても入ることができないので、静江は一花の両親づてに容態を確認している。
静江の両親の件もあって、静江と一花の両親は割と良好な関係となっている。
そのため一花が悪化する前は、二人が忙しいのもあって、静江が代わりに面会を行っていたのだが、今はそうも言ってられないので、2人は交代で一花のもとに付き添っている。
黄昏時の教室、そろそろ学校を出ないと先生に注意されるかもなぁ~と思い始めたその時
「・・〈ザーーー〉・・お・・(ザーッ)・お・・き・(ザザッ)・・か・・・」
無言だった教室に突如、聞きなれた声が響き始める。
あの人を包み込むような優しい声が・・・。
静江は思い出したかのように、カバンからその声の元となるものを取り出した。
一花から預かったあのラジオを・・・。
ICUにラジオを持ち込むことは可能なのだが、入室前に一瞬目を覚ました一花が静江に渡してきたのが、お気に入りのO・ヘンリー短編集とこのラジオだった。
「・・・これじゃあまるで形見じゃない・・・」
静江は嫌な予感を必死に振り払いつつ、ラジオから聞こえる声に耳を傾けた。
「・・・ん。静江か?てっきり一花かと思ったが・・・」
「・・・久しぶりね。前に話したのは10年前ということで良いかしら。」
「んだ。声が聞こえてきたから、二人と話せると思って、杉さ来たんだが・・・。
あまり穏やかな状態じゃなさそうだな。」
「・・・」
「無理に話を聞くつもりはねぇ。言いたくなったら話してくれたら、それでいい」
最初に一花の声が聞こえなかったことと、静江から伝わってくる沈痛な空気を察したおゆきは、一花の身に何かがあったことを理解した。これはおゆきが一花が入院した直後からの付き合いだからというのもあるが、おゆき自身が長年色んな人間と接してきたが故に、察することができるというのでもある。
「ごめんなさい・・・まだ気持ちの整理がつかなくて・・・」
「まぁこんな状態で落ち着けというのは無理な話だ。
流石のわもわらじで床の間に上がるほどほんじなしではねぇべ」
今の静江には一花に対して何もできない。ましてや過去の人間であるおゆきに何ができようか。
今は気持ちを落ち着かせて見守ることしかできない。
「・・少し気晴らしになる話でもするか?嫌ならやめておくが。」
「・・・お願いしてもいい?
黙ったままだとかえって落ち着かないし・・・。」
静江はもともと口数が多い方ではない。
一花などごく一部の人間を例外として、基本他人に対しては黙っていることが多い。
おゆきもその例外に入りつつあるのだが、今は口を開くのがしんどい状態だった。
かといって、無音のままなのも今は辛い。嫌な想像しか湧いてこないからだ。
静江の了承を得て、おゆきは話し始めた。
「10年前、静江が教えてくれた通り、戦は無事終わっただ。
太閤殿下のとりなしもあって、為信様は津軽を納めることができるようになっただ。」
戦の終結とともに、おゆきの村も平和になったという。
「最初は野駆けで捕まえた鷹で認めてもらえるか、わは不安だったが、秀吉様はお気に召していただけたみたいだっただよ」
もちろん鷹を献上しただけが決定打ではないのだが、このような地道なやりとりを積み重ねたのが、最終的な信用につながったのだろう。
「太閤様に認めてもらってすぐぐらいの時に、為信様が都に出向くことさなっただ。
わも僭越ながら、付き添いをさせてもらっただ。」
「お子さんはどうしたんですか?」
前回の太郎の件を聞いているので、静江は子供のことが気になっていた。
「あぁ。四郎が行きたがっていたから、連れて行ったど。
三郎は兄達の墓を守りたいということで、十腰さ残っただ。
元服もしているし、若い衆の中で立派に働けてるだ。」
おゆき曰く、太郎の一件を反省して、農作業の後、若い衆を集めて、村の運営に関わる勉強会を行うようにしているそうだ。この勉強会には、おゆきに勉強を教えた大浦の教師も協力してくれることもあるそうだ。
その甲斐もあって、今ではおゆきがいなくなっても十腰内は回るようになったそうだ。
「ま、本来あるべき姿さなったってことだ。村をまとめるのは男の方が様さなるべ。」
「それもそうね。」
前述の通り、おゆきの時代は歴とした男性社会だ。
例外もあるが、おゆきのように女性が村をまとめるのは稀で、奇異の目で見られやすい。
「あの事件から教訓を得て、今の形になったというなら、太郎君も浮かばれるわね・・・。」
「太郎がこのことをどう思っているかはわからねぇが、病死した次郎をはじめ、三郎、四郎とは、できるだけ話っこする時間ばとるようさしている。
村全体でも子供の数をこれ以上減らさないように、見守る体制を整えてきただ。
色々あったが、2人の息子とは、腹を割って話せるようさなっているだ。喧嘩もよくしているけどな。」
そう言っておゆきは照れくさそうに笑った。
「・・・そうか。そうだよね・・・。
これが本来の親子の関係なんだよね・・・。
一花のところだってそうだったし・・・。」
一花の両親は本来は毎日でもお見舞いに行きたいくらい一花のことを心配しているのだが、一花の『二人が仕事休んだら誰が生活費と入院費を稼ぐのさ?私は大丈夫!1人でもなんとかなるよ。それに静江だっているし』という言葉に押されて仕事に出るようにしていたのだ。
一花のところはなんだかんだで親子仲はいい方なのだ。
「ありゃ?
かえって静江にとって具合の悪い話だったか。
いけねぇいけねぇ。もっと明るい話題さかえるか。
わもまだまだだな。」
「・・・いいの。私が勝手に連想して落ち込んでいるだけだから。」
「ただでさえ一花のことがあるのに・・・・。
これ以上は体に毒だな。」
「・・・少しだけ解毒に付き合ってもらえます?
溜まった膿を出したいので・・・」
「かまわねぇ。静江が話たいというならな」
静江は周りに誰もいないことを確認した上で話しはじめた。
「私の父と母の仲はとても悪かった。いつも喧嘩ばかりしていた。
だからいつも家にいるのが苦痛だったの。」
静江の両親は若くして結婚した。しかも母親は結婚前にはすでに静江を妊娠している状態だった。
「父はいつも仕事から帰った後、意味もなく私を殴った。
母はそんな私を見て見ぬふりをしていたの。」
静江の父は、素行が悪く、仕事を常に変えていた。
そして仕事終わりに酒を飲んでから帰ってくるので、なおさら暴力的だった。
暴力以外でストレスを発散できない人だった。
「だからこそ、本を読むことで現実から目を背けていたんだと思う。」
静江の母親は本を読む人だったので、静江の家には少ないながらも本が置いてあった。
絵本を読むのに飽きた静江は、よく置いてあった本を繰り返し眺めるようになっていた。
だから小学校になるころには、図書館にある本は大抵読めるくらいには、読書ができるようになっていた。
「家の中にいれば苦しいだけだから、どうすれば家に帰らなくて済むのか、毎日考えていた。」
静江の家で起きていたトラブルは、母親が必死に誤魔化していたので、外に漏れ出ることはなかなかなかった。
深見家がコミュニケーションが苦手な家庭だったのもあって、静江が小学校に入って2~3年は深見家の異常が知られることはなかった。
いや、知られたとしても、見てみぬふりをされるかもしれない。
「そんな行き場をなくして、心を閉ざしていた私に手を差し伸べてくれたのが一花だった」
「としょしつってだれもいないんだな~
しずかすぎてつまらないかも~
あれ?だれかいる?」
その日静江はいつも通り図書室で遅くまで本を読んでいた。人気があまりない部屋の隅っこの席で。
そんな空間に、静寂とは無縁の一花が入ってきたのだ
「ねーねーなによんでいるの~」
「・・・」
「わーすごい!むずかしい字ばっかかいてる~
なんてご本なの?」
「・・・O・ヘンリー短編集」
「え?お~へん・・・なにそれ?がいこくの人?」
「O・ヘンリー。アメリカの人よ。これはアメリカの小説なの」
一花のぐいぐいと来る感じに、喋り慣れていない静江はただただ戸惑うだけだった。
「ほかにもいっぱいあるね~ぜんぶあなたがよんだの?」
「・・・うん」
「なんてよむの?
れいぶらぶら?じょんおうる?」
「レイ・ブラッドペリ、ジョージ・オウエル」
「へぇ~がいじんさんすきなんだ~」
「・・・日本の作家も好きよ。これとか。」
「みちのくの・・・かんじばかりでよめない・・・
むずかしそうなごほん。」
「私は好きだけどな・・・。昔のことが知れて。」
最初は鬱陶しいと感じていた静江だが、一花の人懐っこさもあってか、ぎこちないながらも話せるようにはなっていた。
「せっかくだし、わたしもなにかよんでいよ~っと」
「漢字いっぱいだけど大丈夫?」
「わからなかったらあなたにおしえてもらうよ~。えーっと~」
「静江・・・深見静江」
「しずえちゃんか~。かしこそうなおなまえだね~。
わたしは一花!大道寺一花!!」
「この時の一花は、外で遊ぶのが大好きな女の子だったの。だから私と会うまでは、全くと言っていいほど本を読んだことがなかったって言ってた」
「今の一花ですら本を読んでいるのが想像つかないな」
「そうね。今でもあまり本は読まないわ。
ある一冊をのぞいてね・・・」
そう言って静江は一花から預かったその本を握りしめた。
「しずえ~しずえ~ごほんよんだよ~」
「本当?ちゃんと読めたの?」
最初に静江と一花が出会ってから2ヶ月が経っていた。
この時期、一花はほぼ毎日図書室に遊びにきていた。
最初は外で遊ぼうと誘ってきたのだが、静江が嫌がるので、ここでおしゃべりをするようになった。もっとも一花が一方的に話しかけて、静江は頷くだけだったのだが。
そんな、本を読んでいるかどうか、どちらかというと読んでいなさそうな一花が本を読んだというのだ。静江にしてみれば、会話のたね欲しさに嘘をついているのではと疑ってしまった。
「うん。おとおさんとおかあさんがてつだってくれたからさいごまでよめたよ」
父と母が手伝ってくれた・・・。つまり一花は両親と仲が良いのだ。
それが静江には羨ましくもあり、妬ましくも感じていた。そんな仄暗い感情を必死に隠しつつ、静江は感想を聞いた。
「どうだった?面白かった?」
「う~ん。このオーウェルってひとのごほんはなんかいやなかんじだった。
ぶたさんきらいになりそうだった。」
一花が持って行った本の一つはジョージ・オーウェルの『動物農場』だった。
静江はこの支配者によってもたらされる地獄のような環境で、必死に生き延びる動物達に自分が重なるので、かなり気に入っていた。一方、表紙を見て、可愛いからという理由でこの本を選んだ一花の感想は違った。
「なんかなにもしていないくせにぶたさんえらそーなんだもん。そしてそんなぶたさんをだれもたおそうとしないなんておかしいよ。わたしだったら、そんなわるいやつなんて、パンチしてぶっとばしてやるもん!!」
「そんなことできないよ。大人の世界では、豚みたいな人が1番強いんだから。拳で解決なんてできないのよ」
「そんなことないよ。わたしはこうみえてからだをうかすのとくいなんだ。ドッチでもバスケでもトップになるんだから、けんかしてもかてるよ」
何を根拠に勝てると言っているのか静江には理解できなかったが、一花はそんなのお構いなしに笑っていた。その顔をよく見るとところどころ赤い湿疹みたいなのが出ていた。
「ん?どうしたの?
あ~かおのぷつぷつね~。うまれたときからこうだったんだよね~
まぁそとであそぶことできるからもんだいないけどね~」
まだ見た目を気にするお年頃ではないみたいだ。
「そういえばもう一冊の方はどうだった?」
そのもう一冊は、何故一花が持って行ったかわからなかった。
正直自分はそこまで気に入っている本ではなかった。
「あ、あのはっぱのおはなし?
うん!よんだ!すごいおもしろかった!
やっぱりかみさまっているんだね!」
「え?」
最初一花がなんの話をしているのかわからなかった。
葉っぱ?神様?
そんな話あったっけ?
「ちょっと!なんの話をしているの?どれのどれよ!」
「お、おおきなこえをださないでよ!
これだよこれ!」
そう言って一花はとある本のあるページを開いてみせた。
それが『最後の一葉』だった。
「葉っぱってそういうことね・・・。でも神様って・・・」
「うん、さいごにびょうきのおんなのこのためにはっぱのついたきをかいたおじいちゃん。このおじいちゃんがかみさまだよ。だって、おじいちゃんがかいたえをみたおんなのこはびょうきがなったんだよ!
こんなことできるのかみさまだけだよ・かみさまだからおんなのこをたすけてくれたんだよ」
一花は少し誤った解釈をしているな。静江はそう感じていた。
静江はこの話は、物語としては面白いとは思っても、好きになれなかった。
絵に描かれた葉っぱを本物と錯覚するとはとても思えないとか、病気になるほど食い詰めているのに画家をやっていることとか、個人的に納得いってなかった。
でも1番納得がいかないのは・・・。
「黙っていたって、神様なんて助けに来ないわよ・・・。」
「??」
「ただじっと待っていたって、だれも助けてなんかくれないわよ!!
神様なんて!神様なんて!いるわけないじゃない!!」
そういうと静江は図書室を飛び出した。
静江がここまで感情を爆発させたのは、生まれて初めてだった。
一花の恵まれた環境への嫉妬と、ご都合主義で救われる小説の登場人物への怒りで、感情が制御できなくなっていた。
後ろから一花の呼び止める声が聞こえてきたが、無視してその場を走り去って行った。
「10年・・・じゃなくて1週間前か。
1週間前の喧嘩を思い出すような話だな」
「まぁ先週の方がひどかったんだけど、それでも、あの時の私はぐちゃぐちゃで、支離滅裂だったわ。今わかることだけど。」
「えてして賢いと思っている人ほど、自分の気持ちってやつは理解できないものさ。
怒って、泣いて、初めて、ようやく気づくことは多々ある。
それで一花とはどうやって仲直りしただ。」
「それこそこの時は先週以上に大事になったのよ。でもなんとかなった。
一花のおかげでね」
一花から逃げたしてから1週間。静江は図書室に近づかなかった。
一花の顔を見たくなかったからだ。
しばらくは公園の隅っこで、借りた本や家にある本ばかり読んでいた。
当然家には1秒たりとも居たくなかった。
そんなある日の夕方。
「あ!いた!しずえ!さがしたよしずえ!あいたかった!」
1週間ぶりに聞いた、あの遠慮のない、威勢のいい声
「・・・・私は会いたくなかったよ」
「しずえがいやでもわたしはあいたかったもん!!」
「・・・・要件は何?
私は今すぐ家に帰らないといけないのよ・・・
くだらない用事には付き合ってられないんだから。」
「なんのようじ?」
「父と母が待っているから・・・」
正直この時間に2人が待っていることはないのだが、今は一花をあしらうことができたなら、それでよかった。
「ほんとうにまってるの?」
「そうよ!何?疑っているの?」
「うん。」
「なんで?」
「・・・だって・・・だって・・・
おとうさんとおかあさんがいえでまっているなら、いつもおそくまでとしょしつにいないもん!!」
一花が最初に静江を見たのは、図書室で話しかけたあの時ではない。
一花は図書室を通るたびに静江がそこにいるのが気になっていたのだ。
「・・・勝手に人に付きまとうなんて、ストーカー?」
「しらないし!そんなのいまかんけいないし!
しずえのおとうさんとおかあさんはほんとうにうちでまっているの?
こたえて!!」
「それこそ、そんなのあなたにとってかんけいないでしょ!!
ほっておいてよ!!」
「いやだ!わたしはしずえとなかよくなりたい!しずえをたすけたいんだ!!」
静江の怒声に負けない声量で一花は叫んだ。
「ずっとひとりぼっちでとしょしつにちてさみしそうだった!
いつもほっぺたをいたそうにさすっててつらそうだった。
たまにごほんよまないでないていた。
そんなしずえをみて、たすけたいとおもった!」
「知ったふうなこと言うな!
何も知らないくせに!いつも家に帰れば暖かいご飯が出てくるほど恵まれているくせに!
自分にはどうすることもできない暴力に贖う力もないくせに!
私のこと・・・・私のことを助けるなんて・・・・軽々しく言うな!!」
「それでも、それでもたすけるもん!!
ほんとうはたすけてほしいのに、しんじきれなくてわたしをわるくいってることぐらいわかるもん!!」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!
嫌い嫌いきらい嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い!大嫌い!!」
静江は感情赴くままに泣き叫んだ。一花はそれを一身に受け止めた。
「・・・・」
「おちついた?」
ひとしきり泣き叫び、罵倒し尽くした静江に一花は話しかけた。
「本当に・・・本当に助けてくれるの?」
「・・・しずえが”助けて”っていってくれたら。」
「本当に?」
「やくそくする!かみさまにちかって!」
一花の目は本気だった。
ある程度歳を重ねた大人なら疑ってしまうような純粋無垢なそのまなこに、大人になりきれない静江の心は溶かされていた。
ちょっとは、信じてみたい。そう思うほどに
「・・・・けて」
「・・・・」
「助けて!
私は助けて欲しい!もうお家に帰りたくない!
おとうさんとおかあさんにあいたくない!もう殴られたくない!」
その声が響くと同時に複数人の大人が、一花と静江の前に駆けつけた。
そしてもう大丈夫だと話しかけてくれた。
それが児童相談所の職員と一花の両親であることを、静江はのちに知ることとなる。
「ここまで迅速な対応が出来たのは、私と喧嘩した後、一花が両親や祖父に相談してくれたからだったの。」
喧嘩をする前から、静江の言葉に疑問を感じていた一花は、夕食の席で両親に、遊びに行った祖父の家で祖父に、静江の振る舞いからやり取りまで、詳細に伝えていたのだ。
真っ先にそれが虐待の可能性があることに気づいたのは祖父だった。
早速知り合いや児童相談所の人と掛け合い、証拠を集め、静江が助けを求めたら、すぐに動けるところまで持って行ったのだ。
「一花のじっちゃはたんげ傑物だな。動きに迷いがないだ。」
静江は、おゆきの時代には知られていない単語を使わないようにして話をしたのだが、その歯抜けのような話でも、おゆきには一花の祖父が優秀であることが伝わったみたいだ。
「一花の祖父は確かにすごい人だったみたい。
一花の病気が最初に見つかった時も、初動で全部対処してくれたみたいなの。
一花はそこまでしてくれた祖父のことが大好きだったの。」
強皮病は基本的に全身症状になることはない。
ただ初動を誤ると今の一花のように悪化するリスクもあった。
それを早めに見越して、祖父は専門の病院を見つけ出して、一花を診てもらったのだ。
「すげぇな・・。親として立派だべ・・・。わにとっては耳の痛い話だな。」
おゆきは太郎と次郎のことを思い出してバツが悪そうに言った。
「一花の祖父は特殊よ。
おゆきにとっての為信様みたいなものよ。
それにおゆきは私の両親と違って、子供たちと常に向き合っているじゃない。」
静江にしてみれば、おゆきと太郎の言い争いですら、手の届かないものだった。
それだけ静江と両親の関係には絶望的な溝があったのだ。
「ははは・・・ありがとな。
それで一花と友さなったというわけか。」
「そんな感じ。」
「しずえ!だいじょうぶだった?
こわいおもいしてない?」
保護士の人との面談が終わって、外に出てきた静江を、一花は心配そうに迎えた。
「大丈夫。お父さんやお母さんと違って、とても優しかったから」
そういう静江の目は真っ赤に晴れていた。
一花の目も明らかに真っ赤だった。
「よかった~
おじいちゃんがいうには、しずえがいやだっていえば、とうぶんはおやとあわなくていいんだって。しかもがっこうにはふつうにかよっていいんだって!!」
そういって一花は嬉々として静江の手を握った。
「なんでここまでみんな助けてくれるんだろう・・・。
今まで誰も助けてくれなかったのに・・・。」
「それはしずえがたすけてっていわなかったのもあるけど、おじいちゃんがいうには、つめたいおとなのひともおおいから、みかたがほしかったらつねひごろからいろんなひととなかよくしなくてはいけないよっていわれたんだ。」
実際一花のお願いを、祖父は最初突き返している。
そして、そうして助けたいのかを、よく考えた上で、自分にぶつけてみろといわれた。
「いつもやしくてだいすききなおじいちゃんだけど、このときはすこしこわかったなぁ~
でもわたしがしずえのことをひっしにうったえたら、またやさしいかおにもどって『わかった。おじいちゃんのいう通りにしたら、その静江って子は助かるぞ』っていってくれたんだ。」
そういって一花は無邪気に笑った。
「・・・なんで・・・なんでここまでしてくれるの?
私なんかに・・・。」
「なんかきがあいそうだったから・・・。
わたし・・・ともだちはけっこういるけど、しずえみたいなふんいきのこがいちばんきがあいそうだとおもったから。
それに・・・。」
「それに?」
「わたしもかみさまになりたいから。
しずえにとってのかみさまになってみたかったから。」
一花は恥ずかしそうに言った。
「うふふ、何それ、バカみたい。
・・・・でもなんだろう。嫌いになれないな・・・。」
「でしょでしょ!いいでしょ!」
「もう・・・そこまでいってないわよ・・・
でもそうね。この恩はいつか返したいわね。」
「ん~~。じゃあさっそくひとついい?」
「何かしら?」
「いまさらだけどともだちになってくれない?」
「うふふふ。本当今更よね。
でもいいわ。友達になりましょう。」
こうして二人の絆は新緑の芽となって、息吹き始めた。
「こうして聞いてみると、波乱万丈な出だしだったな。二人とも」
「そう見える?おゆきにとっても?」
「そりゃそうだ。大抵は仲良くなっても、すぐに仲違いしてしまうだ。
中には殺し合いに発展することもあるだ。
争っていた人間同士が、ここまで親密な関係になることは、ねぇとはいわんが、珍しいことだ。」
「言われてみれば・・・。」
「実際、わも親友や息子と仲違いした後、全く会っていない。
わだけでなくそうやってたもとを別けた者同士が再びよりを戻すことは、あまり聞かねぇことだ。」
おゆきにしてみたら、現実で欲しくても手に入らないものを二人が持っているという認識のようだ。
「まぁこの後も一花とはよく喧嘩しているんだけどね。
ただ先週みたいなおゆきに仲裁してもらうほど大きな喧嘩は滅多にないよ。
あの時の私は本当、どうかしていたわ・・・・。」
「確かにあの時の2人は不安定だったな。
病がからめば余裕なんてなくなるだよ。」
「そうね・・・。
人生や生死に関わるかもしれないと思えば尚更ね。
喧嘩したわけではないけど、一花が最初に倒れたときも余裕がなかったっけなぁ」
「一花!一花!大丈夫?一花!」
「・・・・静江?」
病室で目を覚ました一花に静江は必死になって呼びかけた。
「静江ちゃん。あまり大声出すと一花がびっくりしてしまうよ。
少しだけ深呼吸しよう。」
焦る静江を一緒にいた一花の両親が嗜めてくれた。
「・・・・お父さん、・・・・お母さん。・・・・静江。
私・・・どうしちゃったの?
校庭を走ってたはずなんだけど・・・。」
一花は息も絶え絶えに言った。
自分の身に何が起きたのか、認識できていないのだ。
その日、一花は中学校の体育の授業を受けていた。
病状が悪化する前は、走ることが大好きで、陸上部に混じっていつも走り回っていた。
その日も体育の授業ということで、いつも通りグランドでみんなと走っていた。
グランドを半周したあたりで以上を感じ始めた。
呼吸がいつものように出来なくなってきたのだ。
いつもならこんな事ないのにと思いつつ、それでも走りたいという気持ちが勝って、そのまま走り続けていた。
そして、気がついたら病院のベットの上にいたのだ。
「そうだったんだ。その日から今何日経ったの?」
一花は。病院に運ばれた経緯を聞いた上で尋ねた。
「・・・・1週間。」
「嘘!そんなに経っているの!」
「症状が少し重めに出たからね・・・。」
「重い?どれくらいなの?」
「・・・・」
「ねぇ・・・私・・・大丈夫なんだよね・・・
1週間でこうやって目が覚めたんだよ。
だから治ったってことでいいんだよね・・・・
でもなんだか息が苦しい感じがするよ・・・。
ねぇ・・・私・・・・
また走ること・・・・できるよね・・・。」
何かを察した一花が、不安一杯につぶやいた。
それに対して静江も一花の両親も答えることができなかった。
「教えて!私・・・私!
また陸上部で走っても大丈夫なんだよね!
ドッチやバスケやってもいいんだよね!!」
必死になる一花に対して、彼女の父親が意を結したように言った。
「・・・一花・・・運動は・・・もう・・・」
「・・・・!!」
一花の悲鳴にも似た叫びが病室内に響き渡った。
「その日を境に一花は走ることができなくなったの。
好きなことが出来なくなることで、活力を失っていく一花を見るのは辛かったわ。」
一花が肺高血圧を発症したのか?
その原因を知ることは困難であった。
強皮病の治療の過程で免疫が落ちているせいなのか、肺に異物が入って、連鎖的に症状が出たのか、今となっては確かめることが出来ない。
一つ関係があるか不明だが、前年に一花の祖父が亡くなったのは、少なからず影響しているのかもしれない。
「・・・精神的に参っていたら、身も心も病んでまるわな・・・」
「病状について聞いた一花は、最初は相当荒れていたわ。
自暴自棄にもなっていた。
その時期の肺の状態はあまり良くなかったと言われているから、もしかしたら関係しているのかもしれないわね。
そこから、なんとか精神的に持ち直して、それと同時に日常生活ができるまでは回復したんだけどね。」
ただ大好きな運動が出来なくなったので、仕方なく静江に教わりながら、勉強をするようになったのだ。
「病が重いのはうまくねぇが、支えてくれる仲間がいるのは幸いだったな。
今一花が生きているのはそういう巡り合わせなのかもな・・。」
おゆきの言い回しは、巡り合わせの悪いことを経験していることを感じさせるものだった。
「おゆき・・・もしかして2人目のお子さんって・・・・」
「ん?次郎がどうしたって?」
「確かさっき次郎君は病死したって言ってたよね。
私の話を聞いているおゆきの感じから、もしかしてなんかあったのかなって。」
「やれやれ。いつもは気づかれないように気をつけているんだが・・・
こんな話っこしているからだろうな。」
「じゃあ・・・・。」
「んだ。多分次郎は一花と同じ病気だべ。
太郎がいなくなったことを気に病んで、体調を崩しただ。」
「すまねぇ。わが頼りねぇばかりに・・・」
「・・・・」
寝込む次郎の横でおゆきは必死に看病をしていた。
太郎が死んでから1年は経とうとしていた。
中々仕事と家族との折り合いがつかないまま時間が過ぎていたのだが、村人となんとか折り合いをつけ、時間を作り出し、副村長業務を一時的に若者に任せるようにしたことで、なんとか息子たちとの時間を確保できるようになってきたのだ。
「かっちゃ・・・大丈夫か?
無理してねぇか・・・。」
「無理なんかしてるもんか。むしろ次郎達に無理をさせてまっただ。
こんくらいやるのは親の勤めだ!」
太郎を亡くした直後。
息子達は次郎も含め、おゆきのことを罵り、罵倒し、決して心を開こうとしなかった。
そんな息子達の声に耳を塞ぐことなく、どんな非難の視線からも目を背けず、ひたすら3人の話を聞き、世話を行えるように心がけた。
そんなおゆきの行いもあってか、次第に3人は心を開くようになっていった。
次郎が倒れたのはその矢先だった。
「ゴホッゴホッ・・ゴホッ」
「まづれ!今薬っこ用意するはんで!」
おゆきはかつて祖父から聞いた生薬の知識と、勉強で得た知識を駆使して、次郎の世話を行った。手に入る薬を可能な限りかき集めながら。
「血が足りないのには地黄が使えるはずだ。咳が出ているなら五味子ば使えば・・・」
おゆきは医療を本格的に学んだわけではないが、村に病人が出た時は、今のように生薬を煎じて飲ませたり、食事の内容を調節するようにしていた。
「・・・かっちゃ・・・」
「ほら・・・かゆが出来ただ・・・・これを食べて寝れば、すぐさよくなるハンデ。
だからしっかり食いへ」
「かっちゃ・・・わはもうだめだ・・・・長くはもたねぇべ・・・」
次郎の声はより弱々しいものになっていった。
「そたらこと言うでねぇ!わがなんとかするだ!
なんとしても、なんとしても治してみるだ!」
「自分のことは自分がよくわかるだ・・・。太郎にっちゃが亡くなってから、どんどん体が弱くなっていってるだ。息も苦しくなているし・・・・。きっと・・ゴホッゴホッ!」
「あまし無理してしゃべるでねぇ。体さ障る。今は治すことさ集中するだ・・・。」
そう言っておゆきはおかゆを次郎の口ものへと運んだ。
次郎はもうかゆを噛む体力すら無くなっていたのだ。
少しは飲み込めたが、残りは無惨にも土へと返っていった。
「・・・くっ・・・わが・・・わがもっとしっかりしていれば・・・次郎・・・」
「・・・かっちゃ・・・かっちゃはわのために役になってるだよ。」
次郎は最後の力を振り絞るようにして言った。
「だからあまり無理するでねぇ」
おゆきの制止もお構いなしに次郎は話続ける。
「太郎にっちゃが亡くなったとき・・・・わは息が出来なくなるほど苦しかっただ。
かっちゃの前では見せたくなかったけんど、怒りと悲しみでぐちゃぐちゃで、胸が痛かっただ。
でもそんなわたちを、かっちゃは見捨てなかっただ。わんどを愛で包み込んでくれた。
だからちょっとだけ楽さなっただ。」
「・・・・」
「だからかっちゃ・・・約束してほしいだ・・・。」
「・・・・なんだ?」
「三郎と四郎には、わや太郎にっちゃの分まで大切にして欲しいだ。今みたいにしてくれたら、きっと、二人は・・・・」
「当たり前だ!でも次郎!お前さも同じくらい尽くす!
元気さなって、みんなと一緒に・・・・」
「かっちゃ・・・頼んだ・・・・」
それが次郎の最後の言葉となった。
「次郎は一花と同様身近の人が死んだことが悪化の原因だと思うだ。
だが一花と違って、次郎は頼れるものがなくなってたはんで、こんなことさなっただ。
それが次郎の命を縮めてまっただ。」
「・・・・それはおゆきのせいじゃないと思う。」
次郎の病と一花の病が同じものだったかはわからない。
だが、当時の医療技術や衛生環境が、現在よりも悪いために、どんなに献身的な介護や治療を行なっても、焼石に水だったろう。
残念ながら、愛だけでは人の命は救えないのだ。
「静江・・・ありがとうな・・・
でもこの事件をきっかけに、わはより子供たちとの時間を大事にするようさなったべ。少しでも悔いが残らないにするためにな!」
おゆきは噛み締めるように言った。
「しかしなぁ。
相談に乗るつもりが、わの昔話さなってまっただ。
本当進歩がねぇなぁ・・・」
「・・・・いいのよ。私が聞きたかった話だし。
それに一花が言ってたけど、おゆきは私たちよりはるかに凄い経験を積んでいるのよね。
こんな時でなければ、じっくり聞きたかった・・・」
「一花・・・わが二人のとこさ行けるなら、すぐさでも行きたいんだが。」
「・・・私も・・1週間は声を聞けていない。
どうにか・・・どうにかしたいんだけど・・・」
2人とも本当は一花のことを近くで見守りたかった。
でも2人の声が届かないほど、一花との距離は離れていた。
「わは三郎と四郎のことはなんとしても守ると決意しただ。
それと同じくらい一花と信建様の未来ば案じているだ・・・」
「信建・・・。おゆきは彼の後見人になっているの?」
一花が倒れた後、当初は勉強も手につかない状態だったが、黙ったままではよくないと、勉強を再開した際、前回おゆきが言っていた信建についても調査することにした。
資料が少ないので詳しいことはわからなかったが、一つだけ言えることがある。
「彼は~」
「ん~その話は聞きたくねぇな・・・」
おゆきは、何かを察したのか、静江の話を遮った。
「まぁ今の話ぶりなら、よくない未来があることぐらいはいくらおつむの弱いわでもわかる。
でもここでそのことを知って、自分で考えるのを止めたくはねぇ」
おゆきは力強く言った。
「一花や静江が言ってくれたことは、いつも役になっただ。
言われた通りのことが起きたことは、何度もあっただ。
でもそれさ依存するのはよくないこともわかっているだ。
為信様も一花達の声を直接聞いたにもかかわらず、必要以上に声を聞きたがらねぇだ。
多分なんだかんだで最後は自分の考えさしたがっているだよ。
その点については、わも同じ考えだ。
もらえる意見はもらうが、結局最後はわんどの力でなんとかしねぇばならねぇ。
信建様のことも、村のみんなのことも、わの息子たちのこともな。
うまく行かねぇことも多いけど、それでもなんとかしてきただ。」
「・・・でも太郎君や次郎君がどうなるか知ってたら、なんとかしてたでしょ?」
静江は少しでもなんとかしたいと思って食い下がった。
「まぁ確かにな。
昔さ戻れたら、2人のことばなんとかしたいと思ってるばて、2人を失ったことでわかったこともあるべ。考え直したこともあっただ。
それに、あの時教えてもらったからと言って、うまくいったかわからなぇ。」
静江は、なんとなくおゆきがこれ以上を求めていないことを知り、引き下がることにした。
「ごめんなさい。強引に話を進めようとして
よく考えたら私だって一花がいなくなる未来を聞かされても、信じることできないもの。
知ったからと言って、できないことだってあるしね。」
知ったからと言って、必ずしもうまくいくわけではない。
だからと言って、聞かないという選択をするのは愚かだとしか言いようがない。
それでもおゆきは経験を元に、聞かないことを選択し、静江もこれ以上言う必要がないと直感で判断した。
「そのとおりだ。そして残念だが、今わんどがここで話し合っても一花を治すことはできねぇ。祈るしかねぇさ」
「そうね。」
「・・・・一花・・」
「迷惑かけたね静江・・・。
少しだけ落ち着いたよ」
「結局私・・・何も・・・」
「静江だけの話じゃないよ・・・。
私だってなんとかなると思っていたけど、できなかった。
これから沢山走って、バスケやサッカーやいろんなスポーツを楽しんで、いずれは体育教師にと思ってたけど、でも・・・・こんなことに・・・
あはは。神様って本当はいないのかもね・・・・。
って静江・・・何泣いてるのよ・・・」
「・・・一花だって・・・先週はずっと泣いてたくせに・・・」
「あはは・・・・これでおあいこってことにしよ。
しかしなぁ・・・なんかやりたいこと・・・なくなっちゃったなぁ・・・
これからどうしようか・・・あまり考えられないなぁ~」
「・・・運動・・・以外のこと・・・」
「運動はやめたくないんだけどなぁ・・・・
でもなぁ・・・・
仕方ないのかなぁ・・・・
やれることやって・・・なるようになって・・
そして最後の時を待つだけなのかなぁ・・・」
「・・・それって。」
「『最後の一葉』のジョンジーみたい?
・・・そうね。でも私にはもうベアマン爺ちゃんはいない・・・。
きっと私の葉は散ろうとしているのね。」
「・・・・・ない」
「どうしたの?」
「そんな結末。認めない!!
一花を、こんな形で失う運命なんて、私は認めない!!」
「そ、そんなこと言ったって・・・」
「・・・決めた!」
「え?」
「私・・・医者になる!!」
「なんで?静江は文学部に行きたいって・・・・」
「一花がやりたいことできないまま、なす術もなく居なくなるなんて、私は見過ごすことはできない!!
なんとしても、なんとしてでも一花を助け出して見せる!
神様や運命なんかに頼らない!!
医者になって、一花を治して、また運動ができるようにして見せる!!」
「・・・・そんな・・・そこまで自分を犠牲にしなくても・・・」
「今の私がいるのは一花のおかげよ。
一花に受けた恩を今度こそ返したいの!!」
「・・・・ありがとう静江・・・そしてごめんね・・・」
「謝ることはないわよ。私が決めたことだから。
さて、明日から一層勉強頑張らないとね。」
「うん。私も応援するよ!」
「もちろん一花も一緒に勉強しましょ」
「へ?」
「そりゃそうでしょ。ただでさえ外で遊んでばかりで、勉強がないがしろになっていたのよ。
更に入院中にだって授業は進んでいるのよ。今から頑張れば遅れは取り戻せるわ。
さぁ一緒に勉強しましょうね~」
「せっかくいい話で終わったと思ったのに~」
静江とおゆきは、しばらく黙ったままだった。
別に仲違いしたわけではない。
静江が少し落ち着かせて欲しいと言って、おゆきがそれを受け入れたので、あえて何も話さないことになったのだ。
ラジオがいつ途切れるかわからないが、だからと言って、こちらから一花に連絡することもできない。できることは、結局一花の無事を祈るしかできなかった。
静寂が教室を包み込み、夕陽の光度は少しづつ下がって行く。
流石にもう帰らないと、いよいよ先生に怒られる・・・・
そう思った頃。
ブーっブーっブーッ
突如として静江のスマホがなった。
バイブレーションだったのもあってか、おゆきには聞こえていないみたいだ。
「はい静江です。いつもありがとうございます・・・・
え?一花が?
ほ、本当ですか!
すみませんわざわざ・・・大丈夫なんですよね・・・・・。
あ、ありがとうございます!!」
「ん?どうしただ?
誰か来たのか?
わには人が来ているようには感じねぇが・・・。」
電話の概念のないおゆきは、静江がいきなり大きな声を上げたので、不思議そうに尋ねた。
「一花。一花と話ができるようになったの。
どうやって話せるようになったかは・・・ごめんなさい、上手く説明できないんだけど、
一花の状態は良いとは言えないけど・・・。でも話たいって!!」
少しだけ意識が戻ったらしく、両親にお願いして、電話をさせてもらうことにしたそうだ。
静江と2人で話たいということで、両親は席を外してくれているらしい。
静江は電話のスピーカーをONにして、ラジオの前に置いた。
「・・・・静江・・・静江?
私の・・・声・・・きこ・・える?」
弱々しい一花の声が教室中に響き渡った。
「一花!一花かぁ!
大丈夫なんか?苦しくねぇか?」
「あぁ・・・・おゆきの声・・・
そっか・・・今日・・・だったのか・・・
静江に・・・渡して・・・正解だった・・な」
おゆきの声に、一花は弱々しくも嬉しそうに答えた。
「・・・・やっぱり苦しいのか」
「ま、まぁね・・・正直・・・どうなるか・・・わ・・から・・・・
でも・・・ここで静江・・・・きかな・・・・くい・・・そう・・・だから・・・
でも・・・おゆき・・・いる・・・・な・・・だから・・・良かった」
息も絶え絶えの一花の声は、まるでラジオのノイズのようにも感じられた。
「一花・・・
あまし無理して声出さなくていい。治ってからでもきっと話せるさ・・・」
おゆきは最初こそ声を張り上げたが、すぐに穏やかな声色に戻った。
「・・・おゆき・・・多分・・・次は・・ないかも・・・
感だけど・・・」
「ちょっと!縁起でもないこと言わないでよ!
私達はきっとまた話せる!だから、こんなところでへこたれないでよ!!」
一花の弱気な声に、静江はつい声を荒らげてしまった。
もう次はないかもなんて・・・
「あはは・・・静江は・・元気そうで・・・良かった・・・
小学校のあの時・・・頑張って・・・良かった・・・・」
「そう思うなら、こんなところで諦めないでよ!!
まだ全ての葉っぱが散ったわけじゃないんだから!!」
「・・・そうだね・・・まだ葉っぱは1枚残っているね・・・
残っているのかな・・・・
でも・・・昨日も心臓が痛くて・・呼吸も苦しくて・・・・
明日どうなるかわからなくって・・・・
でも・・・そんな状態でも・・・・運命なのかなって・・・受け入れている自分がいて・・・」
「まだ終わっていない!!
約束したでしょ!!医者になって、一花が運動できるまで治してみせるって!!
私!まだ諦めたくない!!一花が治るためだったら、私!なんだってやる!!」
静江の声にまた涙が混じり始めた。
「あはは・・・こうやって・・・いろんな・・・人に・・・
こうやって・・・思ってもらえて・・・
贅沢だよね・・・私。
こんなに恵まれたものを持っているなんて・・・・」
「お願い!ベアマンでも神様でも運命でもなんでもいい!!
一花を・・・・一花を・・・・」
静江はすがるように呻いた
「一花・・・本当にそれでいいんか?」
それまでじっと聴いていたおゆきが話し始めた。
かつて喧嘩の仲裁をした時のような、あの優しいけど力強いトーンで
「え・・なんて・・・」
「病で辛いのはわかる。だからといって、自棄になってるんでねぇか?
本当はこんなところで静江を泣かせたまんま別れるのは、悔いが残るんでねぇか?」
「・・・そんなこと・・・・」
一花は少し言い淀んだ。 途切れ途切れの声でもわかるくらいに。
「・・・・あるんだな。」
「・・・・」
「やはりそんなことだろうと思った。本当は辛いんだべ。
でも自分ではどうすることもできねぇから、全てを諦めたかのような言いぶりなんだべ。
その気持ちを無理して殺す必要はねぇべ」
おゆきは一花が次郎と同じように、弱ってはいるが、次郎とは違い、まだ回復の余地があると思ったので、あえて強い口調で諭した。
「確かに・・本当は・・・私だって・・・諦め・・・たく・・・ない・・・
でも・・・息が苦しくて・・・・胸が・・・痛い・・・のが・・・
ずっと・・・ずっと・・・治らない・・のが・・・
不安になって・・・・だから・・・せめて・・・静江に・・・・」
一花の声は、おゆきの声を聞いてもなお弱々しいままだった。
「一花・・・無理させてすまなかった。これ以上はもう話さなくていい・・・
代わりに一つ約束してくれ・・・」
「な・・・何・・・」
「今の病が治ったら、十腰さこいへ。
わが十腰をりんごの木で一杯さするはんで!」
「え?なんで?」
確かに現在の十腰内にはりんごの木が沢山あるのは知られているが、おゆきの時代にはそんなもの影も形もない。あるのは田んぼだけだ。
「わが最近都で聞いた話だと、南蛮の方にはここのりんごよりも大きな実のなるりんごの木があるらしいだ。それをなんとか津軽さ・・・・十腰さ持ってきたいと思っているだ。
わが生きているうちにできるかわからねぇけど、でも一花が生きている時代までには・・・・
きっと・・・きっとりんごの木でいっぱいさしてみせるだ!」
「でも・・・」
一花は何か言いかけたが、すかさず静江がこう続けた。
「神社!神社に行こうよ!
巌鬼山神社!きっとそこに行けば、おゆきに会えるよ!きっと!
だからなんとか病気治して、おゆきに会いに行こうよ!」
静江は一花の不安を吹き飛ばそうと必死だった。
「あぁ。神社さくればいつでも会えるで。
わも一花と静江さ会いてえだ。だから早く治して十腰さこいへ」
静江の訴えの意図を汲んで、おゆきも答えてみせた。
「・・・でも・・・おゆきは・・・」
「十腰内に言って、おゆきのりんごの木を見に行こうよ!!
そして神社に言って、そして・・・おゆきのいる杉の木まで行こうよ!
だから・・・だから・・・諦めないで!一花!!」
静江はありったけの熱量で一花に訴えかけた
「・・・・あはは。
私の・・・負けだよ・・・静江・・・おゆき・・・。
本当・・・二人とも・・・。」
「・・・・一花。」
「私・・・頑張ってみる。
静江に・・・そしておゆきに会いたいもん。
こんなところで・・・負けて・・・られない!!」
「あぁその意気だ。
その気持ちっこさえあれば、きっとなんとかなるさ。
これが、わが一花さ送ることができる薬っこだべ」
「大丈夫。きっと良くなる薬よ。だから信じて飲んで。」
その薬は実態を持たないものだけど、でもその心遣いや思いは、一花の心には有効だったようだ。
「うふふふ・・・ありがたく服用させてもらうわね。
きっと・・・十腰内に行ったら、沢山のりんごの木がお迎えしてくれるかもね」
「あぁ・・・待っている。なんとかこさえてみせるだ。」
「そうね・・・絶対会いに行くから。」
そんな話をしているうちに、おゆきの声が遠くなる。
どうやら時間のようだ。
「一花、静江。(ザザッ)
わはへばな(またね)とはいわねぇど(ザーッ)・・・。絶対、絶対元気さなって・・、(ザーッ)・・十腰さこいへ。」
「うん・・・・。絶対治して・・・おゆきに会いに行く!」
「私も、私も必ず。2人で会いに行くから!」
「おう!またな!必ず・(ザーッ)・・杉の木さ・(ザーッ)・・。」
これがラジオから聞こえるおゆきの最後の声となった。