英語のはなし
おひさしぷり!
今日は、私がずっと悩まされてきた英語のはなし。
幼稚園のころから、21歳になる今までずーっと触れてきた英語。どれだけ褒められても、ずーっと自信がなかったの。
けどね、イタリア留学を終えて、ちょっとだけ英語に対する考え方が変わった?からそれについておはなししよっかな。
まだ自信はないけど、
「『私は英語に自信があります!』って言うことにしよう」
くらいのマインドにはなったの。自信がない部分を晒すのって恥ずかしい!記録だからね!
発音とか、ちょっとした感覚的な部分は、インターナショナル幼稚園である程度身についた。当時は日本語と英語ごちゃ混ぜで喋ってたらしい。
そこから今に至るまではふっつ〜の「勉強」をした。大学受験のために、それまでサボり続けた文法もみっちりやりましたよ。点数は取れるし、英語はいつも得意科目。けどね、英語を「勉強」し初めてからというもの、話すことに恐怖を抱くようになっちゃった。
イタリアに留学に来た当初、すでに日常会話にそんなに問題はなかったんだけど、友達と遊ぶのにも準備は欠かせなかった。特に前日は脳を英語に慣らすために英語で映画を一本観たり、ひとりごとを英語でつぶやいてみたり。そのときは勉強してるっていう感覚は皆無で、とにかく英語を話すことの恐怖から逃れるためにやっていた。なんとなく心休めにはなってたと思うけど、そりゃあ語学の勉強法で即効性のあるものなんて存在しなくて。そんなに成長を感じられないままただ月日が流れた。
もちろん日々の積み重ねで少しずつうまくなっていたんだとは思うけど、「あれ、私話せる。」ってなったのは本当に最後の最後。
デザインの基礎を学ぶ学校だったんだけどね、期末テストがプレゼン三昧だったの。10個くらいプレゼンをしなければいけなくて、そのうちの9個くらいはもうとにかく「こなした」の。Chat GPTも使いまくった。笑 課題とかに関しては完璧主義だから、それなりに評価してもらえるような完成系にはするんだけど、自分自身が心底思っている内容ではなかったり、自分の口から自然と出てくるような言い回しではなかったり。それらのプレゼンの自分にとっての課題は内容を伝えるということよりも「間違えずに英語で話す」ことだった。
残りの1個はね、自分のポートフォリオのプレゼン。
私にとって1番大事だった課題。これまで自分が作った作品全てに意味を付与するために、自分は何を大切に生きてるのかとか、作品を通して私は社会に何を言いたいのかなって考えに考えた。前日の夜は、日本人のお友達とデザインの枠を超えて、自分について、日本について、イタリアについて、この世界について、お酒片手に朝まで語り明かした。もちろん日本語でね。そうやって本番の直前まで改良を重ねたの。
(ゆるゆるの学校だったから手抜きでやったところで絶対に落とされることはないんだけどね。評価は正直どうでも良くて、自分が納得できるまでやるっていう単なる自己満ね。)
当日、自分でびっくりするくらいペラペラ喋ってた。スクリプトはしっかり用意してたんだけど、あんまり意味なかったかも笑
結局ね、私が英語を話せるかもっていう自信につながったのは、話す内容に自信を持てたときだったの。もちろん基礎的な語学力は必要で、私も改善の余地がたくさんあるよ。けど、私の場合これだけ勉強しても、内容に自信がないうちは本当の自信には繋がらなかった。英語を話せないという目先の問題ばかりに気が向いて、参考書を買ったり、観たくもない映画を観てみたりしていたけど、「英語を使ってなにを話したいのか」から考えるのもアリなのかもなって思ったんだ。だって、英語を話せるようになりたくて英語を勉強しているわけじゃないもんね。世界の共通言語である英語だからこそ伝わるものがあるから、その手段として英語を話せるようになりたいだけだもんね。
まだ英語に自信があると人に言うことへの抵抗は拭えないけど、このことに気がついてから英語学習に対して感じていた重荷みたいなものがふっと消えたんだ。
ごちゃごちゃな文章になっちゃったね。
留学に行ったと言うと、「英語大変だった?」って色んな人に聞かれるから、自分なりに考えてみたよ。
ありきたりな結論だけど、言語は手段っていうのをつくづく痛感できた一年だったな。私の場合は、だよ。参考になんてしないでね。
ちゃお!
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