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リストカット美術館
何ヶ月かぶりにリストカットをした。姑息にも腕時計で隠せる位置を切った。
今日精神科でしばらく切っていないことを褒められたばかりだった。それがトリガーになったような気がする。
↑ここまで書いて1ヶ月以上この日記を放置していた。上の文を書いたのが昨年12月の20日、現在は1月の31日。なぜ放置していたかというと、これを書いた直後から鬱が急激に悪化していき、自傷についての文章を書けるだけの力を完全に失ったからだ。
あの文章を書いたときに切ったのは、本当に腕時計で隠せる位置だけで、それも可愛らしい擦り傷のようなものだった。しかし凄まじい勢いでわたしの脳みそを満たしていった鬱はそんなものでは満足しなかった。
あっという間に傷は増え、いつの間にかに腕にもう切れる場所がない程になった。最初はカッターの刃が軽く腕を通り過ぎるようなものだったのが、段々と力を込めもっとつよく、もっとたくさんの血液が出るようにと祈りながらゆっくりと切るようになった。
次に得物が変わった。包丁で切ってみたものの、自宅の包丁がなまくらな故かわたしの切り方が悪いのか、表皮すらもほとんど切れなかった。次にはカミソリを試した。本当は某メーカーのあのガードのないものがいちばん深く切れるだろうし、愛用者も多いのだろうが、そこまでの勇気はなかった。基本的にわたしはビビりのチキン野郎で、痛いことは本当は大嫌いなのである。なのでガードのある、眉毛剃り用に愛用しているI字カミソリを使ってみた。が、これもあまり切れなかった。次に割れた食器の破片を試した。これは中々良かった。表皮どこか真皮まで切れ、血はどくどくと鼓動を伴って溢れた。他にも様々な鋭利なもので試してみたがこれ以上は割愛する。
それから、結局何に落ち着いたのかはなんとなく言わない方が良いような気がしたためここでは伏せることにする。別にこの日記は自傷行為を推奨するものではないからだ。少なくとも食器の破片よりはよく切れ、某カミソリよりは切れないものに落ち着いた、とだけ書いておくことにする。
わたしの自傷にはルールがあった。それは切ったらすぐに手当をすることだ。切ったら必ず血液を綺麗に拭き取り、ハイドロコロイドパッドを貼ると決めていた。そのハイドロコロイドパッドも様々なメーカーのものを試した。正直ゴミ同然のものもあれば、値段の割にいいな、とよく使うものもあった。ハイドロコロイドの時期を過ぎたものはただの絆創膏に変わり、それも治れば絆創膏を剥がし、またそのまま上から傷をつける。この1ヶ月ほどの間、わたしの生活はそれの繰り返しだった。
白くて大きな絆創膏、ぷっくり膨らんだハイドロコロイドパッド、そろそろ張り替え時期になったもの特有の、黒ずんだ傷痕の浮かんだパッド、皮膚とおなじ色をした一般的な絆創膏、傷跡。わたしの腕は色とりどりのさまざまなものに被われて、まるで美術館のようだった。
美化しすぎだろう、無理があると自分でも思う。なぜなら完全に無理やりにタイトルと繋げているからだ。実はタイトルを思いついたとき、それから最初に切ったときには、全然違った内容を書くつもりでいたのだ。
途中から余裕がなくなったからか一切見なくなったのだが、わたしにはリストカットをした日の夜に必ず見る夢があったのだ。それがリストカット美術館。美術館に行く夢。これの話をしたくて書き始めたはずだったのだが、肝心の夢は見なくなったために内容を思い出せなくなり、その上書く気力もなくなった結果、下書きにポイと放り込まれる羽目になったのだった。
結果として日記の内容は全く違うものになった。ちなみに1週間ほど前から自傷欲はゆっくりと薄れていき、今は全くない。腕には無数の傷が残っている。
これはカッターで切ったやつで、これは陶器片。これは彫刻刀で、これはデザインナイフ。これはもっと昔の傷で、それからこれは猫に引っ掻かれたやつ。ひとつひとつの傷すべて、まだ何でつけたものなのか思い出せる。切ったときの気持ちも、明確に。
わたしには怖いと痛いがたくさんあって、それがどこからくるものなのかわからないときがある。何が怖いのか、どこが痛むのか、わからない。わからないがたしかにわたしを苦しめるときがある。そういうときに、自傷に肩代わりをしてもらうのだ。
わたしが痛いのは、怖いのは、いまこうしてここを怪我したからだ。ここから血が流れているからだ。そういうことにしておけば安心できる。
難しいことはよくわからないが、自傷行為をすると希死念慮が薄れる、というのはどうやら学術的にも証明されていることらしい。
今は腕の傷が消えるように、ヘパリンクリームを毎日祈るように塗り込んでいる。わたしにとって苦しみの日々を生き抜いてきたわたしを労ってあげるための、とても大切な時間だ。塗り込みながらよく撫でる。よく頑張ったねと、こころのなかで自分を褒める。
消えたらいい。でも、消えなくてもいい。これはわたしが生きた証で、一種の芸術だ。周りはそうは思わないだろう。腕に自傷の痕のある人間は、あまりよくは思われないだろう。だけどわたしは、わたしだけはこの傷痕のことを、認めてあげることにしたのだ。
これはわたしだけの美術館。わたしの当時のくるしいこころを形にした、大切な作品だ。