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積みくずし日記|2024年10月7日(月)

無職になって1週間経ちました。

この2年間、月曜日は朝礼のためなるべく早く出る日が続いていたので、逆に何時に起きてもよいという自由さが今のところめちゃくちゃ気持ち悪いです。でも毎日あった誰かへのイラつき、焦燥感、緊張感...全部が抜けて頭がふにゃふにゃになっていく感覚もある。

つくづくこんな自分が2年間も、泣きながら化粧をして会社へ向かったり、電車で泣くのを我慢するあまりめまいを起こしてギリギリ出社していたの、奇跡に近いなと思えてきたこの頃です。

なんで退職したのか理由についてはおいおいまとめたいなあと思っているのですが、出して良い情報とか色々ありそう&自分の気持ちの整理もついていなくてまだ時間かかりそうです。

月曜日は用事があったので午前中に家を出たのですが、なぜか家の前の通りに自分の靴下が落ちてました。なんで?
ベランダとも反対側の通りなのでほんと謎、拾えてよかったけど。

いぬかわいすぎる

今日は小説を読もうとしても雑念で世界観に入れなかったので、知識を詰め込むことにしました。

円山応挙の狗子図がかわいすぎる「犬は「びよ」と鳴いていた」です。

散歩中の犬とか見つけると「いぬ...」と私が鳴いてしまうくらい好きなのですが、そんな犬がびよと鳴いていた..!?もしかしたらきょうのわんこではなく「びよこ」だった可能性もあるのか..と考えてしまいました。

わたしは擬音語、擬態語が結構好きなんですが作家によっても違いがあるそう...。

三島由紀夫は、擬音語・擬態語が大嫌いで、品のない言葉だから、自分は作品の中で使わないようにしていると言っています。森鴎外なんかも好きでなかったらしく、自身の作品に擬音語・擬態語をあまり使っていません。
でも、一方では、北原白秋とか草野心平、宮沢賢治のように擬音語・擬態語好きで、その効果を最大限にいかして作品を生み出していく作家もいます。

山口仲美「犬は「びよ」と鳴いていた」p.11より

宮沢賢治のオノマトペ集を購入してまたもや積読してたのを思い出しました。

後半部分で狐や馬、牛・ネズミなどの鳴き方の表記解説があるんですが、つくづく人間だけの生活ですね、動物の鳴き声が思い浮かんで来ず、youtubeで都度調べ聞きながら読みました。(キツネの声が多様で面白い)


面白かったところメモ

  • 人間と動物の関わり方の変化、それに伴う鳴き声の変遷
    江戸時代はフクロウが身近な動物だったので梟の鳴き声で天気を占ってたとか(のりすりおけ:糊を摺って用意しなさい=晴、のりとりおけ:糊を取っておきなさい=雨)、猿の声の表記が人間との関わり方によって変化している(ココと鳴き声を表記→室町時代になると「キャッキャッ」と表記。「ココ」は猿が食べ物を食べた時などの満足そうな声、「キャッキャッ」は猿が恐怖心をいただいた時の声。室町から猿を見せ物にし始めたことに起因)

本の写真を見てお気づきの方もいるかもしれないのですが、なぜかいい感じのサイズの付箋が見つからず、大きめサイズを引きちぎって読んでました。
近々適切なサイズを発掘するか購入したいと思います。


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