木内昌子_一般社団法人MEPL/日本医療的ケア看護職員支援協会

「医療的ケア児及びその家族に対する⽀援に関する法律」が施⾏され医療的ケア児・者の通いの場が広がっています。どこに暮らしていても切れ⽬ない⽀援を得られる様、医療的ケア児・者を⽀援する様々な⽴場の⽅々と横の繋がりをもち、学び合い、協働することで共⽣社会の実現を目指します。

木内昌子_一般社団法人MEPL/日本医療的ケア看護職員支援協会

「医療的ケア児及びその家族に対する⽀援に関する法律」が施⾏され医療的ケア児・者の通いの場が広がっています。どこに暮らしていても切れ⽬ない⽀援を得られる様、医療的ケア児・者を⽀援する様々な⽴場の⽅々と横の繋がりをもち、学び合い、協働することで共⽣社会の実現を目指します。

最近の記事

私が学校の看護を始めたわけ#2

障害児の親として  私の子育ての話をします。私には、長女、長男、次男3人の子どもがいます。長女が生まれたのは、38年前、長男36年前、次男32年前・・・ずいぶん時間がたちました。夫が転勤の多い仕事でしたので、何度も転居をしながらの子育てでした。長女は東京で生まれ、6か月で京都への転勤となり家族で転居。長男は京都で生まれました。  長男は少し小さく生まれ、NICUに入り、数日で家に帰れる予定でしたが、保育器の中で感染症から髄膜炎となり、たった一夜で悪化し呼吸が止まりました。

    • 私が学校の看護を始めたわけ#1

      看護師としての人生歴 私は、40年ほど前に看護師になりました。 看護専門学校を卒業し、そのまま系列の病院に就職しました。 新卒で外科系の病棟に配属され夜勤も多く、昼夜逆転のように仕事をしました。毎日10件以上の手術があり、がんの終末期の方々もいらっしゃり、当時は約70人の患者さんを夜勤看護師は3人で看るような体制でした。 忙しかった・・・。 しかし、思い返してみると忙しい中でも「看護」の基礎をたたき込んでくれた場所でもあったと思います。 その時に必要だった技術は当然です

      • 知られていない「学校の看護師」

        「学校の看護師」を皆さんはご存じですか? または、イメージができるでしょうか? なかなか知られることのない看護師かと思います。 「医療的ケア」がある子ども達が学校に通う時、学校で医療的ケアを実施する看護師です。 と言っても、ピンとは来ないかもしれません。 新生児の命を救う医療の進歩日本は、新生児が世界一死なない国と言われています 医療の進歩により小さく生まれても、病気をもって生まれても、医療によって助けられ生きることができるようになったのです。 そうして命を救われた子ども