何に怯えているのか?
己、自分の人生を半信半疑で生きていないか?
半信半疑とは、中途半端なこと。
全てにおいて、この状態にあれば、人生が好転することは一切ない。
何に怯えているのか?
何が不安なのか?
そして何が不満なのか?
その答えは、誰それに対するものではなく、己自身に対するものだ。
そのことにこれまで向き合えず、中途半端な人生を送ってきたことを認めるのであれば、今ここで宣言せよ。
腰を据えて、覚悟をして、自分自身の人生を生きることを誓え。自分を信じれぬものは、何も信ずることは出来ぬ。
「いやあ、御尤もです、はい。私は、これまで、一度たりとも自分自身を信じたことはありません。だって、これまでたくさん裏切られてきたし。がんばってみたところで、いつも平凡以下の結果。もう情けないという気持ちもおきません。もう自分はこれで良いのだと諦めてます。今更、何も覚悟をすることもありません。老兵は死なず。ただ消えゆくのみですわ」
「私は、自分自身のことを信じています。何だって出来るって…。でも、親や先生や大人たちが、みんな、そんなことやってもうまくいかないから止めておけって言うから…。だから、早く大人になって一人前になって、早く自分の生きたいように生きたいです…」「お前さんは、だから駄目なんだよ。世の中を甘く見過ぎてる。そんな根性じゃあ、この厳しい世の中を生きることなんか出来ねえ。自分を信じるとか信じねえとか、そういう話じゃなくて、いかに金を稼ぐか。それしかねえんだよ。この世は、金を持っているヤツが偉い。何でも出来る。自分を信じる前に、金を信じろ!」
「自分、めっちゃ頑張ってます。もう、この道しかないんだと覚悟を決めて勉強しています。誰が何と言おうと、夢を掴んでみせます!だけど、時々、うまくいかなくて、自分に自信が持てなくなる時もあるんです。そんな時は、ゲームやってスカッとして、もやもやをすっ飛ばして、また今日もがんばろう!ってやってます。ねえ、がんばってるでしょ?」
…人間、棚から牡丹餅はない。
もしあるのなら、過去世の苦労や努力がその機に牡丹餅として落ちてきたと思ったほうがいい。
その時は、その貯金を使って更に飛躍すべし。
だが、人間は、その本当の意味も考えずに牡丹餅を何も考えずに食べ尽くしてしまう。
発想が俗だから俗な人生となり、俗悪に落ちるだけで終わるというもの。
年老いて、儚い侘しい気持ちになるしかない。
人間、心に僅かでも疾しさがある限り、成仏は出来ぬのだよ。
もう良いだろう。
中途半端に半信半疑で生きるのは。
今ここで覚悟を決めよ。
自分の本当の道を生きるということを。
そのことに目覚めた時、天と繋がり、様々な教えが降りてくるようになる。
試してみよ。
そのことを肝に銘じ、中途半端にいい加減に生きてきたこの人生を猛省し、覚悟を決めて一から出直します。
有難う御座います。