“不安のない生き方”をしたくないか?
“不安のない生き方”をしたくないか?
「毎日が不安で不安で仕方がありません。自分の将来、特に老後のこと。健康のこと、お金のこと、仕事のこと。最近は、世界中で起きている災害とか、戦争とか、事件とか、ニュースとか見ていると、不安で何も手が付かなくなってしまうんです。これって病気でしょうか。」
「なんか漠然と自分だけが損をしている、自分だけがうまくいっていない、自分だけが駄目な存在だと思えてくるんです。いつも他人の目がすごく気になる感覚があります。それって、みんなそうなんじゃないんですか?私だけ?」
「そんな、不安のない生き方なんて出来るはずがないです!この世の中であり得ないことです。だって、不安が生きる原動力になっているから…、だから不安が無くなったら生きていけなくなるのではないでしょうか!?」
「不安なんて出来ることなら消し去りたい。いつも頭から離れない。どうして、いつもこうなのか。その解消方法すら分らない。不安のない生活なんて一時も感じたことはない。」
「みんな、不安、不安って言うけれど、私は不安なんて感じたことはありません。だって、そんなことでモジモジしているくらいなら、動いた方がいい。手を動かした方がいい。そうすれば不安なんて沸いてこないもの!みんな頭で考えすぎ!」
「不安なんていうのは、弱いもんの典型だね。人生当たって砕けろ!っていうことよ!失敗が怖くて何も出来ないなんて、そんなへっぴり腰だから何もうまくいかないんだよ。ど~んと構えて、何事にもぶち当たれ!気合が足りないんだよ気合が!」…。
なるほど。
人間、“不安”にもいろいろな解釈があるということか。
ものの辞書には、
「不安とは、心配に思ったり、恐怖を感じたりすること。または恐怖とも期待ともつかない、何か漠然として気味の悪い心的状態や、よくないことが起こるのではないかという感覚(予期不安)」
とある。
人間は、どうして“不安”を感じるのか。
それは、全てにおいて中途半端、いい加減、なあなあな生き方をしているからだ。
それが人間の持つ性質。
この“間”を持つ人、即ちこの“人間”から卒業出来るよう生きるしかない。
この世に生きるもの皆“人間”。
人間をやっているうちは、心の底から不安を拭うことは出来ない。
人間には、生きるだけ生きていかなければならない天命を背負っている。
苦労や心配事、不安があっても生きねばならない。
その命の中で、生きている限り、最善を尽くすことが求められている。
というか、そのことを覚悟を持って自分自身で決めて生まれ出てきている。
であるから、死ねない、死にたくとも死なせてもらえないことも起きる。
ならば、生きてやろう。
生きるべし。
不安を持つ性質を受容し、その上で、その克服のために生き尽くす。
これ悟れば、人間卒業出来る。
そのことを肝に銘じ、不安に向き合い、克服すべく生きていきます。
有難う御座います。