約束の地
人生の道の啓き方とはどういうことか?
まず「人生の道」。
これ、人間一人ひとりが今世で進むべき道。
「道」は、人間の数だけあるが、己の道は一本のみ。
それは既にあり、常にそこにある。
然し、大概の人間は、自分の道でなく、他人の道や、道でないところを歩いている。
あるいは、霧で見えず迷い、ずっとそこに留まったまま動けずにいる。
ある者は、せっかくの道を逆方向に引き返していたりもする。
人間を俯瞰して視る程に実に面白い。
己は如何に。
自分自身の本当の道を歩めている実感はあるか。
「いや、残念ながら、未だ実感はありません」…。
であるならば、道の啓き方をここで知るがいい。
己が歩んでいる道が、本当の道かどうか実感が持てないのは、その道の行く先がどこに辿り着くのかが見えて(感じれて)いないからだ。
“己の道の行き着く先”。
これは約束の地。
己自身が、生まれる前に行くことを決めた地。
これがなぜ視えぬのか?
己、相当に心が曇っているということだ。
本当にするべきことをせず、する必要のないことばかりをしている。
「自分の辿り着く地を忘れてしまっているということでしょうか?」…。
そうだ!それを思い出すことが“道を啓く”という意味。
「どうすれば思い出すことが出来るのでしょうか?」…。
それは、これまでの身と心の汚濁を清めるために、日々、正直、素直、謙虚に生き直し、己自身が実相に生きていることを自覚し、その超大宇宙の自然の法に則った日々の生き方に改善し、性根を入れ替え、厳しくとも苦しくとも、努力と反省を怠らず、忍耐強く生き抜くしかない。
そうせぬば、今の曇った眼では、約束の地を思い出すことは出来ない。
それが見えぬ五里霧中のままに、実感のない道をただ只管に進み続けるしかない。
人間、これほど辛い人生はない。
そのことが分ったのならば、試してみよ。
これまでの生き様を深く反省し、出直すべし。
そのことを肝に銘じ、自分自身の辿り着くべく地を明確に思い出し、そこに向け、一心不乱に歩続けます。
有難う御座います。