助けたり、助けられたりの関係
満ち足りた世界に“安住”したいと願うのも良かろう。
然し、残念ながらそのような世界はこの世には存在しない。
なぜか。
世間は、未熟な人間の舞台で出来ているからだ。
未熟な者同士が創る舞台なのだから、それは不安定極まりない。
従って、真に満ち足りた安住の舞台は、己一人が満たされていても、成立しないのである。
この真理の意味が分かるか?
人間、何かが欠けているから人間。
全て満たされているのであればこの世で人間やっていない。
従って、人間は皆、人としての完成(人間卒業)を目指す修行の道の上に生かされている。
人間は、欠けているものを補おうとする生命的性質を持っている。
だから毎日、欠けているものを補おうと一生懸命に努力をする。
運よく自分は満ち足りていても、他はそうはなっていない状態が存在する。
これは、全体性で捉えた時、己も欠けた状態のままであることを推してしるべし。
これは、己は個であり、そして全体でもあることを実相は示している。
己が満ち足りていても、他がそうなっていないのであれば、それを見逃すことは出来ない。
世間は、そのような互い(人間同士だけではなく生命、環境の全てにおいて)の相補関係によってのみ成り立っている。
助けたり、助けられたりの関係。
この真理が理解できれば、真に満ち足りた世界に安住したくば、常に己を満たし、身近な他を世話をし、助け合い、恩返しをしなければならない。
自分だけが幸福である世の中はあり得ないということだ。
これがこの世における己の役割であり、生きる意味。
日々、自分のことも世間のことも蔑ろにし、いい加減に生きていれば、世間、社会、世界全体が良くなることは決してないということだ。
誰かがやってくれる、支えてくれる、守ってくれる、補ってくれるから、自分は何もしなくていい、ということはこの世に生を受けた意味を全うしていないことになる。
自分が満たされていれば、必ず他を補うことは出来る。それは、いつ何時も笑顔で正直で、素直で、謙虚で在るだけで、今世の役割を実行していることにもなる。
何も、無理な寄付や体を壊してまでやる仕事やボランティアなどをして補う必要はないのだよ。
そのことを肝に銘じ、個の自分自身の在り方が、世界にも影響を与えることを実感し、日々の生き方を捉え直します。
有難う御座います。