情状酌量の余地は全く無し。
厳しいことを云う。
今の己の境遇、在り様、心の内を占める不安や恐れ、不足感は、生まれた環境や誰かの所為では決してない。
全ては、自分の思考の中身と、それに基づいての行為、ふるまいに問題がある。
それが結果となって現れているに過ぎない。
このことを無き事のようにするために何かに縋ってみたり、信仰に拝み続けてみたところで、己の思考の中身と生き様を変えない限りその境遇を変えることは決して出来ない。
これ真実。
己が納得しようがしまいが、気付こうが気付くまいが、それが実相の仕組み。
従って、環境や他者の所為にしたところで、良くなるどころか、その思考、行為に更なるペナルティが加算されていく始末となる。
このことが解せぬまま、この世の生を終えた、終えようとしている人間があまりにも多いことか。
人間、何をしようと自由。
確かに個々の生き方は極めて自由が与えられている。
然し、それは“天の法”というものがあって、人間の自由とは、その範疇に中にあることを推して知るべし。
これは人間の作った世界の法律などではない。
天の法は、超大宇宙の法であり、人間界の未熟な法律の不備が補われているもの。
そして、それは善いか悪いかの二つの基準しかない。
厳しいことを云う。
天の法は、善か悪かで裁かれ評価される。
その中間などの中途半端な情状酌量の余地は全く無し。
己のその好意、思考の中まですべて天に見られ、己の思考や行為の微細な記録が、善悪の桝に振り分けられ完璧に残されている。
このことが、死んであの世に逝った時に全てが示される。
これ、まだ半信半疑の者がいるならば、改心した方がいい。
「いやあ、そんなに厳しいこと言われちゃったら、もう私なんぞ、とうに地獄行きですわ!」と笑う者。
これが真理・実相だということを、ここで教示してもそれに気付けない程に、感性が落魄れてしまっている。
厳しいことを云う。
この世の大半の人間がこの類。
「仕方ないですわ!誰もそんなこと教えてくれませんでしたし。今となっては、自由気ままにのんびり人生がやっぱり性に合っているようです、はい!だからこのまま行かせてもらいます」…。
身から出た錆びに気付かず困るとも、前触れ見過ごす落ち度あり。
この教え、もはや通らねば、人類はゲームオーバー。
そのことを肝に銘じ、自分自身の落ち度に気付き、性根を入れ替え、一生懸命、今に臨みます。
有難う御座います。