「フレイル」と「サルコペニア」って知ってますか?(No. 952)
考える人 メールマガジン
2022年3月3日号(No. 952)
川添愛×高野秀行
「知れば知るほどわからない! 言語探偵、「ことば」の不思議に迫る」
理論言語学で博士号を取得し、『ふだん使いの言語学』(新潮選書)をはじめとするさまざまな著書で「言語を観察する」方法を披露している川添愛さん。かたや、アフリカや南米、東南アジアなど世界の秘境で数々の言語を習得してきた経験を持つ高野秀行さん。
一見、まったく別のやり方でことばに触れてきたように見える二人ですが、その言語との接し方は
・暫定的に法則を設定して、それをアップデートしていく
・規範的な言葉遣いより、現実で話されていることを基本にする
と、驚くほど共通しています。
お互いのファンだったという二人の初対談では、それぞれのフィールドで観察してきた「ことばの謎」について、リモートで熱く語っていただきました!
前編 「正しくない」方が面白い!?
後編 「は」か、「が」か?――それが問題だ
ヤマザキマリ×清水克行「歴史は民衆によって作られる」
室町時代という「最も日本らしくない」時代の庶民を生き生きと描いて話題となった『室町は今日もハードボイルド』。
著者の清水克行氏は、『テルマエ・ロマエ』や『プリニウス』で古代ローマの生活文化を描き続けるヤマザキマリ氏にずっと親近感を持ってきたという。
一方のヤマザキマリ氏も、清水氏の同書を「思い込みや予定調和から解放される本」と絶賛。
中世日本と古代ローマをとおして人々やその生活文化について考え続けてきたお二人が、コロナ下の日本と世界について縦横無尽に語り合いました。
前篇 室町時代は「自習の時間」?
後篇 『テルマエ・ロマエ』と『タイムスクープハンター』の意外な共通点
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「考える人」と私(最終回) 金寿煥
当コラムでは、約1年にわたって、「考える人」の歴史を2002年の創刊時から振り返ってきました。しかしそれはあくまで私自身の視点からのもので、それだけでは甚だ不充分であることは重々承知しています。その歴史を、雑誌として果たしてきた役割を、細大漏らさず記述するには、創刊編集長の松家仁之さんや二代目編集長の河野通和さん、あるいは創刊以来、デザイナーとしてその誌面作りに多大な貢献をされた島田隆さん、そして他の編集スタッフの「証言」が必要になるはずで、その数だけ、それぞれの「『考える人』と私」があるのだと思います。
前回2011年春号のことを振り返りましたが、その後「考える人」は、2016年4月に「Webでも考える人」を開設、紙とデジタルの二本柱となりますが、翌年の2017年4月に紙の「考える人」は休刊。創刊から15年を迎えたところで、季刊誌としての役目を終えました。以降は、Webメディアに一本化し、2019年6月には「Web考える人」から「考える人」に改称、今に至ります。
私がその編集長に就任したのが2021年2月、そのタイミングでこのコラムを始めました。「そういえば『考える人』ってどういう雑誌だったっけ?」という素朴にして間抜けな動機から始めたものですが、創刊号から振り返ることで、季刊誌時代の15年間に積み重ねてきた営為というものを今はひしひしと感じています。
週刊誌しかり月刊誌しかり、雑誌というのは、発行から時間が経てば経つほど顧みられなくなるもの。その時々の「旬」を捉え掬い上げて、誌面に定着させるわけですから当たり前のことです。「旬」が過ぎてしまえば、その魅力は半減することでしょう(もちろん後年、それが当時の世相や空気を映す貴重な資料としての役割を果たすことはありますが)。そこが「雑誌というメディア」の良い面であり、切ないところでもあります。
しかし、この機会に「考える人」の誌面を振り返って、「旬を過ぎた」とか「役目を終えた」とか、そのように感じることが不思議と少なかったのが印象的です。むしろ、「今こそ読まれるべき」と思うことが多々ありました。もちろんそれには身贔屓も多分にあるのだと思いますが、雑誌が標榜する「Plain Living & High Thinking」というコンセプトの「持続力」「耐久力」というものを強く感じた次第です。
そしてもうひとつ、屋号にある「考える」という言葉の重みについて。
以下は、今でもサイトのトップページに掲載している編集長就任時に寄せたコメントです。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその「屋号」です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
このコラムを担当した1年で考えてきたのは、まさにこの「考える」ということです。その答えが見えたわけでは決してありませんが、むしろ「答えが見えない」ことこそが、「考える」ということではないかと、朧気ながらですが感じるようになりました。
「考える」というのは、「過程である」こととイコールなのでしょう。「過程である」ということは、「結果」や「答え」が出ない状態でもあります。ピリオドが打てない状況に身を置き続けるというのは、なかなか辛く、切ないことです。「居心地の悪さ」や「重み」を感じるのは当然で、「考える」ことの難しさはそこにあるのでは――1年を経て、そう思うに至りました。
その「重み」や「切なさ」からは、なかなか逃げることができません。逃げられないとしても、もっとタフに「考える」。もっとしなやかに「考える」。そして、「考える」を楽しむ。
日々さまざまなニュースや発言にあふれているネットの世界で、それを実現させることはなかなか難しいことかもしれませんが、「考える人」はWebメディアとして、引き続きそのことに挑戦していきたい。
タフにしなやかに、そして楽しく――。
そんなことを考えながら、これからも魅力的な「誌面」をご提供できるよう努力していきたいと思います。
しばらくメールマガジンでの担当コラムはお休みしますが、引き続き「考える人」をぜひご贔屓にどうぞよろしくお願いいたします。
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