<番外編>日記。ノルウェイの森を読んでいる。そして彼の話。
気になっている友人から『ノルウェイの森』を借りて読んでいる。以下感想。
村上春樹を初めてのレベルで読んでるけど、すぐキスしてセックスするからはいいつものパターンね〜感が拭えない。しかもたちが悪いのが毎回これには特別なやり方なんてない、ただそうするしかなかったのだみたいな、あなたも同じ状況だったら必ずそうしますよ〜的なニュアンスを入れてくるからうざい。そんなこと言われてもそれができないのが現実世界であって、これを近代文学と呼ぶなら私は男がやれなくて苦しくて悶えてそれでもやれないみたいな話を読みたいよ、まあ物語の本質がセックスなんだから仕方ないんだろうけど…けれども一度もやれない男の行き止まり感で一杯の小説はないのかい。結局どんだけ男が苦悩してても結局女抱いとるやんと思ってしまう。
『ノルウェイの森』での緑のセリフ
「ある種の人間にとって愛というのはすごくささやかな、あるいは下らないところから始まるのよ。そこからじゃないと始まらないのよ。」
その通りだと思う。そしてそのある種の人間とは女性に該当すると思う。本当にささやかで、緑が言っているような、ショートケーキが食べたいといったらすぐに買いに行ってくれてけれどやっぱり食べたくないと言ったらそれに対してわかった自分が悪かった、ならチーズケーキはどうだい?と提案してくれる、そんなくだらない優しさ。それだけでは到底愛を語ることはできないと思うほどの優しさ。でもそれこそが絶対必要でそんなちょっとしたことで自分の承認欲求は満たされてそこから愛の認識が始まる。私も、瓶の蓋が開けられなかったり、うまくチャックにキーホルダーをつけられなかったりすると必ず「俺がやってあげるね」と手を指し伸ばしてくれる彼が好きだったし、彼の好きなところはどこ?と聞かれたらそういうところを想定して優しいところと答えていた。そんな細やかなところに愛は散りばめられていてそれを感じることがたまらなく嬉しかった。
「愛されたい」と願うのは人間の(少なくとも私の)性で、そう願った1つの対象に理想の自分を押しつけられないでもらえることが一番の愛で一番の幸せで、本質的に「愛されている」ってことなのかもしれない。彼は私にそうしてくれたけど、私は彼に「理想の彼」を押し付けてしまったしその意味では彼のことを私は愛しきれてなかったのかもしれない。けれどだからといって「理想の彼」を押し付けないままで彼と将来人生を共に歩むことはできなかったと思っているし別れたことをそれほど後悔はしていない。
世の中には偉大だと呼ばれる素晴らしいものがたくさんあって、それを全て吸収するには人生はあまりにも短い。どうしても焦って欲張りになってしまうんだけど、それだと中途半端で何者にもなれなくて、どうやって生きたらいいんだろう。