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監察医ガチャすぎる!!『監察医が泣いた死体の再鑑定』感想

この世には「親ガチャ」という言葉がありますが、「監察医ガチャ」もあるのかもしれない。


「監察医が泣いた死体の再鑑定」(上野正彦)を読んだ。
この上野正彦という方、大変有名な監察医らしい。
何冊か本を出していて、昔その中の一冊を読んでみた(タイトルは忘れた)のだけど、すごく興味深い内容だったので、この本も読んでみた。

感想は全て個人的な意見です。


あらすじ 

著者の上野正彦さんは、監察医だ。
本書は、著者が死体の「再鑑定」を行い、死因が覆ったケースをまとめたものだ。

別の監察医や法医学者が死体を解剖し、死因を特定したけれど、その結果に納得のいかない人々が、上野さんのもとへ依頼をしにくる。上野さんは、作成された「死体検案書」を再鑑定する。

その結果、恐ろしい事実が浮き彫りとなる…というのが本書の構成だ。


転落死とされていたけど、明らかに突き落とされてる死体とか、事故とされていたけど、明らかに自分で脚切断してるとか、上野さんの「再鑑定」で明るみに出てきた真実は、どれも衝撃的なものだ。

その真実から推測される死に至るまでの背景は、どれも興味深く、刺激的なこと間違いない。


監察医とは

まず「監察医」ってなんぞや、という話なんだけど、監察医とは、「行政解剖」を行う医師のことだ。

「司法解剖」なら皆聞いたことあると思うけど、「行政解剖」って何??と思う方が多いだろう。

「司法解剖」は事件性の疑われる死体に対して行う解剖のことで、「行政解剖」は事件性がないと思われる死体に対して行う解剖らしい。

まとめると、死因がわからない死体に対して、
事件性あり法医学者が、司法解剖を行う。
事件性なし監察医が、行政解剖を行う。
ということだ。


本当に「事件性なし」なのか

警察や検察が「事件性なし」と判断したとは言っても、いざ行政解剖してみたら、明らかに殺された死体だった、みたいなことがあるそうだ。そんなの怖すぎない…??

本書ではそういったケースがいくつか紹介されている。

さらに恐ろしいのが、「実は殺されてました」と監察医が証明したところで、犯人が捕まるとは限らない。

一度目の鑑定から時間が経っていた場合、新たな証拠を探すことも難しいし、目撃者の記憶も薄れているだろう。犯人がその間に証拠隠滅をしているかもしれない。

また、著者は直接死体をみるわけではないので、全ての情報を知れるわけではない。著者にできるのはあくまでも死体検案書を見た限りでの死因の鑑定であり、犯人を捕まえるのは警察や検察の仕事だ。

警察や検察が捜査しないと決めたなら、監察医である著者がそれ以上できることはない。

なので、絶対これ殺されてるでしょ……という場合でも、事件化に至らないこともあるようだ。恐ろしい……。


そんなとこで死因がわかるの!?

本書の見どころ(読みどころ?)のひとつとして、非常に細かい点から死因が明らかにされる、ということがある。
「そんな細かいところで死因わかるんだ!?」という衝撃を受けること間違いなしだ。

監察医や法医学者というものが、いかに人体に精通しているかがよくわかる。

そして、「情報を残しておくこと」の大事さもわかる。
死体自体は腐っていくので、いつまでも残しておくことはできないが、死体の情報を残しておくことはできる。
それさえあれば、死後時間が経っていても、もしかしたら真実が明らかにされる可能性もあるのだ。

運が良ければの話ですが……。

ところで、細かい点まで精査して真実を明らかにする著者に対し、「これ医学的にありえん間違いをしとるよ」という鑑定をする法医学者や監察医もいるらしい。

そういう人たちってなんなんだろう?上野さんが監察医として優秀すぎるだけなのか、そういう医者たちが何か特定の結論に持っていきたいのか……と邪推してしまった。


監察医ガチャってあるよね?

前述したように、最初に行われた死体検案が間違っていて、再鑑定により死因が明らかになったとしても、その頃には事件化するにはもう遅い、ということも往々にしてありえるわけだ。

そうなると、初めに誰が行政解剖を行うのか?ということがとても重要になる。
著者のような優秀な監察医に当たればいいが、下手な監察医に当たってしまったら、本当は殺されてたのに事故にされてしまうこともある。

まさに「監察医ガチャ」だ。

私が不審死した場合は、上野さんが鑑定してくださ〜い!!!!!お願いします!!!!

そもそもこの「監察医」という制度が、東京•大阪•名古屋•神戸の4都市にしかないらしい
え??少なくね????

本当は殺されてるのに、事故死や自殺扱いにされてることって、私が思ってるよりかなりの数あるんだろうな。嫌すぎる。

そして殺人犯が、平気でその辺に生きているんだろうな……
もしかして、今日の電車であなたの隣に座ったのも……


余談:監察医に依頼しにくる母たち

著者のところに依頼に来る人は、検察官、保険屋、個人まで様々だ。

その中でも多い依頼人が、「息子が自殺した母親」らしい。なんと全体の7割程度を占めるそうだ。

「うちの息子が自殺なんかするはずない。もう一度鑑定してくれ」というご依頼だそうだが、大抵母親の期待に添えることはない。

ここで個人的に気になったのは、「息子と母親」というものの繋がりの特異さだ。

母親と子供は、元々物理的につながっているため、父親との結びつきにくらべその絆が強固で独特のものとなりがちだということは理解できる(日本の父親は育児しない人も多いし…)。

しかしその理屈でいうと、息子のみでなく「娘」とも同様の結びつきがあってしかるべきだ。

なぜ娘にはこだわらず「息子」のみなのか。これについては、例えば男尊女卑社会の中で、「息子(男)を産んだ自分」として尊厳を保っているだとか、ミソジニーを内面化した結果だとか、そういう説明は思いつくけど、データとかは示せないので余談に留めておく。 


おわり

どういう死に方をするかは選べないし、死んだあとのことのこともわからないけど、せめてそれにかかる真実は明らかにしてほしい。

その中で大切な役割をもつ監察医、著者のような信念を持った方がたくさんいてくれたら、安心して死ねるようになるので、ぜひ増えてほしい。

ここまで読んでくれてありがとう!

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