MBTIって関係ないのかも
久しぶりにnoteを書こうと思ったのは、最近このことについて強く思うことがあったから。書こうというより、記録しておこうという気持ちの方が大きいかもしれない。
近頃よく耳にする性格診断、MBTI。
占い好きの私も例に漏れず、存在を知ってすぐに診断開始。
結果は、INFJだった。診断した当時、特に生きづらさを感じていた時期だったから、診断結果にとても納得したのを覚えている。同時に、このままの私でもいいのかな、と自分の性格を認めることができたような気がした。
noteを好きな人、普段考えていることを文章にしている人、それに共感できる人の中にはINFJと診断結果が出た人が多い気がする。(偏見すぎてごめんなさい)
反対に、私の周りには同じタイプの人が全然いなくて寂しかった。この、嫌でも考えを巡らせてしまう忙しい脳内について共感してくれる人は少なかった。いや、いなかった。優しい友人や、家族でさえも「考えすぎだよ」と片付けてしまう。そんな孤独な気持ちを抱えていた時に、noteという場所で同じINFJを見つけて、探して「そうそう!!」と共感して、気持ちが楽になっていたと思う。
だからこそ、この診断結果に絶大な信頼を置いていた。
最初は参考程度にしていたのに、いつの間にか「あの人はあのタイプだから合わないんだ」とか、世界を勝手に狭めるようになっていった。我ながら嫌な使い方をしていると思うが、一方で、自分が傷つかないための防衛本能だったのかもしれない。
そんなMBTIを信じきっていたある時、職場で同じINFJだという人と出会った。
心から嬉しかった。これで、これから一人で悩まなくて済むぞ!リアルタイムで共感しあえるぞ!と。
しかし、会話をしているとなんだか違和感を感じる。自分の思ったことが言えない。言っても共感してもらえない気がするから。言っても共感してもらえない気がするから?あれ?同じタイプじゃなかったっけ……
こうして、私のMBTIへの信頼が音を立てて崩れていったのであった。
ところで、どうして会話に違和感を覚えていたかと言うと、それは笑うところや嫌だと思うポイント、大事にしているものが違ったからだった。
例えば、私はジブリ派、相手はディズニー派。私はSNSがあまり得意ではないからできれば離れたいけど、相手は常にインスタを触っているような感じ。
仕事終わり時間があるとき何しているかという話題について、「YouTubeみたり、ラジオ聴いたり、本を読んだりしてます。」と答えたら「本?真面目〜〜!」と返されて、なんか通じないな、と悲しくなりました。(愚痴っぽくなってしまった。SNSが悪いというわけではなくて!)
そんな小さな違和感が積み重なって、なんだか話しても共感してもらえないかなと思うようになって、その人との会話の中で自分のことはあまり話さなくなった。
しかし、この出来事のおかけでようやく目を覚ますことができた。
タイプ云々の前に、気が合うかどうかは別でしょ!!という超基本的なことを忘れていた。そんなことを忘れていたと気づいたとき、恐怖さえ感じた。
そして、私の友人や家族は、タイプは違えど、共感しあったり、笑い合ったり、落ち込む私を励ましてくれていたことにも気づくことができた。
結果的に、周りに感謝してもしきれない気持ちでいっぱいになって、変なフィルターをかけるのをやめようと強く思った。診断はあくまでも診断だから。
もし、診断結果に一喜一憂していたり、私はこのタイプだからと悩んでいる人がいたら、そんなことないんだよ、って伝えたい。今自分の周りにいてくれる人を大事にできれば、それでいいんだって伝わってほしいな。