言葉というクスリ インターネットの公益

インターネット

インターネットを開くと日々いろんな事柄について議論がなされていて、多種多様な立場から
様々な意見が発せられ、それらが無秩序に飛び交っている。

インフルエンサーと呼ばれる人たちの意見が主に力を持っていて、その人たちの考えが多数の人に参照され、インフルエンサーの周りには人が集まりコロニー("界隈"と言われる)が形成されている。

インフルエンサーとその仲間のインフルエンサーごとにコロニーが形成され、コロニー間での意見の衝突も頻繁に起きている。

ハームリダクション

薬物(主に違法薬物)の世界には、ハームリダクションと言われる概念がある。

薬物を摂取する前に薬物に関する知識を学んでおくことで、薬物による問題が起きることを未然に防ぐ。
または、薬物によって問題が起きた際、対処の方法を学んでおくことで、最悪の事態に陥ることを防ぐ。
そういったことを目的とした、平たく言えば注意喚起のことだ。

MDMAなどのドラッグが世界的に流行した時代は"Just say NO から Just say KNOW"、頭ごなしにドラッグを否定するより、しっかりしたドラッグの知識を提供していこう、という流れが世界的に起きたりした。

解毒薬

オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた際、サリンの解毒薬であるプラリドキンヨウム化メチル(PAM)が大量に必要になった。

しかしPAMは当時多くの病院で大量に保管する種類の薬剤ではなかった。
そのため、被害がサリンによるものだと判明すると同時に東京都内での在庫が使い果たされてしまった。

そのような中、「大量のPAMが必要」との連絡を受けた名古屋市に本社がある薬品卸会社のスズケンは、東海道新幹線沿線の各営業所および病院・診療所にあるPAMの在庫を集めた。

そして東京に至急輸送するために、名古屋駅から社員を新幹線に乗せ、浜松・静岡・新横浜の各駅のホームで乗ってきた社員が直接在庫のPAMを受け渡して輸送するという緊急措置をとった。

PAMを製造する住友製薬は、自社の保有していたPAMを、関西地区から緊急空輸し、羽田空港から自動車で輸送し、治療活動中の各病院に送達した。

PAMは赤字の医薬品だったけれど、系列の住友化学にて有機リン系農薬を製造していたため、会社トップの決断で「有機リン薬剤を作っている責任上、解毒剤も用意しておくのが責任」として毎年製造を続けていた。

(出典:ウィキペディア)

毒物又は劇物の表示

毒物又は劇物の表示
(法第12条、規則11条の5、11条の6)

毒物、又は劇物の容器及び被包並びに、貯蔵し又は陳列する場所に「医薬要外劇物」の表示

販売又は授与する毒劇物にあっては、毒物又は劇物の名称、成分、含量、製造、輸入業者の名称、主たる事務所の所在地

その他、解毒剤の名称や取扱上特に必要な表示事項

有機リン化合物の場合
...解毒剤(PAM、硫酸アトロピン)の表示
塩酸又は硫酸を含有する住宅用液体洗浄剤、

DDVPを含有する衣料用防虫剤の場合
...小児の手の届かないところに保管しなければならない旨 等


言葉というクスリ

インターネットで飛び交っている言論は総じて平たく言うと"この問題はこういったことで解決する"といったもので、問題解決=治療を狙ったものだと捉えることができる。

言論、言説、言葉は、いわば問題という病気を治療するためのクスリなのかもしれない。

実をいうとクスリは毒物の一種だ。

治療というものは基本的には破壊行為らしい(インターネットで、そんなことを言っている人がいた)。
叩いたり、切り取ったり、形を変えたりして問題を破壊している。
クスリを使う場合は、問題に対して毒物をぶつけることによって問題を破壊する。

問題を破壊する効用があって、様々な実験や実証を通して、安全に使う方法がある程度確立された毒物をクスリと呼んでるんだと思う。

(治療は破壊だけれど、その先の状態に繋げることも必要だ。
言葉による治療は破壊の後、その先のイメージを提示する必要がある気がする)


インターネットでは言葉が無秩序に飛び交っている。
これはなんの管理もされていないクスリ、何の実験も実証もされていないクスリがタダでばら撒かれ、やりとりされているようなものなんじゃないだろうか。

つまり毒物が垂れ流されている状態になっている。公害・薬害が起きていると言ってもいい。


速くて大きい言葉 遅くて小さい言葉

インターネットで言葉を発する人たちは、あまり自分の意見の問題点、自分の意見を打ち消す意見をあまり発さない。

たまに静かに自身の言葉を省みるようなことを呟くこともあるけれど、彼らが主に発する言葉はネットミームのようなキャッチーな言葉で彩られたハイプ(誇大な言説)だ。
その言説に覆われて、静かな内省の言葉は見えづらくなっていることが多い。

オープンで速度のあるやりとりが行われる場や媒体(Xや掲示板、各種SNS)ではじっくり検討されていないハイプな言葉が悪目立ちし、内省の言葉はすぐにスワイプされ流される。

ゆっくりと言葉が発される場や媒体(書籍、noteやブログなど)では自身の意見の問題点などについて、じっくり語られていることもある。
しかしそういった場はクローズドな場であることが多く、課金が必要な場合があったりして、誰でも見られるものになっていない場合も多い。

言葉のハームリダクション・解毒剤

インフルエンサーの人たちは自身の言葉、クスリを提供することが自身の役目であると割り切り、自身の言葉がハイプであると意識し、自身にはそういった言葉しか発せられないと理解した上で、言葉を発している人もいる。
自身のいるコロニー(界隈)を大事にするため、立場をとっている。

けれど、本当に誠実な言葉を発したいなら、コロニーの持つある種の党派性に縛られず、コロニーやそこにいる人のことも考えた上で、自身の言葉(クスリ)に対するハームリダクションと、解毒剤の製造を行う必要があるように思う。

自身の言葉の問題点と、その言葉が及ぼす影響と功罪、それに対する対処法を、誰にでも理解出来る平易な言葉で纏めて説明し、その説明を誰でも見ることが出来る環境を整えることが、言葉を取り扱う人の責任なんではないだろうか。


念のために言っておくけれど、自分は言論統制をしたいわけではない。
ちゃんと読んでみると分かると思うけれど、自分は言論を規制したり、まして禁止したりすることを求めたりはしていない。
あくまで言論に関する注意喚起と知識の提供、その知識の運用法の伝達に努めたいと言っている。
ただ一歩間違えば言論統制になってしまう危険性はあるだろう。

文字の言葉に関してはこういう対策を行うことができる。
けれど音声の言葉、リアルタイムでやりとりされる言葉に関して対策するのは非常に難しく、不可能でもある。
そして、それをすることが人間の精神衛生に良いのかどうかは疑問だ。

やはり、やりすぎは良くない。

言葉を受け取る側の責任もある。自身で勉強して自衛していくことも大事だ。

けれど、知識の提供に努めても、聞かない人は聞かないし、聞けない人は聞けない。
人の能力には限界があるし、勉強しても追いつけない人もいる。責任能力にも限界がある。
その幅も人によって違うし、非常に狭い人も、全く無い人もいる。


だから、やったところでダメなものはダメだし、でもやらないといけないし...


...頭がこんがらがってきた!!!


インターネットの公益

さておいて。
こういったことは個人の力で出来ることではない。
インターネットという公的な環境を整えるための公益の概念が、インターネットの人々にあまねく浸透していくと良いな、と自分はとりあえず願っている。

最近では公益の概念がインターネットで広まっているように感じる。とても良いことだと思う。

でも、この先また荒れた人たちが現れたりするんだろうな、と予感はしている。
予感しながら、それがまんざらでもなかったりして。


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