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ハッピーホーム、ハッピーアイスクリーム

幾度も首筋に口づけを落とされながら、窓を見やると夕焼けもいよいよ夜の色を帯び始めていた。休みをいいことにほとんどの時間をこのベッドの上で過ごしていた。会話もそぞろに熱っぽい視線を絡ませながら、瞳に映る自分をぼんやりと眺める。

半年。

出会いからこの短い期間で急速に縮まった仲に一人感心してしまう。時間が許せばこの部屋で会っていたせいか、ずいぶん長い時間を過ごしたようにも思ったけれど、二人で全ての季節を過ごしてすらいないのだった。冬を越し、春を通り過ぎた。日が長くなってきたことで夏がすぐそばまでやってきていることを感じ季節の巡りを急に意識する。
私たちが行きつく先はどこだろうか。何度も巡る季節を私たちは積み重ねていくのだろうか。


「佳奈美さんお腹へった?」
鼻先を鎖骨にすり寄せながら、今田くんが聞いてくる。
「まあまあ。ご飯目の前に出されたら食べられるって感じ」
「俺もう腹減った」
「昼もそんなに食べてなかったもんね。何時間こうしてた?もう夜じゃんね」
「だってさ、佳奈美さんの体ずるいよ。離れらんないもん」
「普通でしょ」
「ねぇ。夜もいる?いなよ」
聞いておきながら、すぐにいてほしいと伝えてくるいじらしさにわざと「しょうがないなぁ」と大きめのため息をついて、額にキスをする。するとすぐに抱き寄せられてしっとりとした大きな手が背中をなぞってくる。これではいつまでもベットから出られなくなると「ここから近いのってマルエツだっけ?」ともう一度夕飯に意識を向けさせた。


シャワーを浴びて外に出る頃になると夕日の名残も消え去っていた。街灯に照らさせる道を指を絡ませて歩く。先ほどまでさんざん奥底の熱を暴くように体の上を這いまわってた今田くんの手は、野球をやっていたせいか大きくゴツゴツとしている。その手にしっかりと握られていると懐かしいような安心感を覚える。ふざけて腕をブンブンと振り歩きながら、ケラケラと笑う私たちに、すれ違った人は仲睦まじいカップルだと見るだろう。
土曜日の夕飯時にスーパーで買い物。惣菜ではなく、材料を買うあたり共に暮らす家で一緒に料理でもするのだろうといったところだろうか。野菜が陳列されたショーケースの奥は鏡になっていて二人の姿が写る。肩が触れながら耳元でささやきあい、ほほえみを交わす男女。ありきたりなカップル。確かにそう見える。
随分と甘い関係に見えるのものだなと、今田くんの横で何も考えてないようにほほえむ自分の姿に、冷え冷えとした目を向けてしまう。

「酒飲むっしょ?」
「夏の土曜日はビールがおいしそうだよねぇ」
「じゃあ6本ので買ってくか。夕飯は肉でいいんでしょ?」
「今田くんが作ってくれるおいしい料理、大好き」
本当にそう思っているのだけど、自分に向けた冷え冷えとした目をはらえなくて上滑りするような響きになってしまった。
少しぎこちなく聞こえるような言葉も空気感は拾わずにいてくれるのか、調子を合わせ「おいしいの食わせてやる」と意気込む今田くんは優しい。そういうところは、好き。

狭い店内をくだらない話をしながら何周も回る。野菜に肉、つまみにビール、私も今田くんもよく食べる人間だからかカゴはすぐにいっぱいになっていった。これから何日も二人の生活が続いていくような。そんな量。ビールを6本入れたあたりから腕が疲れてきたので、カートに乗せて運んでいると後ろから声がかかる。
「佳奈美さんこっち来て!」
振り向くと今田くんが冷凍ケースの方を指さして、満面の笑みを向けている。
「アイス?」
「夏だしね。おいしそうじゃん。それにさ、この前のあれよかったじゃん」
さっきまでの無邪気な笑顔に、少しだけいやらしさがにじむ。この前は。
「お口に運んであげたね」
「でさ、分け合って食べたじゃん。あれもうだめだよね。すげぇ興奮した」
「もう食べないって言ってんのに、何回もこっちに戻してくるから冷たかったよ」
「またあれやろうよ」
そう言うと腰を引き寄せ熱っぽく見つめてくる。すぐにスイッチが入るところも、この関係らしくて好きなところだ。
「でも今日チョコ食べたい」
「じゃバニラとチョコも買ってこ。いつか食うだろ」
カゴにいくつもアイスを放り入れると、そそくさとレジに向かう。お金を出す暇も与えず、さっさと支払いを済ませてくれる。一緒に居る時はほとんど財布を取り出すことがない。
一つ年下の彼にもらい過ぎているような感覚がして、いつも少しだけ気が引ける。
二つの袋に買い込んだものを詰めるとさっと二つともをもっていこうとする。さすがにそこまでしてもらいたくはなくて「こっちは手、握って」と荷物を奪い取って指を絡めた。
「可愛いのぅ」
少し大げさに戯けた言い方で受け入れてくれる。少しもやもやと考え始めそうなときに今田くんはこうして、気にしなくていいと笑いを誘う言い方をする。よく見ていてくれる、そういうところも好きだ。


「よぅし。作るからごろごろしてていいよ」
「ね。洗濯物とか、しとく?」
「それめっちゃ助かる。いいの?」
「いっぱいバスタオル使っちゃうからさ」
「カナチャーン」
愛おしくて堪らないような声を出して抱きしめてくる。一緒にこの部屋にいるし、この家のものを使ってる。だから、当たり前だと思うけど、こうやって大げさに喜ばれると戸惑ってしまう。
「なにその呼び方」
「カナちゃんへの想いが」
「照れんね」


洗濯機を回す間、取り込んだものを畳む。
無心に手を動かしていると、頭はいつの間にかこの前言われた言葉を反芻していた。

「ここに住んだらいいよ。家賃いらないけど、家事しててくれたら、すげぇ嬉しい」

10畳のワンルームにダブルベッド。新築で台所も広く、洗面台があって風呂には浴室乾燥機がある。収納はクローゼット一つ。
私と今田くんには少し収入の差がある。事務職にしてはそれなりの額だけど、それでもあまり余裕はなかった。それを憂いての言葉だったのかもしれない。彼なりの気遣いも感じられる。一緒にいたらそれは楽しい。
だけど、この部屋で二人がそれぞれ一人きりの時間を過ごすときはあるのだろうか。
同じ時間に寝て、同じ時間に起きる。同じものを見て、同じものを聴く。生活のほとんどを重ね合わせて暮らすのだ。病めるときも健やかなるときも。
今まで大切にしてきたたくさんの本や家具、洋服の大半は手放すことになるだろう。もうすでに生活をしている人の空間に居候するようなものなんだから。

「いい条件」なんだろうか。
体を分け合うようにして過ごしてきた。これから先の時間をこの人と分け合うのだろうか。

「ねー、そろそろできるよ!テーブルの上片付いてる?」
脂が弾ける音が台所から聞こえる。
「めっちゃ美味しそう。もう片付いたし、洗濯物も終わったよ」
「最高のコンビネーションじゃん」
「だねぇ」


食後は背の低いソファー二人で座り、あまり見る気のないテレビを流したままにする。
ダークトーンに揃えられた部屋に合うグレーのソファー。生地が少しゴワゴワしていて、その感触を確かめるように指先を滑らせた。

「美味しいご飯ご馳走さま」
「腹減ってたから一気に食べたな。ビールもう一本いる?」
「いる」
「アイスは?」
「一個まるまるは食べらんないな」
「そうでした。そうでした」
「そういう意味じゃないよ」
「わかってる。わかってる」
嬉しそうに冷凍庫からチョコ味のアイスを取り出し、ビールも持ってきてくれる。

「チョコ味にしてくれたの?」
「一緒に食べようと思って」
「そういうことしないけど」
「いいの。いいの」
スプーンでまだ硬いアイスをグリグリと掘り出しその一口目を私に差し向ける。
「一口目はいいよ。今田くん食べな」
「いいの。いいの」
そのまま押し切られて一口目を食べると、一気に口の中が冷える。チョコの甘い香りが口の中を満たし鼻に抜ける。幸せな味だ。
「美味しそうに食べるよねぇ」
「チョコ好きだからね」
「俺のことは?」
「好きだねぇ」
ビールに目を落としながら答えた言葉に「俺も佳奈美さん好き」と嬉しそうに答える。
ちらりと顔を盗み見るとやはり嬉しそうな顔をしていた。

何度もアイスを口に運んでくれるおかげですっかり、チョコの味で埋め尽くされる。甘いな。甘い。やっぱり食べきれない。
「アイスやっぱり一個は多いな。あと食べて」
私に分け与えながらちまちまとアイスをすくっていた今田くんは「じゃ食べちゃお」と大口で食べ始める。あっという間に消えていくアイスをビールを流し込みながら眺めていた。
苦い。さっきまでの甘ったるい口を中和するように飲み干していく。わたしにはアイスよりもこっちの方がちょうどいい。

「はー幸せ。これが毎日続けばいいのにね」
食べ終えて満足げな今田くんがにっこりとこちらを見て言う。
返事の代わりに少し冷たさの残る今田くんの唇にキスをした。


アイスは好き。でも食べきれない。
今田くんは好き。でも。
風呂場に残された小瓶のシャンプー、洗面台の下の戸棚のヘアアイロン、Mサイズのジャージ。
残り続けるそれらのことを聞けない。
まだそれらが心を占めてるのではないかということを。
誰かが巣食うそこは、わたしの居場所には感じることができない。


アイスは好き。でも食べきれない。
今田くんは好き。でも同じときを分け合えない。

キスに酔いしれる彼にもう一度深く口づけた。

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くまみ
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