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万能のステーションワゴンに乗っても、降りたら広大な林の奥で遭難し掛かった

 アウディのオールロードクワトロで初夏のオーストラリアを、1週間かけてシドニーからウインダムまで縦断したことがある。

 オールロードクワトロは、同社のA6アバントというステーションワゴンのサスペンションをエアサスペンション化し、舗装路での高速走行と悪路での走破性を両立していた。文字通り地球上のすべての道を速く、そして快適に走れるその万能性をデビュー以来、僕は高く評価してきた。

 エアサスペンションはスイッチで任意の最低地上高を選べるから、荒れた未舗装路や雪道などでは最も高い位置に設定して、大きな凸凹もクリアして進むことができる。オートモードを選んでおけば、舗装路に戻って時速30キロ以上で走り始めれば最低地上高は低い位置に戻って、中高速での安定性を取り戻す。

 エアサスペンションは、つねにボディが水平を保つように4輪それぞれを調整し続けるので、通常タイプのサスペンションからの大きなアドバンテージとなっている。

 オールロードクワトロが日本で発表されてすぐの時に数日間借りていたので、友人の学者の引っ越しを手伝ったことがある。東京の研究室で専門書の詰まった段ボール箱を10箱、リアシートを畳んで拡張したトランクルームに積み込んで軽井沢に運んだ。 

 関越自動車道での高速巡航や碓井バイパスでのコーナーが連続する急勾配を、極めて快適かつ素早く走り切ったのには驚かされてしまった。本をたくさん積み込んで、オーソドックスな金属製サスペンションでは後ろが重たく沈み込んでしまうところを、エアサスペンションが水平を保つことができたからだ。左右への連続したコーナリングでも同じように、ロール(傾き)をじんわりとコントロールしながら走ることができたので、車内は穏やかそのもので、不快に感じたり、ブレーキの効きが心許なくなるようなこともなかった。

 だから、オーストラリア縦断でも何も心配することなく最上のドライブ旅行になることはわかっていたので、とても楽しみにしていたのだ。

 実際、オールロードクワトロは3人と3人分の荷物、撮影機材を飲み込んでも余裕があった。オーストラリア仕様の3.0リッターV6ディーゼルエンジンは日本仕様よりも力強く、アウディの「クワトロ」システムによって、そのパワーを4輪に伝えていた。

 オールロードクワトロと同じようにエアサスペンションを装備しているSUVはアウディ以外にいくつもある。しかし、SUVは乗員の着座位置が高く、それに伴って重心も高くなるので、コーナリングの際に乗員が前後左右に振り動かされる幅が大きくなってしまう。オールロードクワトロはステーションワゴンなので、その幅が小さく、乗員が車内で揺すられない。悪路走破力は高く、加えて舗装路での高速長距離移動も快適。並みのSUV以上の万能性を持っていた。

 エアサスペンションを備えたステーションワゴンは、クルマのひとつの理想形と呼べる。この引越しの手伝いで良くわかったし、その思いはその後もずっと変わらない。

 大都市のシドニーを出発し、しばらく高速道路を走ると近郊の住宅地などを通り過ぎて、すぐに眼の前に大自然が広がっていった。内陸方向を目指して北上していくと、高い山や建築物などがないので、地平線まで見通せる。

 黄色というより褐色に近い岩や砂漠がどこまでも続いていく。それらの間に木々や草が生い茂り、時々、川を越えて、耕作地には農業用水の溜め池のようなものが作られている。

 日本の国道のような一般道での最高速度は90km/h。町や村などを通り過ぎる時には、それがまず60km/hに下がり、40km/h、20km/hと徐々に低められていく。日本のように、いきなり徐行の表示が現れるようなことにはならない。ドライバーの実際の運転を良く考えた上で規制している。そして、多くの町や村の入り口では、スピード違反の取り調べを行なっていた。

 直線と直角の曲がり角だけで中心部が成り立ち、道路沿いでは頭から斜めに駐車する方式など、オーストラリアの道路環境はアメリカに似ているところが多い。

 シドニーを出て、ブロークンヒルとアリススプリングスで一泊づつした3日目ともなると、周囲には人間と文明の存在は消え去り、褐色の岩と砂だけの世界に入り込んでいった。

 それでも、ときどき現れる草木の緑は日陰を作ってくれているだけでなく、眼にも優しく心休まるので、休憩は必ず植え込みや街路樹などの脇で取るようにしていた。

 丘と丘の間が広大な林になっているところを遠くから見付けたので、その前にオールロードクワトロを寄せて停め、外に降りて、伸びをしたり、ペットボトルから水を飲んだりした。

「あれ、なんでしょう?」

 カメラマンが林のほうを指さしている。

 人間の身長くらいの高さの、棒のようなものが何本か立っているのが見える。近付いて見てみると、蟻塚だった。

 褐色よりも少し白味がかった泥の塊のようなものの穴という穴から無数の蟻が出入りしている。蟻たちは、幸運なことに僕らの存在には気付かず、小さな砂粒や葉片、枝の切れ端などを蟻塚の中に無心に運びこんでいる。そんな小さなものを寄せ集めて、こんなに巨大なものを作り上げているのだろう。いったいどれくらいの時間を費やせば、ここまでにすることができるのだろうか?

 見ていて気持ちの良いものではなかったが、想像を掻き立てられ、見入ってしまった。数メートル離れたところにも、同じくらいの高さの蟻塚が立っていた。そこでも、無数の蟻たちが、せっせと砂粒などを穴の中に運び込んでいる。

 別の蟻塚では、蟻が見当たらない。役目を終えてしまったのだろうか?

 林の奥の方を眺めると、もっと背の高い蟻塚があった。蟻塚に、俄然、興味が湧いてきた。近付いていってみると、背の高いものは自分の背丈以上もあり、腕を伸ばしても届かないくらいの高さがあった。表面は砂のザラ付いた感じはなく、のっぺりしている。砂を固めるのに、蟻は唾液や体液などを混ぜているのではないだろうか。

 砕いて中を見てみたくもなったが、中から出てきた何万匹、何十万匹の蟻の大群に襲われたらかなわない。

 木々の間に、たくさん立っている。陽光が当たらず暗くなったところに立っている蟻塚の姿は、頭巾を被った人KKK団のメンバーのようにも見えて不気味だった。それが奥へ奥へと続いて立っている。いったい、どれだけの蟻塚が立っているのだろうか?

 そして、一本の蟻塚が2メートルを超える高さにまで伸びるのには、どれくらいの時間が費やされたのだろうか?

 蟻塚が密集しているのは、おそらくここだけのことではないだろう。オーストラリアの自然の底知れない奥深さ、人知の及ばない領域の広さに畏怖した。

 クルマに戻ろうと踵を返そうとしたら、方向を見失った。ほぼ真っ直ぐに林の奥に入ってきたはずだから、真後ろを振り返ればカメラマンやその向こうにオールロードクワトロが見えるつもりでいた。振り返ったらカメラマンはいないし、オールロードクワトロを停めた道路すら見えない。

 腰に手を当てて上半身だけ真後ろを向いて、進んできた方向を見直してみた。ゆっくりと首を回し戻しながら林を眺めてみたが、前も後ろも、景色が変わらない。ということは、林のかなり奥に入り込んで来てしまって、方向を見失ってしまったのだ。信じられなかったが、焦った。“迷った”という現実を受け入れたくなかった。

 林から抜け出られなくなる恐怖を抑えながら、心の中で自分に言い聞かせた。

「マズい。林の奥に入りすぎて迷った」

「焦るな、焦るな」

「無駄に動くと、余計にわからなくなるぞ」

「落ち着け」

「オールロードクワトロから降りて10分、長くても20分ぐらいしか経っていないのは確かなんだ。だから、遠くには来ていないぞ」

 使い慣れた海外用の携帯電話はズボンのポケットにあったが、もちろん圏外だった。ペットボトルに入ったミネラルウォーターや、パスポートや財布、アーミーナイフなどを収めたショルダーバッグすらクルマに置いたまま、手ブラそのものだった。

「木の生え方や路面の様子など、記憶を辿ってみろ」

「入ってきた時に見た何かを確実に思い出せれば、そっちが正解だ」

 カメラマンの名前を何度も呼んでみたが、何も返ってこない。

 すべての木々が同じものに見えてしまう。頭上を仰ぎ見ても、木の間から青空と雲が見えるだけだ。太陽も見えない。もちろん、道や轍もない。足跡も付いていない。道が近ければ、クルマが通過する音が聞こえるはずだが、それも聞こえてこない。風もなく、無音だった。

 自分は、どの方向から来たのか?

 それは前なのか、後ろなのか、左なのか、右なのか?

 まったく見当が付かなくなってしまった。

 迷ったことは間違いない。冷や汗がじっとりと出てきた。オーストラリアは夏だから、こちらに来てからは毎日、健康的な汗をかいていたが、これは冷や汗だ。

 ネガティブなことは考えないようにしたつもりだが、悪い想像ばかりが浮かんでくる。

「ここで迷って戻れなくなり、そのまま夜が来たらどうなるのか?」

「昼間は鳴りを潜めている凶暴な野生動物も現れるのだろうか?」

「それよりも、恐れなければならないのは蟻じゃないか!? 子供の頃にテレビで良く放映されていた『黒い絨毯』という映画を観たことを憶えているだろう」

「水もなく、飢えて体力も失い、動けなくなったところで蟻の大群に蝕まれていく。最後はきれいな白骨死体だ」

「縁起でもない想像は止めよう。僕が戻らなければ、カメラマンが心配するだろう。体力を温存するために、無闇に歩き回らず、しゃがんで待っていようか」

「でも、カメラマンも迷っていたら……」

「だから、悪い方に想像するのは止めよう」

 つい1時間前までは、オールロードクワトロを運転して快適に走っていたのに、こんな煩悶と葛藤に苛まれることになるなんて。蟻塚になんて気を取られなければ、こんなことにはならなかった。

 事態は、呆気なくその蟻塚が解決してくれた。林の奥に入っていくほどに蟻塚が高く、大きくなっていくことを面白がって、ここまで迷い込んでしまったわけだ。ということは、その反対に、蟻塚が短く小さくなっていく方向に進めば戻れるはずではないか?

 ひと筋の光明を見出した。いま立っているところから動かずに、ゆっくりと身体を360度回して、蟻塚をよく見較べた。どれも変わらない。次に、右に一歩、左に一歩、見回す位置をズラして、陰になっている蟻塚の高さの違いを見付けようとしてみた。見付からない。順番と歩数を間違えないように視点を左右に広げて、慎重に見える範囲を変えていった。

「あった!」

 すべての蟻塚の先端は凸状に先が尖ったかたちをしていたのだが、なぜかその蟻塚だけは凹型に先端が二股になっていたものがあったのだ。それを不思議に思ったのを思い出した。

 15メートルぐらい進んでそこに行き、また、その場で360度回ってみた。そうしたら、右斜めの方向が少し明るくなっていた。

「道路の方向ではないか?」

 間違いなかった。木々の間隔が広がって明るくなり、蟻塚の背丈も短くなっていった。さらに進んでいったら、その向こうにオールロードクワトロが停まっていて、カメラマンとアシスタントも立っていた。彼らは、あと10分待って僕が戻ってこなかったら、林の中に探しに入るつもりで、そのためにTシャツを細長く切って木に巻き付ける目印を作っていた。

「ああ、助かった」

「良かった、良かった」

 安心した途端に、ひどくノドが乾いていることに気付き、車内に何本も買って持っていたペットボトル入りのミネラルウォーターを一気に飲み干した。

 カメラマンとそのアシスタントに詫びるとともに検証してみると、時間にして1時間弱のことだった。迷ったことを自覚した地点からオールロードクワトロまでは直線距離にしたら100メートル以上離れていたことは間違いなかったが、かといって500メートルは離れていないような気がした。ましてや、1kmなどは絶対になかった。

 一瞬にして方向を見失ったと自覚した時の戦慄は、今まで感じたことのない種類のものだった。そして、無数の蟻塚の不気味な姿。蟻塚に巧みに誘い込まれて恐怖に包まれたが、そこから抜け出せたのも、また蟻塚の導きでもあった。

“すべての道を走れる”オールロードクワトロの際立った走破能力の高さとあまりにも対照的だったのは、道から離れての密林での自分の無力ぶりだ。進むべき方角を感じ取り、探り出していく野性の感覚と能力をまったく持ち合わせていなかった。タイミングがズレていたり、気の持ちようが違っていたりしたら遭難していただろう。道がないと生きていけないのだ。

 アウディのクワトロシステムは、その卓越した走破力を壁や天井をもすばしっこく動き回るヤモリになぞらえてマスコットキャラクターにしている。僕らが乗ったオールロードクワトロにもステッカーが貼ってあった。でも、無事に縦断を終え、オーストラリアから帰国しても、僕にはしばらくはそのヤモリが蟻に見えてしまって仕方がなかった。

 その後、オールロードクワトロはモデルチェンジして磨き掛けられ、弟分のA4オールロードクワトロもラインナップに加わった。しかし、その後、日本市場にはA6オールロードクワトロは導入が止まってしまい、A4オールロードクワトロのみとなってしまったのは残念だ。

 その代わりに、今度はメルセデス・ベンツが「オールテレイン」というバリエーションをEクラスに新たに設定した。エアサスペンションを備えた4輪駆動のステーションワゴンで、オールロードクワトロのような万能ぶりも変わらない。最新の運転支援機能やコネクティビティ能力などを持った現代の理想の一台に仕上がっている。

(このテキストノートは、BE-PAL.netい寄稿した記事https://www.bepal.net/archives/251086に加筆と訂正を加えたものです)

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