クルマの全体を撮らない理由
パート4まで出版されている「10年10万kmストーリー」の単行本に収録されている写真の多くでは、クルマの全体が写っていません。理由は、いくつかあります。
まず、持ち主とクルマの両方を1枚に収め、持ち主のいい表情を捉えることを優先していることが理由の一つ目です。
そうすると、カメラマンは必然的に持ち主に近寄ることになるので、全体は入り切らなくなります。ノーズからテールまでのすべてを収め、そのどこかに持ち主が写っているように撮ろうとすると、クルマと人間では大きさが違うので持ち主は小さくしか写らず、それでは表情もわかりません。
さらに、「どうしても、クルマの全体が写っていなければならないのか?」という撮影意図に関する問題が提起されてきます。
持ち主が写っていない、クルマだけの写真ならば全体が写っている必要もあるかもしれませんが、持ち主とクルマの関係を描こうとしている「10年10万kmストーリー」には必要ないのです。
また、クルマという立体を写真という平面で表現するわけですから、クルマ全体が写されているとしても、それは仮の姿に過ぎません。クルマの全体をあらゆる角度から撮った写真を何十枚見たとしても、それは脳内で組み立て、像を結んだものを了解しているだけのことです。
クルマの全体が写っていなければ、認識できないものでしょうか?
違いますよね。たとえフロントグリルの半分と片側のヘッドライトしか見えない写真であっても想像付きます。ましてや、記事に添えられているわけですから、タイトルを見ればそのクルマは特定できるわけです。
シトロエンCXを3台乗り継いだほどのクルマ好きの写真家である三東サイさんは、クルマによって切り取る範囲の大小や部分を探りながら撮影していました。個性的なカタチをした、それこそCXやミニや911などならば、なるべく少しだけ見えるように撮り、特徴が薄いクルマは見分けが付くように大きめになるように構図を決めようとしていました。
しかし、杓子定規な捉え方しかできない人はいなくならないもので、今でも、まだときどき訊ねられることがあるのです。
「なぜ、クルマの全体が写っている写真がないのですか?」
クルマのどの部分をフォーカスして撮るのかはカメラマンの腕とハートの見せどころでもあるし、それを受け止めるのは読者側の大きな楽しみにもなります。
撮影意図を汲み取って楽しんだりするよりも、ただただ条件反射的にクルマの全体が写っていることを求めてくる感覚や姿勢は完全に思考停止しています。可哀想ですけどね。カタログならばメーカーのホームページを見れば済むだけのことです。