このクルマを前にして陶然とならない人はいないだろう
MASERATI Ghibli マセラティ・ギブリ(1969年型)
クルマの“美”の本質とは何だろうか?
一般的には、性能と機能に裏打ちされたカタチが美しいとされている。速さだったり、車内スペースだったり、画期的なメカニズムなどが搭載されていることが前提として語られることが多い。
しかし、久しぶりにマセラティ・ギブリと対面して、機能やメカニズムなどを超越して「ただただ美しい」クルマが存在し得ることを改めて自覚させられた。
もちろん、ギブリもカッコだけのクルマだったわけではない。当時の性能は超一級だった。1950年代のレーシングカー「マセラティ450S」のエンジンをベースとした4.7リッターV8は330馬力と強力で、最高時速は280km/hを誇っていた。
ボディを造形したのは、まだカロッツェリア・ギアに在籍していた若き日のジョルジェット・ジウジアーロ。
だが、そうしたウンチクを聞かなかったとしても、このクルマを前にして陶然とならない人はいないだろう。
まず、全体のプロポーションが躍動感に満ちている。長いボンネットの中心より後ろに位置しているキャビンは小さめで、その対比が絶妙な視覚的緊張感を生み出している。真横から見ると、ドライバーがかなり後輪寄りに着座することが見て取れる。
後ろから眺めると、小さめのキャビンとは対照的にリアガラス窓が大きく開けている。キャビンは直線を基調として窓がデザインされているが、フロントグリルから始まる前後フェンダーの稜線はエレガントなカーブを描きながら上下を繰り返している。
ルーフは極端に薄く、先行するクルマのミラー越しに見ると、まるでコンバーチブルのようにルーフは見えない。
繊細な曲線と曲面によって構成されながら、それによってまとめ上げられた造形は流麗で、大胆な印象を与えている。
「斜め後ろからと真横から眺めた時のカタチが好きです」
オーナーの小林和弘さん(48歳)も、ギブリの造形に魅せられている。
「ギブリには若かったジウジアーロの才気が溢れていて、勢いと閃きが感じられますね」
あえて記すまでもないが、ジウジアーロは1968年に独立し、自身の「イタルデザイン」を設立し、数々の傑作を世に送り出す。ギブリとは正反対のようなパサート、ゴルフ、シロッコなどの新生フォルクスワーゲン三兄弟を生み出すなど、幅広い範囲に渡って傑出した才能を発揮したジウジアーロはまさにカーデザイン界の天才である。
小林さんがギブリを手に入れたのは2003年。家の近くの中古車店の工場でボンネットを開けて整備を受けているところに遭遇したのが最初の出会いだった。
ギブリは、小林さんにとって5台目のマセラティであり、また3台目のギブリだ。
アルファロメオGTV3.0から乗り換えた1997年型のギブリ・カップが初めてで、クワトロポルテ、1998年型のギブリ2、1999年型3200GTと続き、2003年にこの1969年型のギブリを手に入れた。
「もともと、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンにもギブリのオーナーさんが何名かいらっしゃって、存じ上げていたんです。みなさんカッコ良く素敵にギブリを乗りこなしていたので、とても自分も同じように乗れるとはイメージできませんでした」
それまで比較的新し目のマセラティを乗り継いできていた小林さんだったが、いつかは古いものにも乗りたいと考えていた。それはマセラティに限ったことではなくて、一時は1950年代から60年代のイタリア製小型スポーツカーも気になっていたことがあった。
「シアタやモレッティ、スタンゲリーニ、アバルトなど、“イタリアの虫”と呼ばれる小さなクルマで、ヒストリックカーのラリーなどに出場できたらいいなと考えていました」
小林さんは、バンディーニやカロッツェリア・モット製のボディを持ったフィアット600などの虫たちの購入を検討したことがあった。
「でも、“虫”なのに1000万円もして、手が出ませんでした」
虫ではなく、ランチア・フラミニア スペルスポルトという1960年代の高級なGTの売り物を見に行ったこともあったが、高価で断念した。
1960年代のマセラティ・ミストラルも小林さんの前に現れたが、コンディションが良くなくて断念した。
自分が欲しいと思う古いクルマを手に入れるのは簡単ではない。コンディションやタイミング、相手の意向などさまざまな条件がすべて揃わなければならない。
値段も比較的に手頃で、店が近所だったこともあり、小林さんはギブリを買った。アメリカ仕様で、グリーンのボディカラーも塗り替えられたものだった。
のちにイタリアのマセラティ本社に申請して発行してもらった証明書によると、最初の発注はニューヨークの販売店からだった。ボディカラーは「Rosso Fuoco」とある。イタリア語でピンクメタリック色のことだ。にわかには想像しがたい色だが、途中でこのダークグリーンに塗り替えられている。
小林さんが正式会員となっている「マセラティ・クラブ・オブ・ジャパン」では年に一回、会員同志がマセラティに乗って集まる「マセラティデイ」を開催している。鈴鹿や富士などのサーキットで行われる場合もあれば、高原のロッジや京都の下鴨神社で行われたこともある。
下鴨神社にはクラブがイタリアから招聘したアドルフォ・オルシ・ジュニアとギブリを前にして話をすることができた。オルシ・ジュニアは1937年にマセラティ兄弟からマセラティ社の経営を引き継いだアドルフォ・オルシの孫である。
「私が大学生の頃に家にあったから憶えていますが、あなたのギブリにはオリジナルと異なるところがありますね」
フロントバンパーが前方に出過ぎているところやマフラーの端がテール斜めにカットされていることをはじめとして10数カ所を指摘された。
アメリカ仕様に加えられた改変が多かった時代ゆえのことだったのだろう。
マセラティデイには毎年参加していた。「ギブリ2に家族5人乗り、はるばる鈴鹿サーキットまで出掛けたのは良い思い出です」
毎年参加していたが、2014年は欠席した。代わりに、イタリアで行われたマセラティ100周年イベントにクラブの仲間とともに参加したからだ。
創業時のボローニャの工場の跡地を訪ねたり、ヨーロッパ各地から参加してきた100台あまりのマセラティのツーリングにレンタカーで合流したり、モデナでのガラパーティやコンクールデレガンスなどにも出席したのは、とても良い記念となった。
国内では、ギブリでヒストリックカーラリーなどのイベントに参加するのを楽しみにしている。小林さんの住む群馬県は山に近く、多くのイベントが開かれるので、参加しやすい。ただ、3人の子供たちもまだ小さく、自分のためだけの長い休みは取りにくい。オートバイや自転車なども小林さんの嗜みだが、子供たちの成長に優る喜びはない。
ギブリはボディの塗装がだいぶ傷み始めて来ているので、そろそろ再塗装が必要な時期が来る。エンジン(マセラティ製V6!)が掛からなくなってしまったシトロエンSMの整備も控えている。
やらなければならないことが目白押しの小林さんなのだけれども、それらよりも優先しなければならないのは、ここのところの子供たちの成長ぶりによって車内が急に手狭になったように感じるアウディA6オールロードクワトロに代わる大きなファミリーカーを見付けることだ。忙しいお父さんをギブリの美しい姿が癒してくれる。
文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho(STUDIO VERTICAL)
(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)
文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho (STUDIO VERTICAL)
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