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10年10万kmストーリー

1台のクルマに10年もしくは10万km以上乗り続けている愛車物語。マニアでも、マニアでない人でも、クルマに乗り続けるとそこにはオーナーの人生が投影されていきます。毎月、僕がオーナ…
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#10年10万kmストーリー

ゴルフを生み出したフォルクスワーゲン社の姿勢に共感している。10年10万kmストーリー…

 フォルクスワーゲンのゴルフが生誕50周年を迎えている。50年前は小学生だったけれども、最初…

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次回の「10年10万kmストーリー」は、フォルクスワーゲン・ゴルフです

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金子浩久書店
3週間前
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「冬の新潟ではFRは使いものにならない」10年10万kmストーリー第94回 トヨタ・クラウ…

 早朝に自宅を出て、副都心線からJRに乗り換え、さらに新幹線で終点まで行って、そこからまた…

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金子浩久書店
4か月前
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“便利がすべてじゃない” 10年10万kmストーリー 第93回 フィアット・パンダCLX(1995…

 2003年にフィアット・パンダが初代から2代目にモデルチェンジした時は、大きな肩透かしを喰…

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金子浩久書店
5か月前
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クルマはすべて三越の外商から。工場には一度も行ったことがない。10年10万kmストーリ…

 往年のデイムラー・ダブルシックスを新車から32年8万2000km乗り続けている85歳の女性オーナ…

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金子浩久書店
7か月前
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30年の“サプライズ” 10年10万kmストーリー第90回 ランチア・デルタ インテグラーレ …

 生まれて初めて、“サプライズ”プレゼントの手伝いをした。  おそらく父親が予期していな…

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金子浩久書店
8か月前
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戒厳令下の韓国の高速道路で最高速トライアル 10年10万kmストーリー第89回 BMW740i(2000年)18年15万5000km

 今から40年ぐらい前の東西冷戦期のエピソードを思い出した。 「ヨーロッパ各国の高速道路は共産圏諸国との戦争に備えて、高速道路の直線部分をいつでも軍用機の滑走路に転用できるように造られている。幅が広く、傾斜を付けず、建物が接近しておらず、橋などが架けられていないところのことだから、すぐにわかる」  東ドイツと国境を接していた当時の西ドイツや中立国のスウェーデンなどに多い、と聞いたり読んだりしたことを憶えている。  その頃は、まだヨーロッパに行ったことがなかったけれども、

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エフアールの後ろから押されていく感じが好きです。10年10万kmストーリー 第88回 BMW …

 東京の神保町にあるシェア型リアル書店「PASSAGE」に、僕も棚を一つ借りて「金子浩久書店」…

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金子浩久書店
10か月前
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迷いながら行くのがいいんですよ。道を間違っても人に訊きながらね 10年10万kmストー…

 少し前まで、日本の自動車メーカーは国内に数多くのモデルを投入していた。メカニズムは同じ…

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ミツオカに乗る人の気持ちがわかった 10年10万kmストーリー 第82回 ミツオカ・ガリュ…

 以前から、ミツオカに乗り続けている人の話を聞いてみたいと思っていた。  実は、ずいぶん…

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10年10万kmストーリー 第80回 プジョー206RC(2003年) 11年12万5000km

 見知らぬ人から、SNSのダイレクトメッセージが送られてきた。 <10年10万キロストーリーは…

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10年10万kmストーリー 第79回 ホンダ・プレリュードTypeS(1997年)25年19万8000km

 ホンダ・プレリュードも、最近は街であまり見掛けなくなった1台だ。  最後となってしまっ…

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10年10万kmストーリー 第78回 スバル・アルシオーネSVX バージョンL(1992年型) 29年…

 大きな公園の駐車場に駐められていたスバル・アルシオーネSVX(以下、SVX)は遠くからでもす…

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10年10万kmストーリー 第77回 トヨタ・セリカクーペGT-R(1984年型) 15年29万3000km

 調べてみると、セリカという名前を持ったクルマが造られなくなって15年以上が経っている。  セリカは時代によって、さまざまに姿を変えてきた。7代36年間の歴代モデルの中には、バリエーションもいろいろある。メカニズムも変わった。XXやスープラなど、派生や転生も多い。だから、どのセリカに親しみを抱くのか、人によって違ってくる。筆者の場合は、初代の(ダルマ)セリカやリフトバック以上に憧れていたのは、2代目である。曲線と曲面が多用されたボディは当時の他のどのクルマにも似ておらず、子

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