「白滝」という姓。
一応この内容も、記録しておきます。
実はここ最近、家系図をつくりました。
それも父方・母方の4家系を、できるところまで遡ったんですね。
その一番のきっかけは、やはり父を送ったことです。
その遺品の中にあった自分の写真とへそ脳や、小さい頃のお布団まで出てきてしまって、父親に対するイメージの大逆転が大きかったです。
次にお孫ちゃんが11月に生まれるということや、息子くんの方向性とも重なって、この際一気に「家系図」を作りたくなったのです。
それも今年4月から戸籍・除籍謄本等が「広域交付」可能になって、田舎にわざわざ行かなくても最寄りの区役所で「家系図をつくるため」という目的で、集めることができるというではありませんか!
結局仕事が暇だった2日間で、区役所を往復しながらできちゃったんですね。
本当に驚きでした♪
するとなんと、お名前上では5代前の江戸時代、文政10年(1827年)生まれの方まで出てきたからびっくり!!
日本の戸籍制度はたいしたもんだなぁ~と実感しました。
と、同時に・・・
「歴史が自分化した!!」のです。
お名前上のご先祖が、アヘン戦争(1840年)や安政の大獄(1858年)などあった時代に生きていた!!(まっ、当然のことですかw)
という、とてもリアルに沸き起こる「実感」が伴ってきたんですね。
そして一人ひとり、生年月日と死亡日などを読み解いていくと、いろいろな発見もあったのです。
例えば娘ちゃんと父方の(私の)おじいちゃんと同じ日に生まれていたり、私の母親と母親のお祖父さんと同じ日に生まれていたり。
また多分?と思われる「性格」までも、一部わかってきました。
例えば母親のお祖父さん(明治時代の人)が、子どもが生まれてその日に死んだとしても名前を付けて戸籍申請していたことなど見ると、まじめな人だったんだなぁとか・・・(他の家系では、何日か生存していても戸籍にアップされていないのに、です。)
その誠実で人のいい(と思われる)母親のお祖父さんは、子どもを養子に送っていたり、戦争に送ったりなど、後半の3人は全てなくしているんですね。
それを見た長男である母親の父親(私のおじいちゃん)は、とても冷酷な人になってしまったのではないか?!と。
おじいちゃんは、いつも怒ったような顔をした怖いおじいちゃんで、お小遣いも一回もくれなかったんです。(その分おばあちゃんは、とても優しい人でしたが。)
そんな「おじいちゃんの謎」まで、勝手に解明されたのだから・・・戸籍 ってすごいなと思いました!!
でね、noteでも使わせていただいている「白滝」なのですが、実は本名の苗字はよくある名前なのですが、母方の苗字が「白滝」なのです。
両親が離婚する時に母親は、私と弟に「白滝」姓に戻したい意向でしたが、多感な高校生時代に「苗字が変わる」ことが嫌で、そのまま父親の姓で母親も癌で、私が22歳の時に亡くなっているんですね。
もしあの時、「白滝」姓に変っていたら・・・
という想いもあって、こちらでは使わせていただいております。
そして今回、家系図をつくりながら、弟家族とも大ヒットしてしまったのが、その白滝のおじいちゃんの弟さんが戦死していたんです。
確かに昔、おばあちゃんちに行くと、若い水兵さんのお写真が飾られていたことを思い出して、戸籍を見ると死亡届が横須賀になっているところを見ると海軍で亡くなられたようです。それも当時、22歳で・・・
調べてみると、軍歴証明書というのも発行してもらえるかも?ということだったので、必要書類をまとめて厚労省に送らせていただきました。
アヘン戦争や安政の大獄や大東亜戦争(第2次世界大戦)も、こんなに身近なものだったのですね。
若かりし頃、日本が嫌いでわざわざ海外脱出して…
お外から見た日本を再認識することになり.…
今回ご先祖さまを通して、今ここに「自分」がいることを認識させられてしまった。
そしてその命のバトンを受けて、次の世代に引き継がれていく…
壮大な歴史のど真ん中にいることを、強く実感させられました。
ありがとうございました。