出雲の国引き神話
「八雲立つ」は「出雲」の枕詞とされる。「八」は、多いことを表す。出雲の地は雲が多く、夕方の雲など、とても綺麗だ。
しかし、出雲で生まれ育った者にとっては、それは当たり前のことであって、特に「雲の地方」なんてことは思わない。出雲に雲が多く、「八雲立つ出雲」ということは、他の地方を知っている者が言う言葉だ。
日本を「葦原の中つ国」、つまり水辺のアシ(葦)がたくさんある「水の国」と呼んだのは、水の少ない地方(国)から来た者だろう。
出雲の地は、他から来た者も多いだろうが、出雲の住民が他の地方へ出かけていったことも多かった。海上の道を使った、他地方との交流も盛んだったようだ。だから、高志の国や、他の国の地名などもよく知っていた。高志の国は、越国で、今の越前、越中、越後を指しているともいわれる。そんな地名が多く出る、「出雲国風土記」にある、ヤツカミズオミズヌノミコトの国引き神話を現代語訳してみる。
八束水臣津野命は、出雲の地をながめ、「八雲立つ出雲の国は細長く狭い。それでは国を引き寄せて大きくしよう」と思われた。新羅の国を見れば、国の余りがある。よし。これを引き寄せよう。
山陰の霊峰、伯耆の国にあり、伯耆富士と呼ばれる大山に登れば、島根半島の姿や、遠くの島や土地が見える。まるで箱庭のような風景は、ちょちょっと手を動かせば国を作り替えることができそうに思える。
命は、少女の胸のように平らな鋤を手にし、大魚の鰓を突きさすように土地を切り離し、三本によった強い綱をかけ、船を引くように、そろりそろりと、「国来い国来い」と引き寄せた。
国を引き寄せるなんて、巨人でもなければできそうにないが、大山からの眺望のように、国のイメージさえ具体的にできれば、巨人でなくても頭の中で国を引き寄せることができる。
箱庭のように見える風景を、手を伸ばして作り替える。バーチャル世界で風景を変えるのと同じことができる。
なにせ神話の時代の話だ。神様が願えば、国をそろりそろりと引き寄せることもできるのだ。
こうしてできた国が、去豆の折絶から大社の日御碕である。そして、この国をつなぎ止めるための杭が石見国と出雲国の境にある佐比売山こと三瓶山である。また、引いた綱は長く続く砂浜、園の長浜である。
何千年も昔にできた園の長浜の海岸では、波打ち際の砂の中に手を突っ込むと、ハマグリがいくらでも取れた。スーパーで売っている、アサリよりも小さいハマグリではない、ぷっくりと大きなハマグリがいくらでも取れた。それが数十年前の風景。
ところが、何千年も続いた豊漁の海が、人間の手による数十年の環境変化で、ハマグリが取れない砂浜となった。国を引き寄せる神の力以上の変化を、人間が行っている。
さて、神話へ返ると、
北方の佐伎の国に、国の余りがないかと見れば、国の余りがある。少女の胸のように平らな鋤を手にし、大魚の鰓を突きさすように土地を切り離し、三本によった強い綱をかけ、船を引くように、そろりそろりと、「国来い国来い」と引き寄せてできた国が、多久の折絶から狭田の国である。
また、北方の良波の国を見れば、国の余りがある。少女の胸のように平らな鋤を手にし、大魚の鰓を突きさすように土地を切り離し、三本によった強い綱をかけ、船を引くように、そろりそろりと「国来い国来い」と引き寄せて縫いつけた国は、宇波折絶から闇見国がこれである。
また、高志の津津の三埼を見れば、国の余りがある。少女の胸のように平らな鋤を手にし、大魚の鰓を突きさすように土地を切り離し、三本によった強い綱をかけ、船を引くように、そろりそろりと、「国来い国来い」と引き寄せて縫いつけた国は、三穂の埼である。持って引いた綱は夜見島、つなぎ固めるために立てた抗は、伯耆国の火神岳、すなわち大山がこれである。
八束水臣津野命は、「やっと国を引き終わった」と言って、意宇の地に杖を立て、「おおっ終え」と声をあげられた。そこで、この地を意宇と呼ぶことになった。
とさ。