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奇事中洲話①~「冥途の飛脚」をなぞる山東京伝の黄表紙
「雉も鳴かずば撃たれまい」ということわざは、「雉が鳴かなければ猟師に撃たれることもない」から、「よけいなことを言わなければ禍はやってこない」という意味に使われる。身分社会の江戸時代に、支配階級の悪口を言えば、禍がやってくる。そのことわざに、「中洲の話」という意味をかけた「奇妙な事柄」というタイトルになっている。隅田川の埋め立て地、中洲(現在の日本橋中洲)には、火事で焼け出された吉原の遊郭が、一時店を構えていた。
山東京伝(1761~1816)の黄表紙「奇事中洲話」は、寛政元年(1789)に蔦屋重三郎(1750~1797)から出版された。挿絵は、浮世絵師北尾政演としても有名だった京伝の弟弟子、北尾政美(1764~1824)。政美は後に鍬形蕙斎の名で肉筆画も描いている。出版社、絵師ともに身内でかためた京伝は、作品自体も表面的には身内の楽屋落ち的な内容となっているが……そこに当時の江戸の町の様子が描かれている。
上中下三巻の作品の現代語訳(かなり意訳)を、三回に分けて紹介する。
上巻
序
荻野八重桐は歌舞伎役者で有名、吉原から中洲に移った名菓最中月、月の名所の三股を埋め立てできた中洲にて、月も二十日の、二十日あまりに四万両を使い果たした飛脚屋忠兵衛
三浦屋高尾は楓の紋所の遊女、三股に濡らす女郎の涙、十七八の突出女郎を終えたと思えば、二度の勤めで浮名を残した槌屋梅川
さてさて彼らの物語。
寛永元年 山東京伝述
一
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上の一場面の挿絵を見ている読者の声をセリフとして書く。
女主人「どれどれ、見せな。オツな本だねえ。屏風の内側にいる、画面左のいい男は、高麗屋松本幸四郎の似顔絵のようで、『忠』の字がついているから、近松門左衛門の『冥途の飛脚』から、『浪花の梅川伝・梅川忠兵衛道行恋飛脚』の忠兵衛さ。こっちの女郎は『梅』の字がついているから梅川で、芝居の役者は浜村屋の瀬川菊之丞さ。さあ早く次のページを開けな」
女中「そんなら左の男は、敵役の八右衛門でござりましょう。色男忠兵衛のカバンを盗んで、中の印鑑を手に入れ、うまくいったという顔をしておりやす。憎らしいね」
主人「この女郎は、いやらしく男によりそっているわな」
女中「この色男は、いつも御用聞きに来る小間物屋に似ております」
二
![](https://assets.st-note.com/img/1731156882-LDhNpwY2XfUkBVajqKbi6ygW.png)
またまた読者の声が聞こえる。
読者の男「おっ、ここは暖簾に『かめや』と書いてあるから、忠兵衛の家の飛脚屋さ。捕り手が大勢やって来て、右には米俵がたんと積んである。こいつはどういう意味だろう」(実は当時、実在の飛脚屋で米の買い占めの不正事件があったのを暗示する)
女「ひらがなで『とったとった』と書いてあるけど、『取った取った』とは、宝くじにでも当たったのかの」
挿絵の捕り手「捕った捕った」(←ひらがなの「とった」に漢字を当てはめると、これ。「逮捕だ逮捕だ」という意味)
三
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当時の本は、買うよりも家々を回る貸本屋から借りていた。この場面では、本を持ってきていた貸本屋の声をセリフとして書く。
貸本屋「どっこい。ここは追っ手を逃れた梅川と忠兵衛の道行きの場面だ。こいつは歌にも歌われた有名な場面だ」
貸本屋「二十日あまりに四十両、使い果たして二分残る。金も霞むや初瀬山
とは、うまく書けたセリフさ。この芝居の頃に比べると、高麗屋も、めっきり年をとりました。
これさ、もし、おじょうさん、そんなにツバをつけて本をめくると、後で本が使い物になりませぬ。ちょっとちょっと、およしおよし」
さてさて、ここから本文のストーリーが文章で表現されます。
四
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その頃、地獄の主の閻魔大王は、だんだんヤキがまわり、腕前が落ちてしまったので、地獄の十王たちの勧めで隠居をし、蔵前の運慶作といわれる閻魔像を呼び迎え、二代目閻魔大王として、敬い、かしずきける。
おりふし、死者の生前の姿を映すという、地獄の浄玻璃の鏡に、中洲の景色が写れば、まるで錦絵のようににぎやかだ。
鬼「ただ今、三途の川に、女郎か素人女かわからないような女がやって来て、『閻魔様に会いたいわいの』と申しております。いかが計らいましょうか」
閻魔「女ときては、そいつはおもしろい、尾も白いから面白狸だわえ。早く、ここへ呼べ呼べ呼べ(野辺)の若草」
と、流行の先端、蔵前育ちほどあって、とんだシャレ者でダジャレを連発し、十王たちも心やすくし、友だちのように思い、
「閻公閻公」
と呼びたてまつり、「二代目」として、いっそう地獄もにぎやかになり、いろいろおかしな話はあれども、地獄については、たびたび草双紙(黄表紙)に描かれているので、ここでは略す。
五
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やがて、かの女を閻魔大王の前に引き出して、よくよく見れば、娑婆にいたときに、中洲で馴染みの、地獄と呼ばれた素人売春婦なので、さすがの閻魔大王も、おおいにびっくりしてしまった。
閻魔「おまえにここで会うとは、閻魔異なもの味なもの(縁は異なもの味なもの)、男と女の関係のなんと不思議なことか。このシャレはどうだどうだ。まいったか」
女「わっちがはるばる地獄までやって来たのは、ほかでもないが、今までは地獄と呼ばれる素人売春婦の支配下であった中洲も、今度、極楽と呼ばれる幕府公認の吉原の店が何軒も中洲にやって来て、地獄のわっちは、どうにもやりにくくって、生活もできず、ここへ来たのさ。どうぞ、いいようにしてくんなせい。めぐる閻魔(因果)が車の輪、因果応報でござりやす」
ここまでが上巻。観客である読者が登場人物となって物語が始まる。物語では地獄が出てきて、さてさてどうなるか。
次回につづく、
作中、ことわざを使ったダジャレ(地口という)を連発しているが、ことわざについてまとめたものは、こちら、
この話のように、絵と文で描く黄表紙の始まりといわれる「金々先生栄花夢」の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作「江戸生艶気樺焼」の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。