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中学国語教科書にある万葉集の歌① 東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
「万葉集」は、奈良時代に作られた、日本最古の歌集。なにせ昔のことだからよくわからないことが多い。それまでにも歌集が作られていたのかも知れないが、現在残っているもので一番古いのが「万葉集」。「現存する最古」となる。約4,500首の歌が収められる。五七五七を長く繰り返す長歌が約260首。五七五七七だけの短歌が約4,200首。「短歌」という言葉は、「長歌」に対して作られたもの。その他の歌もある。「万葉集」の後からは、五七五七七の短歌が中心となる。作者は、天皇、貴族だけでなく、農民や防人(=兵士)の歌もある。その後の歌集は、貴族と坊主のものとなる。それは、文字を書ける人のみが、筆でさらさらと書くのが短歌(和歌)となったからだ。「万葉集」の時代は、貴族も農民も文字を使えなかった。知らなかった。それでも心に浮かぶ思いを五七五の言葉に載せて表現した。その歌が口から口へ語り継がれて伝わっていった。
同じ人の同じ歌でも「万葉集」と鎌倉時代に伝わった「百人一首」の歌では少し違うことがある。伝わるうちに同じ歌が変化していった。
「万葉集」は大伴家持が編集に関わっていると考えられる。ちなみに、「和歌」という言葉は、中国の詩「漢詩」(漢の国=中国の詩)に対して、和の国(日本)の歌という意味。
光村図書の中学国語3年に載っている「万葉集」の和歌を紹介する。中学生も覚えている歌だから、大人も覚えてしまいたい。
東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 柿本人麻呂
東の野に日の出前の光が射し始めるのが見え、振り返って西を見ると月が傾いて沈もうとしていた。
「東」は「ひむがし」だが、読むときは「ひんがし」。東の野に「炎」が立っている。「炎」は明け方に東方に射す光。
朝日が昇るときに、西の方角を見たら、月が沈もうとしている。明け方に沈もうとする月は満月の頃になる。満月の日(月齢15.0)は、月と太陽が地球をはさんで一直線に並んでいる。満月後に、月と太陽が同じ空に浮かぶ。
今年2022年3月18日の満月は、実は月齢15.4日で、月の入が6:14(神戸の場合)、日の出が6:06。一直線には少しズレている。月と太陽が8分間同じ空に浮かんでいる。
翌3月19日の十六夜は、月の入が6:42、日の出が6:05。37分間も月と太陽が同じ空に浮かんでいる。早起きして見てほしい。
歌の中では、丸い月と丸い太陽が同じ空に浮かんでいる(浮かぼうとしている)。大自然の驚異的な1ショット。そのすばらしさを伝えようと五七五七七の短歌にしている。
柿本人麻呂は万葉集の代表歌人で、山部赤人とともに「歌聖」と呼ばれている。
春過ぎて夏来るらし白たへの衣干したり天の香具山 持統天皇
春が過ぎて夏がやってきたようだ。真っ白な衣が干してある天の香具山よ。
「春過ぎて夏来るらし。」と、二句切れ。「天の香具山」と名詞(体言)で終わる体言止め。
同じ歌が、百人一首では次のようになる。
春すぎて夏来にけらし白たへの衣ほすてふ天の香具山 (百人一首)
春が過ぎて夏がやってきたようで、夏になると真っ白な衣を干すという天の香具山よ。
平安時代の「万葉集」に書かれた歌は「万葉仮名」で書かれており、普通の人には読めない(春過而夏来良之白妙能衣乾有天乃香具山)。万葉集とは別に、この歌が口伝えで鎌倉時代まで伝わると、百人一首の歌となる。伝言ゲームと同じで、伝わるうちに歌が少し変わることがある。素朴で力強いといわれるストレートな表現の「万葉集」より、幽玄・華麗といわれる現実離れした幻想的な「新古今集」の歌の好みに変わってしまう。日本人の感性も、時代とともに変化していっている。
鎌倉時代に作られた「百人一首」をしているとき、元歌である奈良時代の「万葉集」の句をサラッと言えたらかっこいい、かな。
こういう歌が、中学校の国語の教科書に載っている。
子どもたちは一生懸命、意味や技法を覚えているけど、歌の心は人生経験豊かな大人の方がよくわかるのではないだろうか。朝日の光の情景、夏山(春山?)の白くコブシ咲く情景も(「白妙の衣」は、白いコブシの花、あるいは白い卯の花という解釈もある)知っている。中学生に、「この歌は、こんな景色のことかなあ」と説明できたら、これもまたかっこいい、かな。
見出し画像はぱくたそからお借りしたものです。美しいものを美しいと表現するのは歌も写真(絵)も同じですね。