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奇事中洲話②~地獄の世界を描く山東京伝の黄表紙

 近松門左衛門ちかまつもんざえもんの「冥途めいど飛脚ひきゃく」を元にした梅川うめかわ忠兵衛ちゅうべいの物語。そこに別の話も複雑に加わってくる。

 黄表紙きびょうし奇事中洲話きじもなかずわ」(1789刊)山東京伝さんとうきょうでん(1761~1816)作、北尾政美まさよし(1764~1824)画、全三巻の現代語訳、中巻の紹介。 

  地獄も出てきて、さあ、どうなるか。



中巻

 三浦屋から身請みうけされた遊女高尾たかおは、仙台侯伊達綱宗だてつなむね沿わずり殺された。歌舞伎の女形おやま荻野八重桐おぎのやえぎりは、その女姿の美しさにれたカッパに水中に引きずり込まれて水死した。
 どんなえにしなのか、その二人が、今、地獄で夫婦となりしが、表向きは兄妹として、高尾たかお閻魔えんまめかけとなり、八重桐やえぎり小姓こしょうとして閻魔王の男色の相手をしておりしが、この春、中洲なかすからやって来た女に、閻魔王は心を奪われ、高尾、八重桐への寵愛ちょうあいは浅くなる。
高尾「ほんに、ばからしゅうありんすねえ」
八重桐「いっそ、娑婆しゃばへ行って、地獄の芝居にでも出ようか」

 


 八重桐やえぎり高尾たかおは、閻魔王えんまおう寵愛ちょうあいが浅くなったので、それまでの細工さいくが狂い、そろそろぼろが出だして、ついでに今までの借金しゃっきん返済へんさいを鬼からめられ、大家おおやの鬼からは立ち退きを要求され、考えれば考えるほどつまらなくなり、死にたくなってしまったが、もとが幽霊ゆうれいのことなので、死ぬこともできず、さりとは、幽霊のつまらぬほどつまらないものはなく、
「今は娑婆しゃばへ身を投げて生きるよりほかの了見りょうけんはなし」
と、二人は覚悟かくごを決めて、
「ままならぬ地獄じゃなあ」
と、手に手を取って打ち笑い、生きに行くこそ不憫ふびんなれ。
 おりふし、生前のことを何でも見る「見る目」、何でもぎ出せる「ぐ鼻」が、このことを見つけ、ぎつけ、
「二人とも、動くな」
と、わめけども、頭ばかりの「見る目」「ぐ鼻」は、口ばかりで体は動かず、
「こいつはならぬ」
と、八重桐は、手拭てぬぐいで猿ぐつわにし、
「そこにゆるりとござりませ」
と、娑婆しゃばをさして走り行く。
見る目、嗅ぐ鼻「おーい、鬼はいないか。鬼は内、鬼は内。やれ、人生ひといかし人生かし」
見る目、嗅ぐ鼻「おお、痛え痛え」
八重桐「地獄の鬼なのに痛いとは、なんてこった」

 


 娑婆しゃばにては、飛脚ひきゃく屋の忠兵衛ちゅうべいと遊女梅川うめかわが深い仲なのを、中之島なかのしま八右衛門はちえもん、恋のうらみにて、あるとき、忠兵衛のカバンから印鑑いんかんを盗み、忠兵衛が出入りしている武家屋敷ぶけやしきで、印鑑を押したニセの書類で備蓄米びちくまいを金四万両でだまし取れば、忠兵衛は困ってしまい、大坂には住みがたく、梅川と一緒に江戸までのがれ、新宿に知り合いがいたので、ここをたよりにし、米相場こめそうばにはかかわり知らぬ身の上となる。
 忠兵衛は、
「いつまでも、こうしていてもあかんやろ」
と、梅川に再び遊女勤ゆうじょづとめを頼み、吉原の三文字さんもんじ七兵衛しちべいに年四千両であずける。
忠兵衛「おまえさんは狂歌を作られるそうだ」(七兵衛は、吉原の狂歌師、加保茶元成かぼちゃのもとなりこと村田市兵衛を当て込んでいる)
七兵衛「たびたびの火事で難儀なんぎなことさ。中洲なかすには長くいる気はないさ」(天明元年1781、四年1784、七年1787と吉原が火災にあっている)
馬子まご「ドウドウ。ちくしょうめ、なんたるこっちゃ。平らな場所に来ると暴れだしやがる」
馬に乗る男「どうどうどうぞ青梅おうめまで無事に行かれればよいが」

 


 大坂中之島なかのしま武家屋敷ぶけやしきでは、忠兵衛ちゅうべい梅川うめかわ行方ゆくえをさがし、本来なら似顔絵の手配写真を作る場面だが、それも面倒めんどうなことだと、役者の似顔絵の一枚絵(浮世絵)を多く買って、それを町々へ一枚一枚渡し、たずねていく。
役人「見逃みのがすと、わいらが難儀なんぎするぞよ」
役人「一服いっぷくしてから行こうじゃねえか」
役人「休憩きゅうけいするのは不届ふとどきだぜ。ちっと気をつけろよ」
男「松本幸四郎の息子の高麗屋こうらいや若旦那わかだんな気取きどった姿だ」
男「はいはい」
男「ここで一服いっぷくされたら困ってしまうぜ」

 


 忠兵衛ちゅうべいも、
「何か仕事にありつかなくっちゃならねえ」
と思えども、今までなまけてきたクセがなおらねば、真面目まじめな商売はならずの森(下鴨しもがも神社の森)の天狗てんぐ様で、ならず(できず)、天狗のように飛んで行く飛脚ひきゃく屋のえんで、手紙を届けるふみ使いを商売とし、瀬戸屋せとや忠兵衛と名を変える。
 梅川うめかわは、三文字さんもんじ屋の遊女となり、名も花袖はなそであらため、「中洲なかす名物、荒磯団子あらいそだんごか花袖か」と言われるようになる。
花袖「あいさ。遊女八重やえずみさんと一緒の座敷に出てるさ」
画面左の客「扇屋の花扇はなおうぎか、丸海老えび屋の江川か、大俵おおだわら屋の吉野か、それとも若菜わかな屋の白糸しらいとがいいかな。鶴屋つるや菅原はどうかな」
茶屋の女「菅原さんの鶴屋は両国に仮店舗かりてんぽを出しておりやす。どの女郎になされますか」

 


十一

 八重桐やえぎり高尾たかおは、け落ちして娑婆しゃばへ来て、昔生きていたところゆえ、故郷忘れがたく、中洲なかすへ落ち着き、幽霊だからお化け屋敷でおなじみの蒟蒻こんにゃく屋を始めようと思えども、よくよく考えれば、当時の蒟蒻こんにゃくは足でかためるので、夫婦ともに足がないので、蒟蒻屋もできず、瀬戸せと忠兵衛ちゅうべいの隣に、茶屋を出す。
 高尾たかおは、幽霊だけにいろいろの利点がある。まず、腰より下がないので、着物がすり切れることがなく、提灯ちょうちんの代わりにたましいを使えば油もいらず、客の送り迎えにも、ぶらりぶらりと魂をぶら下げて歩けども、人の目にはいっこうに見えず。これ、竹の先にぶら下げる「ぶら提灯ちょうちん」の始まりなり。
忠兵衛「今、けえりやした」
高尾「お早かったね」

 


 こんなあれこれをえがきながら中巻は、ここまで。下巻につづく、 

 


 地獄には「見る目、ぐ鼻」がいるが、地獄の様子を描いた京伝の黄表紙照子浄頗梨かがみのじょうはり」はこちら、


 八場面で、狂歌の話が書かれている。狂歌は武士が多く作っていたが、加保茶元成かぼちゃのもとなりは吉原の町人。町人である京伝も狂歌グループに所属し、武士と一緒になって狂歌を作っていた。
 そんな狂歌について、武士である大田南畝おおたなんぽについても書いているのはこちら、

 

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