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クワクワクワク、桑の実、赤とんぼ

 巨大な桑の木の下に、熟れて落ちた桑の実が黒い汁を出している。熟れた桑の実は黒い色をしているが、黒くなる前は赤い色をしている。もともと赤だから、黒とはいっても、黒に赤が混じった、濃い紫色をしている。紫のグレープジュースに黒い絵の具をたくさん足したような色だ。
 桑の実は、マルベリーという名で果実としても売られている。


夕焼小焼の赤とんぼ
負われて見たのはいつの日か

山の畑の桑の実を
小籠(こかご)に摘んだはまぼろしか  (「赤とんぼ」作詞・三木露風、作曲・山田耕作)

 山の畑ではなくても、近くの桑畑へ行き、桑の実をよく食べた。昔は桑畑がどこにでもあった。桑の実は、青いの赤いの黒いのがある。青いのは食べられないが、赤いのもまだだめ。少し黒くなったのもだめ。酸っぱくて食べられない。真っ黒になって初めて食べられる。
 畑の桑の木は、中央の幹を切る。すると幹の周りから細い枝が何本も生えてくる。桑の木の枝は人の高さにそろえる。桑畑に巨大な桑の木はなかった。高い木の葉は取れない。できるだけたくさんの桑の葉を集めてカイコに食べさすのだ。低い桑の木しかなかった。


 道路を走って、「赤とんぼ」の作詞者、三木露風の出生地、龍野市に入ると「童謡の里」という看板が出てくる。「赤とんぼ」は龍野の思い出を歌っているといわれる。三木露風の故郷の山の畑では桑の実がなっていた。
 歌にはまだ続きがある。

十五で姐や(ねえや)は嫁に行き
お里のたよりも絶えはてた

 子守のねえやに背負われて見た赤とんぼ。そのねえやは15歳で嫁に行く。まさに嫁で、「家」に嫁ぎ、家事労働力として働かされる。15歳までは住み込みの子守、15からセックス付の労働力。そんなねえやもいなくなり、里からの便りも来なくなった。時代はどんどん変わる。桑の実を食べた思い出の桑畑も今はもうない。


 当時は日本全国桑を栽培していた。人の高さになった枝には新しい葉ができる。その葉を取ってカイコに食べさせる。シルク(絹)を生み出すカイコを全国で飼っていた。シルクは日本の重要な輸出品だった。
 カイコが成長して生まれるカイコ蛾は、ほとんど飛べない。人のためにシルクでできた繭(マユ)を作るために生きている。人の手を離れたら生きていけない。人に食われるために生きている牛や豚と同じだ。


Donna donna donna donna Carrying along a calf
Donna donna donna donna A wagon is rattling  (「DONNA DONNA」)
ある晴れた昼さがり 市場へ続く道
荷馬車がゴトゴト 子牛を乗せて行く
かわいい子牛 売られてゆくよ
悲しそうな瞳で見ているよ  (訳詞・安井かずみ)

 日本人はクジラを食べる残酷な国民だと避難する国の人々は、牛や豚は食べてもいいと理屈をつける。日本人は、殺したカイコの供養をする。食事のときには「いただきます」という。命をいただきますという。命は牛や豚やクジラだけでなく、野菜などの植物に対しても、命をいただくと感謝する。今の日本人は、「いただきます」と感謝しているのだろうか。感謝すれば何をしてもいいわけではないけれど。


 食べられるわけではないが、ペットショップでは、生まれてすぐに親から離された子犬や子猫があふれている。幼い頃から働き嫁に行ったねえやは数十年前の日本の現実だが、おなじようなことがペットショップで今もある。


 繭を作ったカイコは熱湯に入れて殺される。そして人は残った繭からシルクを取る。シルクのファッションに身を包み、人々は町を歩いている。
 シルクは残ったが、桑畑は消えていった。

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