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スーパーマン教師はいらない

 昔流行はやった教師ドラマに出てくるスーパーマンのような教師。なんでもかんでも好き勝手やって、なぜか生徒は最後には担任の味方となる。そんな善良な生徒ばかりじゃないよと言いたくなるストーリー。
 そんなに早く不良生徒が改心するわけがない。親子だって、本当に親のことが理解できるのは、自分に子どもができてから、ってことも多い。理解できるのは何十年後ってことも多い。
 現実の職員室では好き勝手はできない。
 教育はチームでやっている。特に教科担任制の中学では、勝手なことをやっている教師は周りの協力を得られない。教師一人では何もできない。

 でも、スーパーマンのような教師はいる。いろんな仕事を一人でやる人をスーパーマンと呼ぼう。
 学年主任に教務(総務)に生徒指導に同和(人権)担当、ついでにPTAも担当する。そういう人もいた。
 はじめに教務と生指をやっていて掛け持ちに慣れている。新しい学年の学年主任になる。新しく覚えるのは学年の仕事だけだ。同和担当だった人が異動し、他にまかせる人がいなく、以前同じ仕事をやっていたので引き受ける。仕事は似たようなことなのでできる。PTAはずっとやっていて本部役員とも顔なじみ。本部役員の人がそれぞれの仕事をよくしてくれる。そういう条件がある場合。
 また、何年かその学校で同じ仕事をやっていれば、手の抜き方もわかるので、なんとかこなすことができる。去年と同じような、あんまり大切ではない調査は去年のコピーをする。仕事をするうえで手を抜くことも必要だ。全てを全力でやれば、大切なことに力が入れられなくなる。
 自分しかできないことは自分でする。学校のホームページの更新やメール配信も自分がする。他人にまかせたらよけいに手がかかり時間を使うものも自分でする。それ以外は、まかせられるものはまかせる。丸投げをする。手を抜くことは手を抜く。
 仕事が多くても、周りの人が言うほどしんどくもない。仕事が重なるのは年に数回しかない。睡眠時間を削ることもない。逆に仕事をすることが楽しい。
 でも、それは普通ではない。初めての学校でこれだけの仕事はできない。今までの積み重ねがあるからできることだ。

 大谷翔平は二刀流ができるけど、ピッチャーもバッターも専門性が高くなった現代の野球では、二刀流は難しい。
 昔は4番バッターがピッチャーをするのは当たり前だったけど、分業制の今は難しい。大谷だからできるけれども、他の人がマネをしてもうまくできるわけがない。

 教師も一緒。その人ができるからといって、他の人にできるとは限らない。
 いろんなかけもちができるスーパーマンのような先生がいる学校は大変だ。その先生がいなくなったときにどうするか。一人で何人分もの仕事をしていた人がいなくなっても、新しくたくさんの人が補充されるものではない。一人いなくなったら一人補充されるのが原則。新しく着任した人が、「新しく担当する仕事」をうまくこなせるわけがない。
 スーパーマン教師はそこでの積み上げがあったからこそできたのだ。新しい仕事を別の人が何個も引き受けたらつぶれてしまう。別の人ではできないことをやっていた。
 それでは引き継ぎができない。
 だからスーパーマン教師はダメなのだ。

 自分ができても他の人ができるとは限らない。


 こんなスーパーマンじゃなくても、普通の教師も、スーパーマンのような仕事をしている。
 専門の教科を教えるだけじゃない。やったこともないような部活の顧問をする。種目によっては審判までしなければ子どもが試合に出られない。土日はつぶれて当たり前。
 大きな運動会、音楽会、小さな誕生日会など、いろんな行事があれば計画、運営をプロデュースし、イベントの司会までする。
 苦情電話があれば走って現場へ行く。万引きしたら引き取り、警察へも行く。警備保障会社の社員かと思えば、警察官のように子どもから事情聴取もする。不審者が侵入したら子どもを守るために命を張って対応しなければならない。
 ブラックじゃなくても時には延長して仕事をすることもある。いつもいつも定時ではない。家出した子がいる、事故にあった子がいる、そんな時、「定時だから」と帰る教師はいない。
 GIGAスクールでパソコンの指導法も学び、プログラミングも学ぶ。コンピュータの専門家じゃないっちゅうのに。
 発達障害の子も増え、普通学級に何人か在籍している。特別支援学級担任じゃなくても特別支援の知識が必要。生徒のけんかの仲裁に人生相談に進路指導。カウンセラーみたいなこともする。
 昼休みにはいじめやけんかがないか巡回をして、時には子どもとグランドで遊ぶ。昼食時も目を光らせて早食いをする。昼休みなんてあるわけない。
 あれもこれもできるのは、まるでスーパーマンだ。
 苦情を並べる保護者。教師より学歴のある保護者も増え、「先生の教育方針は何ですか」という親への対応も必要。
 酔っ払って学校に苦情を言いに来た保護者の対応もしなければならない。学校にはスクールカウンセラーもいるけど(毎日勤務じゃない)、スクールカウンセラーは酔っ払いの相手はしない。相手をするのは教師だ。素面しらふの保護者対応でさえ大変なのに、酔っ払いの相手もする。
 ほんまにスーパーマンだ。

 これだけ忙しかったら、本来の仕事であるべき「教材研究」はもとより、「子どもを見る」ことができない。教室の中の子どもを見るので精一杯。放課後に児童館や学童で過ごす子どもの姿を見に行こうとは思わない。少年野球やサッカーの試合なんて全然知らない。教室以外の子どもの姿を知らないでいる。家庭訪問だって簡略化されている。子どもをみない教師なんて本末転倒だ。


 これらの解決策は、教師の数を増やすしかない。
 外国にたくさんのお金をばらまくよりは、今の日本にお金を使え。教育にお金を使え。少子化対策だといって選挙対策のようなその場しのぎのお金をばらまくより、未来の日本のためにお金を使え。子どもたちが直接生きるお金を使え。今のままでは日本の未来は暗い。
 教育にはお金がかかる。
 スーパーマンを頼る時代は終わった。


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