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大輪の菊とエリート教育
一度植えたままほったらかしにされたような菊の花が、たくさんの小さな花を咲かせている。
それとは逆に、手入れをされた植木鉢の中では大輪の菊が咲き誇っている。
大輪の菊作りは、初心者は三本仕立てというのをする。大きな花を三輪咲かすのだ。そのために、咲かすための三つの花芽以外は全部むしり取ってしまう。わきから出てくる芽を全部取ると、栄養が三つの花に集中して、大きな花が咲くことになる。
花が咲くまでには、何度も植え替えをして、だんだん大きな鉢にしていく。
かつて巨大コスモスというのがニュースになっていたことがあったが、今でもどこかで作っているのだろうか。
コスモスを一本だけにして、周りの草を取る。栄養が集中するようにするのだ。コスモスの花は一輪だけ咲かす。一本のコスモスの中でも栄養を花に集中するのだ。そのために、横から出てくる芽を全部取っていき、一本の茎にする。倒れないように添え木をする。そうして育てると、なんと何メートルものコスモスができる。2~3メートルあったっけ。いや、もっとあった。高さに挑戦と言ってやっていたように思うが、今は誰もやっていないのだろうか。
誰か知らないのかな。
秋の山には小さな柿がたくさん実っている。野生の柿は渋柿だが、干柿にするとおいしく食べられる。誰も取らないまま熟れて熟すと柔らかく甘くなり、冬の鳥たちの食料ともなる。
柿は東アジア原産で、学名もkakiで「カキ」という。本来は渋柿なのだが、突然変異で甘柿ができた。突然変異で渋柿に種なしができた。渋柿は、炭酸ガスにさらしたり、ヘタをアルコールに漬けたりして渋抜きをする。店に売っている種なし柿は実は全部渋柿なのだ。
昔、よその家に柿がいっぱいなっているのを見て、盗んで食べたことがある。見つからないように大慌てでかじると、なんと渋柿。あの渋~い味は忘れられない。今となっては遠い遠い昔の話。畑の果物を盗んでもそんなに怒られなかった時代の話。
今は、農園や果樹園に入り、大量に盗む人間がいる。いったいどうなっているのだろう。どきどきしながら、たった一個の柿を盗んだのはもう遠い過去の時代の話になってしまった。
とにかく自然の果物は、たくさんの実をつけ、種をたくさん残そうとする。
農園の果物も、実をたくさんつける。そのまま育つと、全部小さな実になってしまうので、摘果(間引き)をする。選定をする。桃とかブドウとか、よけいな実をちぎり取ってしまうのだ。そうすると残った実は巨大化する。植物は、できるだけ多くの種を残し、子孫を多く作ろうとする。本来なら、小さな実を数多く残すはずの果物を、人間の都合の良いように作り変えていっている。
植物にとってはたまらないことだが、人間にとっては、大きい実ができる方がいい。
農家や商売をしている人にとっては、大きくて傷のない果物がほしい。種(しゅ)の存続や将来のことは商売にとってはどうでもいいのだ。品種改良も続けられる。大きくてより甘い品種を作ろうとする。
今年の収穫と、せいぜい数年先の状態だけ考えている。
人間の世界でも、剪定が行われているようだ。
PCを持っている、持っていない、Wi-Fi状況の良し悪し。それぞれの住む家の条件で学力が変わっていく仕組みが増えている。
できる者だけついてこい、という教育がどんどん進んでいく。
本来は、私学がそういう特殊な教育をしていたはずだが、今は公立も私学もなく、みんなコンピュータを使った、同じような教育が求められている。中国を中心としたコンピュータ会社が学校にコンピュータを売りつけ、学習教材会社や塾関係の学習関連企業が学習用ソフトや教材を売りつける。
勉強のできない子一人一人に寄り添っていた公教育はどこかに追いやられてしまった。
剪定して間引いて間引いて、残った者ばかりを育てる教育が広がろうとしている。