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親敵討腹鼓①~「カチカチ山」の後日譚

 日本各地に伝わる昔話は、それぞれの地域によって、同じ話でも違って伝わっている。
 例えば「桃太郎」は、大きな桃がどんぶらこと流れて来るだけでなく、こんな話もある。神仏からさずけられた桃を食べた老夫婦が若返り、夜の営みをせっせとした結果、桃太郎が生まれた。こっちのほうが現実的だろう。
 そんなふうにいろんな話があった中で、木版印刷の技術が発展し、本が出版されるようになると、昔話も「御伽草子おとぎぞうし」として大量に出版されるようになった。江戸時代には、すでにそうしてできた昔話によって、人々は同じ話を共通認識していた。「カチカチ山」の話もみんな知っていたので、それを茶化ちゃかした話が作られた。
 近代になってからも、太宰治だざいおさむは短編集「伽草子とぎぞうし」(1945刊)の中で、カチカチ山は、美少女うさぎと中年たぬきの話にしている。
 こういう創作ではなく、本来の多様な昔話を集めた、柳田国男やなぎだくにおの「遠野物語とおのものがたり」(1910刊)も作られた。昔話には、本来いろいろなパターンがあったのだ。
 ちなみに、当時の人々が知っていた「カチカチ山」は、つかまったタヌキがおばあさんをだまして殺し、タヌキ汁ならぬババ汁をおじいさんに食わせるというエグいもの。ウサギは敵討ちかたきうちをしてタヌキを殺してしまう。
 最後にみんな仲良くなるような話ではなかった。

 「親敵討腹鼓おやのかたきうてやはらつづみ」は、朋誠堂喜三二ほうせいどうきさんじ作、恋川春町こいかわはるまち画、安永六年(1777)刊行の上下二冊の黄表紙きびょうし
 その現代語訳を二回に分けて紹介する。

 


上巻

 むかしむかし、ひかげ山のうさぎばばかたきのたぬきを殺せしこと、「うさぎの大手柄おおてがら」として、よく知られた話なり。このたぬきの子、成人して、親のかたきたんと思い立ちたれども、かたきちに行き、猟人かりうどに打たれんことを恐れ、種子島たねがしま村の宇津兵衛うつべいという猟人かりうどを味方にし、わが身の安全をはかってかたきとうと、ここに来て頼む。
たぬき「明日はばけ仲間の会合なので、きつね、たぬき、むじな(アナグマ)など、この山に集まるはず。そこへ案内し、金もうけをさせましょう。りょうができます。その代わり、敵討ちかたきうちの協力をお願いしますよ」
宇津兵衛「力になりましょう。とかく気長きながかたきをねらいましょう。たぬき(短気)は損気そんきじゃ」
 うさぎ、この様子を聞いて、おどろく。

 


 かちかち山の奥に、年をたる白狐びゃっこあり。手下のきつねをはじめ、たぬき、むじな、ねこまたなど、月に一度ずつ会合して、ばけの相談あり。猟人かりうどたちもこのことを知らず、宇津兵衛うつべいは、たぬきの案内でやって来て、これはよい獲物えものだと、いたるきつね三匹を打ちとりけるが、白狐びゃっこは打ちもらしける。
白狐「♪飲みかけ飲みかけ、白狐びゃっこの白狐の、やっこのやっこの♪、さあさあ、みんなも歌え歌え」
きつね「この酒は四方よも屋の四方の赤でしょう」
狐「たい吸い物すいものより、油揚げあぶらげにねずみを入れたのが食いてえ」
宇津兵衛「白狐びゃっこを打てば、きっと大儲おおもうけできるぞ。失敗しないように、失敗しないように」
狸「おれの仲間は助けて、きつねの仲間ばかりを打ってくだされよ」

 


 かくして、うさぎは、たぬきにねらわれていると知り、ひかげ山をのがれ出て、江戸へ来たりて、まずは浅草の観音かんのん参詣さんけいして、わが身の安全をいのりける。
 始めに階段を上るとき、
「♪たのむぞ観音かんのんたのむぞ観音かんのん
とて上りけるので、観世音かんぜのんも、信心の深さを感じ、「よしよし命を救ってやろう」と思いけるが、うさぎは帰るとき、
「♪尻喰しりくらえ観音かんのん尻喰しりくらえ観音かんのん
と言いながら階段を下りるので、観音も腹を立て、うさぎの祈りをちゃらにされた。
うさぎ「命を救いたまいたまえ」

 


 かのじじばばには一人の息子ありしが、大きなドラ息子ゆえ、勘当かんどうを受け、江戸へ出てはふらふらしていたが、近頃、人柄ひとがらあらため、さるお屋敷やしき足軽あしがるとなり、芦野あしの軽右衛門かるえもんと名乗りける。
 この屋敷の若君、まだ皆が発症する天然痘てんねんとうになっていなかったが、
「頭の黒いうさぎの生き肝いきぎもを用いれば、天然痘になっても軽い症状ですみます」
ともうす者ありしゆえ、頭の黒いうさぎはいないかと探しける。
芦野軽右衛門「わたくしの田舎いなかに、頭の黒いうさぎあり。その生き肝いきぎもを取って、差し上げもうさん」
足軽の長、先尾勘解由さきおかげゆ
「なんじ、この御用ごようつとめおおせば、足軽あしがるからさむらいの身分にし立てられるように取りなしてやろう」

 


 軽右衛門かるえもん、うさぎの仕事をうけたまわり、田舎いなかへ帰り、勘当かんどうゆるしがかなう。
 近所の者が、とりもちをして、勘当かんどうゆるされる。
芦野軽右衛門「お元気そうにお過ごしのようで、これほどうれしいことはござりませぬ」
 親、団子兵衛だんごべいに対面し、母の最期さいごのようす、そして、うさぎのおかげで敵討ちかたきうちができたことを聞けば、あのうさぎは、わがためには大恩だいおんあるものなれば、生き肝いきぎものあてがはずれ、江戸へ帰っって神頼かみだのみでもしようかと思いさだめけり。

 


 うさぎは、大川橋を向こうへ渡り、三囲みめぐりの土手どてにて、たぬきと猟人かりうどに出会い、ここへ逃げてくる。
うさぎ「あとから追っ手おってがやってくるので、どうぞお慈悲じひです、かくまってくだされ」
 川魚料理で有名な中田屋の亭主ていしゅ葛西太郎かさいたろうたのもしき男なので、うさぎをうなぎ舟にかくす。
たぬき「さてさて、足の速いやつだ」

 


 たぬき、猟人かりうど、中田屋へ乗り込み、うなぎ舟の中をさがすと言えば、亭主は舟の上へ飛び上がり、歌舞伎のようにミエをはれども、胸元むなもとかたなをあてられ、められる。
女房のお花、裏でうなぎを焼きければ、たぬき、猟人かりうど、このにおいに心をうばわれ、うっとりとするとき、
お花「♪猟人かりうどたもとを引っれば、切ることできず、八畳敷はちじょうじきのたぬきの金玉も、飛べばされることもある」
うたえば、亭主はさとって飛び退く。
お花「♪猟人かりうど様うかそ、こんげんかばやき、こんちきち、こんこんちきちき、こんちきち」
 たぬきは、かばやきのにおいを初めて知ったので、焼きねずみもおよばない匂いなので、心が乱れ、踊り出す。
 宇津兵衛うつべいは田舎の山の女性ばかり見るので、お花の顔の白さと、歌の声、さらにはかばやきの匂い、たぬきのうかれるのに見とれ、同じように浮かれる。
 お花のかばやきに心をうばわれ、うさぎの敵討ちかたきうちはあとまわしとなりける。

 


 軽右衛門かるえもん
「ほかの頭の黒いうさぎをわれにさずけたまえ」
と秋葉大権現だいごんげんいのろうと、ここまでやってくると、たぬきの、
「親のかたきのうさぎを出せ」
あらそう声を聞けば、
「わが大恩だいおんあるうさぎなので、どうぞ命を助けよう」
と、さまざまな言葉を投げかける。
狸「いらぬかばいだてをするな。そこをのいて通されよ」
芦野軽右衛門あしのかるえもん「主人のためには、生き肝いきぎもの欲しいうさぎなれども、それをせぬのは、よくよく義理ぎりあることと思え」

 


 うさぎの運命やいかに。次回につづく、 



 黄表紙の始まりといわれる「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」の現代語訳は、こちら、

 黄表紙の代表作「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」の現代語訳は、こちら、

 これらの中に、他の黄表紙の紹介もまとめてあり。
 

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